6 時間移動のメカニズム

「さて、そのUSBチップとやらの情報には大変興味があるが、あいにく楽園内にはそれを読み込むことができる機械が無い」


 イオとコピーは黒の塔の最上階、すなわちコピーの研究室にいた。

 円形の部屋で部屋の真ん中に手術台。窓は四方についていて、城が見える方向の窓にはバルコニーもある。が、遮光カーテンが閉められ、部屋は薄暗く、不気味さを引き立てている。窓は開いていて、時折風が外の光を部屋に呼び込んだ。天井にはパイプやらコードがひしめき、怪しいランプがところどころ灯っている。壁際には薬棚と本棚が入り乱れ、入りきらないものは床に散乱している。古ぼけた二人掛けソファーが一つ置いてあるがそれもまた大量の本で埋もれていた。コピーのデスクはバルコニーと反対側の窓際にあったが、積まれている大量の本のおかげで日当たり良好とはいえそうもない。


「電気はあるんですよね。楽園内は主に明治あたりをイメージしてるのが伝わってきますが、乗った列車の動力は石炭や石油ではなさそうだった」


 イオは勧められるままに本を重ねた山の上に腰を下ろしながら言う。コピーはキャスター付きのゲーミングチェアに座るとくるくると回った。


「ああ。電気はエコだし、楽園を包むカプセルを使って太陽光を集めて発電してるから無尽蔵だ」


「パソコンはないんですか。パソコンがないとこの中にあるファイルを開くことができない」


「無い。――少なくともここには。数十年前まではここもAIが闊歩する電脳社会だったんだが、状況が変わったんだ。楽園創設当時から機械やロボットの取り扱いについての議論はなされてきた。ここはあくまで保存都市であるからロボットによって新たな産業や技術が生まれるのを防ぐ必要があったというのが専らの意見だな。狭い分野の技術の飛躍はとても危険なんだ」


「じゃあ、この世のどこにも存在しないんですか?」


「そんなこともない。この楽園の外にも世界は広がっている。ほかの保存都市に行けばあるかもしれない。まあ、最も、そこから手に入れるのはほぼ不可能と言っていいだろうな。保存都市同士は極力接触しないことになっているし、この広い海洋上に浮かぶ二つのカプセルが出会うこともめったにない。一部定住している海上集落があるかもしれないが、それに接近するのもまれだ」


「じゃあどうすれば……」


コピーは手を広げた。

「別に方法がないわけじゃない。この楽園には『地下』という特殊な場所がある。楽園のカプセル内にありながら、地上とは全く別の世界線を作っている。健全なヒトの行き来はあまりいい印象を持たれないが、とにかく、地下には地上が手放した知を拾い集めている可能性もある」


「その地下ってところに行ってパソコンを探してくればいいんですね」


「あるかは分らんがな。必要ならこの棟の使ってない部屋を研究室にするといい。ただし、その前に我々は時間移動やその他認識について一致させておく必要がある。私が協力する以上、今後一切私の理解を超えた行動は断じて許さない。すべての行動の前に逐一連絡し、計画を洗いざらい話し、結果は速やかに報告すること」


「はいはい、ホウレンソウですね。わかりました」


 イオが頷くとコピーは白い髪をかきむしった。

「しょっぱなから認識の相違だ。ホウレンソウってなんだ。胡麻和えにするとうまいやつか」


「報告、連絡、相談の頭文字をとった略語みたいなもんですよ」


「そうか。ここの設備や私の知識では足りない部分もあるからあとで私の知り合いの地下に拠点を置く科学者に連絡を取ってみよう。心配するな。つきあいが長いから信用してもらって構わない。今はとりあえずその中のデータがなくてもできる話をしよう。――例えばお前の頭の中にあるタイムマシンのメカニズムとかな」


「はい。僕の専攻は時間移動理論化学というんですが、僕の生まれる少し前にはもう部分的には時間移動が可能だという立証はされていました。子供の時にテレビでラットが10分後に時間移動する実験を見て一時期ブームになったのを覚えています」


「今も子供だろ」

コピーはじとっとした目で見るが無視してイオは続ける。


「僕の仮説では生命体の時間移動……ラットを例にとって話を進めます。ラットの時間移動が行われたとき、そのラットの全細胞が大きなエネルギーを受けて、まあ、感電みたいなものだと思ってください。ラットを構成する原子はエネルギーを受けて高速で時空を移動し、移動先にある原子の集団、つまり10分後もその場に存在していたラット自らの細胞によって再構築されたのです」


「再構築?じゃあお前の場合は千年も同じ場所に存在していたはずはないから、どこかその辺の人の細胞をバラして自分に再構築したってことか?あの日、あの町では誰一人死んでいない。その仮説は無理がある」


「普通に考えれば、人間の置き換えの場合なら誰か人間を犠牲にしないと完成しない。でも誰も死なずに再構築できた。なぜか?――材料が十分にあったから」


コピーは口角をつうっと吊り上げた。

「ほう。お前はトマト畑に落ちたと言ったな」


「ああ。あれはトマトに見えるけれども、トマトではない。さっき食べたかつ丼やその他食べ物はみんなおなじような素材で人工的に作られたいわば完全食なんでしょう。巧妙に味付け歯ごたえで誤魔化されているが、植物や動物ではないんだ。だからこそ、僕はトマトを使って自分の体をこの世界に再構築することができた」


「ご名答。植物、人間以外の動物は楽園内に存在しない。ところで、ここに着いて再構築されたというお前の体にはいくつか欠陥があった。心臓の弁や爪、指」


「それはタイムマシンのエネルギーがうまく伝わらなかった、または、再構築しようとしたが適切な元素がトマト農園に存在しなかったから」


「なるほど。言いたいことは分かった。つまりお前が言いたいのは時間移動の本質は原子の再構築であるから、過去に行くことも未来に行くことも十分可能であるということだな」


「そうです」


コピーは天井を仰ぎ、ふうっと大きく息を吐きだした。イオの目には、コピーはなにも吸っていないのに何か煙草の煙のようなものが見えた気がした。慌てて目をこするともう煙は見えなかった。


「私が52時間25分前に言ったことを覚えているか?」

「……」


「時間移動が良い技術なら今現在ここには過去の人間、未来の人間が着々と到着、いや、再構築、といったほうがいいな。再構築されていないとおかしいと言った。今はどう説明する?ほかにもその理論に穴はあるはずだ。穴がない完璧な理論なら今お前はここじゃなくて2114年にいるはずだし、イオールの雲はなく、楽園もここにはないだろうからな。それに、お前が大幅に移動したい時間とずれたところに移動してしまった謎も解かなくてはならない」


「ここに未来人や過去人がいないことの説明も考えてみました。本当だとやばいのですが、たぶん、時間の流れにはある一定の引力があるんです。再構築した体は時が経つにつれて自然に崩壊する。――それも、きっと、ごく短い期間に。無理やり再構築された原子たちはすぐにいうことを聞かなくなり、反発しあって崩れるのではないか。ラットの研究ではラットは10分未来に、10分間若い体で行ったのだから少なくとも10分は長生きするんではないか。これが研究者たち、さらには民衆の代表的は意見でしたが、何度やってもラットはふつうのものよりも早死にだったのです。僕も大学でそれを研究しましたが、原因は不明だった。でも今はわかります。心臓などを作る元素たちが反発をはじめ、ラットがそれ以上生命維持をするのを妨げたのではないか」


「ふむ」

コピーは腕を組んだ。


「じゃあ、この塔の地下に保管されているお前の本体の様子を見に行ってみるとするか。まだ崩れてないといいがな」


 コピーはデスクの上からファミレスで店員を呼ぶときに使うようなチンベルを引っ張り出してチーンと一回鳴らした。


「ご主人様、ご用ですか?」

 急に頭上から声が降ってきてイオはもう少しで腰を抜かすところだった。見上げると天井のたくさんのパイプやコードに紛れて、ほとんど天井と一体化したBb9がそこにいた。Bb9は蜘蛛のように八本の腕を器用に使ってするすると天井から降りてきてコピーを抱き上げた。


「地下へ。私のコレクションルームを開けろ」

「承知いたしました」


❀ ❀ ❀


 Bb9に続いてイオも塔のエレベーターに乗り、地下へ向かう。この塔は44階建てらしい。やけにアンティークなエレベーターの扉が開き、薄暗い廊下に出る。ところどころ壁掛けのランタンが足元をぼんやりと照らす。


「ちなみにお前の本体はいつでも器として使えるような処理はしてある。いつでも好きな時に同調してやる予定だった。しかし、それが壊れてしまうとなると、どうすればいいんだ?」


「本体が壊れたら壊れたでさほど問題はありません。エンシェの姿の僕をまた元居た時代に再構築しますから。しかし、時間移動の前に肉体の原子の配置をスキャンしてデータとして持っておく必要があるんです。特に脳。記憶は生命体がその個体であらしめる唯一のものです」


 コピーを抱えたBb9とイオはたくさんのガラス瓶の並ぶ通路を歩いていく。ビンの中の液体に浮かぶトイロソーヴはうつろな目でこちらを眺めている。


「こちらがイオ様の肉体の標本でございます」


コレクションルームの最奥、Bb9が指し示した先のひときわ大きいガラス瓶の中にイオは浮いていた。


「足が無い」

脛の中ほどから下が不自然に消えてなくなっていた。


「これじゃあユーレイみたいだ」

コピーは軽口をたたいたが、冗談とも本気とも取れなかった。


「困ったな。スキャンの目途がたたないのに、たった三日ばかりでもうこんなに破損しているとは」


 コピーは床にスタッと降り立った。


「一つ思いついたんだが、お前はさっき、原子の集まりにエネルギーを加えることで時間を移動すると言ったな。じゃあ、同じように考えてみよう。この肉体――原子の集まりに絶えずエネルギーをかけ続けていたらどうだろう。原子同士が反発を始めてもばらばらにならないように縛りつけておくことはできないだろうか」


「……確かに。でもかなりの量のエネルギーがいるぞ。僕一人分の場合、約核爆弾一個くらいいる」

「核、か。まあ、ここで発電するのは無理だな。今ある発電機は必要な量の半分くらいの威力が最大だ」


 核爆弾半分の威力を発電できるのは相当クレイジーな発電機だろう、とイオは胸の中で突っ込む。


「とりあえず、何もしないよりは崩壊の速度を抑えられるかもしれない。……しかし、ゆくゆくはエネルギーが大量に必要になる。それまでになんとか発電方法を考えないとな……」


「方法はないこともないぞ。もう楽園の地図は見たか?中央ブロックのど真ん中に王の城がある。そのちょうど真下には楽園創設当初からずっとため込まれ続けている莫大なエネルギーがあるという噂だ」


 Bb9は大きな発電機をどこからか引きずってきてセッティングを始めている。イオの両耳に洗濯ばさみのような誘電クリップがつけられる。


「莫大なエネルギー?蓄電池とか、発電所か?電気以外のエネルギー資源?」


「それは知らん。あるということだけ知ってる。本当に見たことは無いし」


「楽園創設当初から生きてるんじゃないんですか。一回くらいはあるでしょう」


 コピーは肩をすくめてからなぜか自信たっぷりにふんぞり返ってのたまう。

「私はやんごとない理由がない限りこの塔を出たことは無い。外はだるいし。光が明るすぎるし。Bb9をおつかいに行かせさえすれば私は出る必要もないしな」


 完全に引きこもりおばあちゃんである。


「あ、Bb9、その赤いボタンは危ないから押すなよ」


「とても邪魔なとこについているのですが、これはなんのボタンでしょうか、ご主人様」


「自爆スイッチ」

けらけら笑うコピーを無視し、Bb9は黙ってスイッチの周りに鉄の網を取り付けて物理的に押せないようにした。


「さて、発電はBb9に任せて私たちは上に戻るとしよう。そうだ、お前の研究室を見せる。こっちだ」

コピーはコレクションルームの出口へとすたすた向かっていくのでイオも後に続いた。扉を閉めるときにちらりと見えたBb9は自転車のようなものにまたがり、猛然とペダルをこぎだすところだった。


❀ ❀ ❀


「ひぃ、ひぃ、……も、もう無理だ、はぁ、はぁ」


「うっ、ちょ、ちょっと、もう少しですよ、しっかりしてください」


 イオは半ばのしかかるように体をだらしなく預けてくる老人とともに廊下を歩いていた。コレクションルームから出たあたりからもう様子がおかしくなり、エレベーターの5メートル前にしてこの状態である。なんとかエレベーターに乗り込む。顎まで流れてきた汗を拭う。


「僕の部屋は何階ですか?」


「玄関ホールは1、応接間は2、客間は3から10、倉庫は11から20、研究室が21から30、会議室は31、食堂は32、書庫は33から40、41から43までは空き部屋で44が私の自室だ。そこに書いてあるだろ」


「研究室ですか?」

 イオが振り返るとコピーはかごの床に丸くなって目を閉じていた。


「えっ、大丈夫ですか?どこか痛む?あ、心筋梗塞?脳卒中?え、ええと、AED……」


「平気ですよ。寝てるだけです」

 エレベーターのアンティーク調の扉が開き、Bb9が乗り込んできた。


「ご主人様はここのところあまり睡眠をとれていらっしゃらなかったようです。疲れが出たのでしょう。まったくあれほど九時には寝なさいと釘を刺しておいたのに夜更かししたのですね」


 Bb9がコピーを抱き上げる。コピーは少女のように安らかな顔ですやすやと寝息を立てていた。それを見つめるチューブとコードだらけのロボットの顔にわずかに母性のようなものを感じてイオはわけもなく目をそらした。


「はあ。それならよかったです。……それより、Bb9さんはさっきすごい自転車こいでませんでしたか?」


「はい。充電完了いたしました。久しぶりにいい汗かきましたね」

 Bb9は30階のボタンを押す。エレベーターのかごはゆっくりと上昇していった。


❀ ❀ ❀


 そこは空の本棚と、空の薬品棚、クローゼット、デスク、部屋の中央に作業台があるだけの研究室だった。


「狭い部屋ですが、コピー様が用意してくださいました。どうぞご自由にくつろいでくださいね。食事の時はお呼びします。トイレ、シャワールームは32階の奥にございます」


「ありがとうございます。つい最近あったばかりなのにこんなに良くしていただいて……」

 イオは今更ながら恐縮した。


「いえ、お礼なんていいんです。当たり前のことをしたまでだとコピー様は言いますよ。コピー様はこの楽園に生きるすべての人に命を与えるのが仕事です。その命が困っていたら助けるのはごく自然のことで、あの手術台にのせられたあなたも、その瞬間からもう、例外ではないんです」


 Bb9はイオの手に部屋の鍵とメモを握らせた。

「これは地下に住む科学者の住所です。あの様子だとコピー様はしばらく起きないでしょうから、明日、ぜひ行ってみてください」


 失礼します、と小さく言ってBb9は出て行った。

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