惑星アツタ

コンタ

1

記憶されるべき出来事の核心に<記憶されえぬもの>や<語りえぬもの>があったとしたら、そしてそれが、われわれの肉体のそこかしこ知られざる<忘却の穴>を穿っているのだとしたら、どうなるのか。

(高橋哲哉『記憶のエチカ』)


我々の歴史(我々の複数の歴史)は完全には歴史家の手には届かないのだ。彼らの方法論では、植民地の「年代記」にしか近づけない。我々の「年代記」は諸々の日付けや収録された事実の背後にあるのだ。(中略)唯一詩の力による認識、小説の力による認識、文学の力による認識、一言で言えば、芸術の力による認識が(中略)我々の複数の歴史(風景や大地のこのうえなく豊かな感情、感覚、直観に恵まれた我々の長老たちの方へ飛んでいったこの記憶――砂)を見すえた内観と我々のクレオール性の容認によって、叫びが溶解したこれら沈黙の不可侵領域に心的エネルギーを補給することができるだろう。

(ジャン・ベナルベ他『クレオール礼賛』)



――チエちゃん、仏さんにあげておいて 仏さんから降ろしてきて

戦死した祖父・栄一の仏壇が 孫のわたしとかかわりを持つのは

教員だった父からもらった、生徒の親の心づけとしての酒や和菓子、果物に触れるときだった

いただきものを わたしたちの口に運ぶときにのみ 祖父の仏壇は媒体になる 

それは美味しいものをいただく喜びでもあるが 会ったことのない祖父には感謝しなかったことを記憶している


わたしが覚えているのは 天気の良い夏の日 

八畳の和室の障子から白くこぼれる光がまぶしく 視界はくっきりして鮮やかで

黒と金とに彩られた祖父の仏壇に 

金糸銀糸で織られたきらびやかな絹布で丁寧に覆われた白木の箱を

好奇心で開けてみたら 遺骨ではなくただ平たい灰色の石だったこと


祖父はアッツ島で戦死した 

だから彼が爆撃で吹き飛んだ場所の近くにあったこの石が遺骨の代わり――

と生き残りの兵士は言って 栄一の父母に渡した

栄一が出兵したとき その妻は身ごもっていた

栄一の顔を見ないまま わたしの父は生まれた


遺骨がないから 代わりに小石を仏壇に祭って八〇年が経った

曽祖父母も祖父母も死に いま父が死につつある

わたしはいま悩んでいる

この石を遺骨として引き継ぐのか

それともただの石として処分するか

わたしはいま悩んでいる アッツ島の ただの石ころのことを

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