5 王の訪問

「どうだ?いい標本だろ。よく色がでてる」

 コピーはBb9の腕に抱えられたままテンキュウに言った。


 黒の塔の地下は巨大な冷蔵庫となっている。たくさんの魂を入れられるのを待つ肉体や、古代の生物や植物の肉体がホルマリン漬けにされて異様な光景を作っている。


 ひときわ大きな瓶の前に立つテンキュウは液体の中に浮くエンシェの肉体を見上げた。このエンシェの内臓はすでにコピーによって抜かれ、臓器ごとに漬けてあることは事前に聞いていた。今日ここに王自らが足を運んだのはほかでもない、UFO騒ぎで王宮を騒めかせたエンシェのその後を確認するためであった。王宮では尾ヒレのついた噂が二三飛び交っているが、それを口外したものは片っ端からケビイシが獄中送りにしている。


「ああ。このにおい以外は最高の部屋だ。――もういいからここを出ないか?」


 ホルマリンのにおいと、これから生まれてくる生命たちの不気味な姿に我慢できなくなってテンキュウはBb9に言った。楽園のトイロソーヴはすべてコピーの作りだした肉体――コピー本人はよく器という――にコピーが特殊な技術でもって生命を吹き込むことで誕生する。いくらヒトの生まれる前の姿だといっても不気味なものは不気味だ。背後にあった魚の標本と目が合い、テンキュウは顔を引きつらせた。地下室のひんやりとした空気もあいまって背筋がぞくりとする。


「そうだな。私も自分のコレクションルームを長々と人に見せておきたくはない。気が済んだなら上に戻るとしよう」

 コピーはテンキュウの様子を一瞥すると、軽く肩をすくめて言った。


 リンゴーン。インターホンの音が鳴り響いた。


「ちっ、こんな時に客か。ハナビシ、ここは秘密の部屋だから存在を人に言うなよ。私たちは応接間で客の応対をするからその間食堂かどこかで待っていろ」


「いや、気遣いはありがたいが遠慮しておく。用は済んだことだし私はもう城に戻ることにするよ」


「そうかい。気をつけてな」

 コピーは手をヒラヒラ振るとBb9に命じてテンキュウとともに玄関ホールへ向かった。


❀ ❀ ❀


 イオは黒の塔の玄関の前でじりじりしながら待っていた。手には旅館から頂戴してきた歴史の教科書。ドアが開く。


「おい、コピー、ここに書いてあることって……」

叫びかけてふと相手が自分と同じトイロソーヴだということに気が付く。


「あ、すみません」

 一目見て相手のオーラに気圧され、イオは慌てて道を譲った。茶色の髪に赤紫色の油断のなさそうな目。服装は和服で、頭には長い烏帽子のような冠。その男はイオをちらりと一瞥するとふんと鼻をならし、そのまま行ってしまった。


「あ、イオ様。ようこそいらっしゃいました」

 男の態度にあっけにとられるイオにBb9が塔の中から呼びかけ、入るように促した。


「またお前か。過去に帰るんじゃなかったのか」

Bb9の腕の中でコピーが言った。


「言ったろ。お前の作ったタイムマシンとやらは大破してるって」


「今日はそれとは別に聞きたいことがあってきたんだ」

「ほう」


 Bb9はイオを食堂に通した。


「質問は昼食を召し上がりながらなさってはいかがでしょう。ご主人様も人とともに召し上がる食事は久しぶりですし、楽しいと思いますよ」


「いや、50時間と34分前にも他人と食事をした。久しぶりじゃない」

 コピーは真顔で訂正したが、Bb9は取り合わずにコピーを食堂の長い机のお誕生日席に座らせた。


 イオはその向かいに腰を下ろすとすぐに切り出した。

「あなたは900年以上生きているんですよね?」


「そうだ」

 コピーは頬杖をつき、表情筋を動かさずに答えた。


「じゃあ、楽園創設当時からここにいて、歴史のすべてを見てきたということで間違いないですね?」

「そうだ」


「イオールの雲について教えてください」

「……」

 コピーは無表情だ。


「――どこでもらったか知らんがお前は今教科書をもっているじゃないか。自分で読んでみたのか」


「はぐらかすなよ。もちろん読んださ。書いてある記述はこうだ。――2128年。第5次世界大戦がはじまる。この時、保存都市計画が各地で始まる。その11年後、世界初のトイロソーヴへの同化が成功する。2155年。保存都市No.007(楽園)がアマハラによって完成する。2160年。『イオールの雲』によって全世界が滅ぶ。2161年。楽園の一代目の王にリエイが就任する――」


「書いてある通りだ。すべて実際にあったことがありのままに簡潔に書かれている」


「この世界は一度滅んでいるのか?」


「もちろん」


「世界が滅びるなんて一大事だと思うんだけれど、その割にはこの世界を滅ぼした『イオールの雲』についての記述が少なくないか」


「それは仕方がない。教科書にかけるような生易しい出来事でないからカットされてしまっているだけだ。後世に教えるのを放棄したり、なかったことにして歴史を改ざんしようなんていう意思は全くない。書く必要がないだけだ。みんな生まれながらにして知っている。この世のすべての人間のDNAには恐ろしいトラウマとともに焼き付けられているから」


「でも僕は知らない」


「過去に帰りたいとぬかすエンシェには必要のない知識だ」


 Bb9が昼食を運んできた。かつ丼だった。しばらく二人は無言でかつ丼を食べた。その時、イオの頭にはぼんやりと浮かんでいた仮説がくっきりと像を結び、恐ろしさに鳥肌が立った。しかしそれと同時にイオの脳内ではアイデアが生まれていた。イオは注意深くコピーを見た。900年以上生きている、およそ現代人にとって人ではないような人物をもうまく利用して過去に帰るアイデアが。


「……イオールの雲には時間移動が関わっている。そうだろう」


「……」

 コピーが黙り込む。これは間違いない。イオはさらに一歩踏み込んだ。僕はなんとしても過去に帰らなくてはならない。


「だから時間移動の研究者である僕に教えたくなかったんだ。プロセスはこの教科書の一文からは読み取れないが時間移動の技術が暴走したんだろう。その末路が世界を滅ぼしたから。他の教科書、主に理科の教科書も読んだが、僕の時代には普通に知られていた基礎的な技術についても全く書いていなかった。――教えてくれ。時間移動の技術はどんなふうに世界を壊した?」


「それがお前に理解できたとして、それが何になる」

 コピーは真っ赤な瞳でどんぶりの底を見つめながら言った。


 イオは唇をなめた。もう一押し。

「僕が止める。僕は楽園ができる数十年前の時間移動の研究者だ。イオールの雲について教えてくれたら、過去に帰って技術をそれっきり闇に葬り、イオールの雲を最初からなかったことにしましょう」


「前私が言ったことをもう忘れたか。エンシェは本当に記憶力が悪いんだな。過去に移動するのは不可能だ」

 机をこぶしで叩き、コピーは声を荒げた。


 イオはワイシャツの胸ポケットからUSBチップを取り出した。

「いや、可能だ。封印しただけだろ?この時代の技術でできないはずがない。やろうとしないだけだ。イオールの雲がそうなんだろ。僕を過去に帰してくれ。タイムマシンのフレームはここにある。あとは正しい肉付けだけ。でもあなたの協力がないとできない」


 コピーはばっと勢いよく顔をあげてものすごい形相でイオをにらんだ。赤い瞳はシャンデリアの投げる輝きを受けてちらちらと光を放っているかのようだった。揺らぐその光は憎しみとわずかな期待の上で揺れているようにも見えた。


「忌まわしい歴史は最初からなかったことにできる。禁忌とされる技術だけれど、僕をたった一度過去に送ることができたなら、それ以降使われるという心配からも永遠に解放される」


 イオは立ち上がる。


「僕ならできる。僕に、協力してください」


❀ ❀ ❀


 不思議だ。とコピーは思った。

 すでに真っ赤になった手術台の上のエンシェの心臓を丁寧に切り取り、切り開いて顔に近づけて見る。すでに精神はトイロソーヴの器に同調済みなので身体本体はすぐに適切な処理を施して液中で保存しなければ次第に腐りゆく。死体と同じである。標本のために一刻を争う事態ではあるが、コピーの目は心臓の弁を映していた。弁が二つほどない。それに加え、心臓以外の臓器にもところどころ欠陥が見受けられ、足の指は三本なくなっている。手の爪がいくつかと耳たぶは無くなり、鼻の孔に至っては右の孔の中だけは鼻毛が一本も生えていない。病気や摘出で失われたとは思えない不自然さだった。コピーは心臓をまた元通りに縫合し、Bb9が差し出したガラス瓶の中に入れた。


 これが時間移動の代償なのかもしれない、とコピーは思った。身震いすると同時に久しぶりに出会う未知のものに対してわくわくする感情が沸いているのに気付いた。900年間お目にかからなかった新たな脳に満ちるホルモンを発見したかのような気さえした。年齢は300を超えるころ数えるのをやめた。楽園に刻まれる歴史だけがコピーの年齢のだいたいを示した。


「ご主人様。もやもやしていますね」

 Bb9が言った。


「あぁ……、知りたいなあ」

 コピーは天井を仰ぐ。その周りにはゆっくりと青白い煙のようなものが渦を巻き、部屋に満ちていった。


❀ ❀ ❀


 コピーはテーブルの向かい側のその青い目を見つめた。


 私は長らく自分のことを変化を厭う保守的思想だと思いこんでいたがどうやら違ったらしい。あるいは、私は私が思うよりもずっとこの人生に退屈していたのかもしれない。初めて出会ったとき一筋の青い光が単調な人生に差し込んだような気がしたのだ。人は魔が差したと指をさすだろう。でも少しだけその光を追ってみたい気がしていた。コピーは自分だけに聞こえる大きさでつぶやいた。


「ヒトヒはきっと許してくれる」


 コピーも立ち上がった。二人は悪趣味な食堂の真ん中まで進み出て向き合った。


「いいだろう。約束は守れよ。スズヤ」


 二人は固く握手を交わした。

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