雷の鳴る頃

 私は雷が好きだ。


 闇の中、青白く、時に紫色にも見える閃光。

 空を割るように駆ける稲光いなびかり

 大地を揺らす雷鳴。

 

 真夏の雷の盛んな時期になると、私は暗いマンションの一室で、山に落ちる幾筋もの雷の競演を飽きるまで堪能する。

 女性なのに『キャー』とも『怖い』とも反応しない私は、少し変わっているとも言える。

 

 一方、2歳年下の妹は違う。

 小さな遠雷の音が聞こえただけで悲鳴を上げて震えあがり、カーテンを閉め、音も光もなるべく見ないようにする。

 それは、大人になった今でもそう変わらない。

 

 両極端な反応をする私たちだが、元は幼いときに経験した、ひとつの共通した出来事がゆえのことだった。


   *


 私が小学生の頃、夏休みは決まって祖父母の家へ一週間ほどお泊りをしていた。

 父の実家は山の中だ。小さな商店まで出るのに車で30分かかる。スーパーなら1時間。

 それほどの山の中だ。

 何もない。けれど、それほど山の中になると覚悟が決まるもので、猫を追いかけて遊んだり、裏山に入りカブトムシやクワガタを獲りやキイチゴを食べたりして遊んでいた。


 一方、母の実家はもう少し街だった。

 歩ける距離に駅があり、車で20分もすれば新幹線の駅もある。

 とはいえ、近所のスーパーまで車で10分。

 近い公園まで1キロ程度と子供の足で行くには少し遠かった。 

 

 その出来事は、母の実家でお泊りをしているときに起きた。

 祖父母の住む家で過ごし3日目にもなると、もう家の中でかくれんぼをしてもすぐに見つかってしまい、私も妹も飽き飽きしていた。

 地方のローカルテレビ局は、アニメ番組も少ない。

 何もすることが無くなった私と妹と従姉弟いとこたちは、公園まで行くことにした。

 母方の従妹は歳の近い子が多かった。


 それでも、妹以外はみんな年上で頼りになる。

 一番上は中二のしっかりもののミコト姉ちゃん。

 次は中一のお調子者のヒロヤ兄ちゃん。

 次は小六のスポーツ万能のケンジ兄ちゃん。

 そして、小四のお転婆な私、らん。

 小二の生意気な妹のりんちゃん。

 その日のメンバーは、この5人。


 今思えば、中二のお姉ちゃんに私や妹の面倒は、かなりの負担だったと思うが保護者達は、みんなミコトお姉ちゃんの言うことなら聞くので大丈夫だと判断して、送り出してくれた。

 ただ、その日大きな誤算があった。

 私たちは、出発してから2カ所ある公園のどちらへ行くか再検討し、急きょ行き先を変更したのだ。

 保護者達には、北にある林公園に行くと告げたのに、西にある土管公園に向かった。

 林公園は、取り立てて遊具のない空き地のような場所で私や妹にはあまり面白みがない公園だったからだ。

 土管公園は、土管を模した大きなトンネル型の遊具やブランコ、鎖をつないだタワーのような高いジャングルジムがあった。

 私と妹が幼かったために、年長者たちは遊具がある公園がいいだろうと気を使ってくれたのだ。

 そして、それが良くも悪くも働いてしまう……。


  *


 下に線路が通る大きな太鼓橋を、5人はえっちらおっちら渡る。

 中学生や高学年の男子なら走り登る坂も、私や小二の妹には激坂だ。

 一番年下のりんちゃんに合わせて、私とミコト姉ちゃんはゆっくり歩く。

 妹の面倒は私が見なければと、妹の手を取り私は黙々と足を進める。

 私が手引いても『つかれた~』とこぼす妹も、中二のミコト姉ちゃんに手を引かれれば『わたし、がんばる!』など言い、途端にいい子になるのだから不思議だ。

 登りは急な坂であったが、降りはすいすいの下り坂。

 転げるようにその坂を下ると、右手に土管公園が見えてきた。

 家の屋根に届きそうなほど大きなジャングルジム。それは、青い支柱を中心に、くさりを編んだ円筒をしていてひときわ目に付く。

 その隣には、コンクリートを白く塗った土管状のトンネル。

 二つの黄色いブランコもある。

 さほど大きな公園ではなかったが、幸いにも他に遊ぶ人影はなく、私たちだけの公園のように思え、坂道を上り下りした道すがらのつかれも忘れみんなで走り回った。


   *


 その日は8月だというのに、雲の多い湿度の高い日だった。

 猛烈に暑いわけではなかったことが、公園に出かけるきっかけになっていたが、それがゲリラ豪雨の前触れであることは、私たちは知らなかった。

 公園について、遊具で30分ほど遊んでいると、ゴロゴロという遠雷が聞こえた。

 まだ、遊び足りないが雨が降ってきたら、歩いて子供の足で30分ほどもかかる道のりが厳しくなる。

 そう判断したミコト姉ちゃんが言う。

「来たばかりだけど帰りましょう」

 苦労して来たばかりなのに、もう帰らなければいけないことに、みんな頬を膨らましたがミコト姉ちゃんの言うことは絶対だ。

 ミコト姉ちゃんは、いつもニコニコしていて、優しくてお淑やかでみんなのあこがれのお姉さんだ。

 だからこそ、そのミコト姉ちゃんが厳しく言うときはそれが必要なことだと分かる。

 弟のケンジ兄ちゃんは、ミコト姉ちゃんには頭が上がらない。やんちゃなヒロヤ兄ちゃんさえミコト姉ちゃんには逆らわない。

 年功序列がこの小さな従姉弟いとこコミュニティーの中に存在しているのは不思議だが、それはよく考えると年齢や腕力の差ではなく、明確な知識量の差であったことをこの後知ることとなる。

 

 *


 私たちは、名残惜しい気持ちを持ちながらも公園を後にした。

 また、橋を渡らなければならない。

 しかも、先ほど勢いよく下ってきた坂は、戻りは、急な上り坂に変貌する。

 憂鬱な足取りで、坂を上り始める。

 すると、思いのほか早く雨がポツリと降り出した。

「あ、雨だ……」

 私はそう言って、鈍色の空を見上げる。

 薄曇りだった空が、いつの間にか重く立ち込め黒く見える。

 その声がきっかけになったかのように、雨粒は大きくなり、一気に降り始めた。

 水玉模様だった足下のコンクリートは、雨で真っ黒に染まる。

 傘を持っていない私たちは、すぐにずぶぬれになった。

 橋には雨宿りできる軒も家もない。

 この先、30分近くも歩いて戻れるのだろうか?

 私は、急に不安になり泣き出しそうになる。

 けれど、私が泣き出したら妹はもっと泣くだろう。

 私は、ぐっとこらえた。

 そして考える、どこか雨宿りができる場所はないかと……。

 その時、ミコト姉ちゃんが妹と私の手を取り言った。

「公園の土管へもどろう!」

 私は、うんうんとうなずいて駆け出す。

 妹もべそをかきながらも、懸命に走った。

 ヒロヤ兄ちゃんもケンジ兄ちゃんも、それがいいとすぐさま賛成し、あっという間に消えてしまった。

 二人は足が速い。私もクラスでは走るのが早い方だったが二人には到底かなわない。

 それが悔しいときもあったが、今はただただうらやましい。

 私も妹も完全に足手まといになってしまったからだ。


 ひとつの土管に5人でぎゅうと入る。

 とりあえず、大雨はしのげた。

 けれど、この雨はいつまで降るのだろう?

 滝のように降る雨は、遠くに見えていた建物すら白く塗りつぶす。

 時間がとても、長く感じられてどんどん嫌なことばかり考えてしまう。

(このまま、雨が降り続けてここも水浸しになったらどうしよう? このまま、家に帰れなかったら? お母さん、心配してるよね……)

 母親のことを思い出したら、途端に涙腺が緩んだ。

 既に、小二の妹はわんわん泣いている。

 私は、私まで泣いてみんなを困らせてはいけない。

 お姉さんなのだから、私が妹を守らなければいけないと、泣いているりんちゃんの手を握った。

 雨音と共に、どんどんゴロゴロという雷鳴が近づいていた。

  

 ピカッと雷で周りが明るくなり、りんちゃんは大声で泣く。

 私は、雷の音が聞こえないように妹の耳を塞いだ。

「りんちゃん、大丈夫だから泣くなよ。歌でも歌おうか?」

 と、おどけた様子でヒロヤ兄ちゃんがアニメの主題歌を歌い始めた。

 最初は、こんな時に歌なんて歌えるわけがないと思ったが、ヒロヤ兄ちゃんはりんちゃんの気を紛らわそうとしてくれていると分かり、私も小声で歌ってみた。

 ちょっとだけ、雨音が気にならなくなったが、雨は一向に止む気配はなかった。

 私が歌ってるとまた、周りが明るくなった。

「1,2,3、4……」

 すると、ミコト姉ちゃんはゆっくりと数を数え始めた。

 バリバリという空を引き裂くような雷鳴があたりに響き渡り、私の歌は叫び声に変った。

「さっきより、どんどん近づいてるね……」

「そうなの?? どうして分かるの?」

「カミナリは、光ってから音がするまでの数で距離が分かるんだよ」

 とミコト姉ちゃんが教えてくれた。

 私は、ミコト姉ちゃんは何でも知っていてすごいと感心したが、同時に少ない数はそれだけ雷が近くにいることを示している。

「ねえちゃん、俺とヒロくんで親呼んでこようか?」

「ううん。危ないから今はダメ。カミナリが鳴りやんでからにしよう」

 ケンジ兄ちゃんの提案に、ミコト姉ちゃんは冷静に答えた。

 

   *


 その頃、私たちの両親たちは大雨の中、林公園に向かっていた。

 完全なるすれ違いだ。

 雷の鳴る中、行先であったはずの公園に私たちの姿を見つけられなかった大人たちは、ずぶぬれになりながら探し回った。

 そして、結論として真逆の位置にある土管公園に行ったのでは? という結論に達したそうだ。

 まだ、携帯電話のない時代だった。

 その事実を拠点である祖父母の家に伝えるにも、やはり一度戻るしかない。

 時間ばかりが過ぎていく……。


   *


 大雨はどのくらい続いたのだろうか?

 幼い私の感覚では、2、3時間は経っていたような気がするが、実際には1時間もない出来事だったようだ。

 雷雲は、運悪く私たちの頭上まで迫っていた。

 閃光と同時に『ドーンッ!』という落雷の音が響き渡り、私と妹は泣き叫んだ。

 さすがのミコト姉ちゃんも耳を塞ぐ。

 雷が人間にあたると死ぬと言うことは、小学4年生の私は知っていた。

(ああ、もしかしたら死んでしまうかもしれない)

 そう思い私は怖くて怖くてしかたがなかったが、妹を守るため抱きしめた。

 妹のりんちゃんは『おかあさぁん、おかあさ~ん!』と、火がついたように泣いている。


 土管の開口部から外を見ると、鎖を編んだ高いジャングルジムが目に映った。

(カミナリって、鉄の高いものに落ちるんじゃなかった……?)

 私の嫌な予感は的中する。

 あたりがパッと明るくなった瞬間、ギザギザの稲妻がジャングルジムに伸びた。


――― ズダドーーーーンッ!!

 

 同時に、耳をつんざく雷鳴に、私は目を見開き固まる。

 さすがにミコト姉ちゃんも叫び声を上げた。

(い、いまそこに落ちた……!?)

 呆然とする私たちは、雷がおさまるのをただ祈ることしかできなかった。

 

   *

 

 救いの手は、意外なところからもたらされた。

 ジャングルジムの向こう側から、誰かが叫んでいる。

「おおーい! 誰かいるの?? こっちへおいでー!!」

 ジャングルジムの向こうにある、建物の一階から女の人が数人、こちらに向かって手を振っていた。

「こっちだよー!!」

 なぜ、そんなところから声を掛けられているのか分からないが、とにかく今唯一の救いの手だ。

 しかし、知らない人に付いて行ってはいけないとも言われている。

 どうすればいいのか……?

 ミコト姉ちゃんを振り仰ぐと「行って、電話を借りよう」と言った。

 ああ、そういう手があったかと、そんなことも思いつかなかった自分に驚いた。

 祖父の家の電話番号など知らない私には、思いつかないのは当然だ。

「5人いまーす! たすけてくださーい!」

 ヒロヤ兄ちゃんとケンジ兄ちゃんが大声で返事をする。

 すると傘をさしたエプロン姿の女性が、数本の傘を携えながらぬかるんだ地面を走って来た。

「怖かったでしょう? あそこは幼稚園だから大丈夫よ。一緒に行きましょう」

 と、手を差し出してくれた。

 私たちは傘を受け取ると、走って幼稚園へ避難した。


 今日は、幼稚園は夏休みだったが運がいいことに先生たちは仕事があり出勤していた。

 雨の中、なにか声が聞こえたが大雨でかき消され、雨足も強く良く見えなかったそうだ。

 やっと雷がおさまり、よく見れば土管の中に子供たちがいて驚き、あわてて声をかけてくれたとのこと。

(たすかった……)

 私は、渡されたタオルで水気をとりながらやっと安心してイスに座れた。

 ずっとしゃがんでいて、足が少し痛かったがそれもどうでもいいことだった。

「お父さんお母さんを呼んであげるけど、電話番号はわかる?」

 先生は、一番年長者のミコト姉ちゃんに聞く。

 ミコト姉ちゃんは、おじいちゃんの家の電話番号を暗記していた。

 私は、自分の家の電話番号は分かるが、さすがにおじいちゃん家の電話番号までは把握していなかった。

 やはり、ミコト姉ちゃんはすごいなと、私は羨望の眼差しで見つめた。

 

 そうして、無事に両親たちが車で迎えに来た。

 告げた行先と違うところに行ったことをこっぴどく叱られもしたが、泣きながら抱きしめられればそれも仕方のないことのように思えた。

 ずいぶん探し回ってくれたのだろう。

 親たちは私たちよりもずぶぬれだった。


   *


 こうして、私たちは雷の中、無事に生還した。

 ミコト姉ちゃんは行先を違えたことを反省したが、大人たちからはみんなを守ってくれたと褒められた。

 ヒロヤ兄ちゃんとケンジ兄ちゃんは冒険だったと武勇伝ができ喜んだ。

 私はというと、あれより怖い雷はもうないはずと開き直り、妹のりんちゃんは雷がトラウマで大嫌いになった。

 

 もう、祖父母も亡くなりもうあの家には誰もいないので、従姉弟いとこ同士で一斉に集まることもない。


 ただ、大人になった今でも雷が鳴る頃になると、妹のりんちゃんは不機嫌になり、私はりんちゃんの手を離さなかったと少し誇らしい気持ちになる。


 私は、あの日より恐ろしい雷にまだ出会ったことはない。




* * * 


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