十話

 生徒が黙々と問題を解いている。解答の正誤をみるために、私は横からそっと覗いてみた。よし、と私は思った。八割ほど合っていそうだ。壁に掛けられている時計に目をやる。それから私は自分の腕時計にも目を向けた。教室の時計の方が若干早い。


「はい、おしまい。丸つけしまーす」

「ふう、疲れたあ」

生徒は机の上に、持っているシャーペンを静かに置いた。

「横から軽く見てたけど、結構できてたよ」

「ホントですかあ?」


生徒はしばらく私が丸つけする様子を静かに見ていた。それが半分くらい終わったところで、

「先生、私、また彼とケンカしちゃった」

と、切り出してきた。

「ああ、例の彼ね。ヒロシ君、だっけ? 今回はどうしたの?」

生徒の解答に丸つけをしながら、私が訊く。


「ホントいつも下らない理由なんですけど、アイツったら、私が待ち合わせの時間に十分遅刻しただけですんごい怒ってんの」

一人持ちの時、つまり一対一の授業の時は、生徒の愚痴話にじっくりと付き合ってやることができる。けれど二人持ちの時は、こういう話に付き合える余裕はあまりない。


「それでミユキちゃんは何て言ったの?」

「こないだ、道を歩いててすれ違った全然知らない女の子のこと、カワイイとか言ってたの思い出して逆ギレしてやりました」

「ふふふふ。そうなんだ」

「そしたら、今はその話全然関係ねーじゃん、とか言ってもっと怒りだして・・・」


 どちらかと言うと、これは男の人よりも女の人に多いような気がするのだけれども、女の人の方が過去の気に入らなかった記憶を呼び覚まし、今と直接関係のないことを持ち出して捲し立てることが多い気がする。


 どうしてだろう?


 女の人の方が、この際全部言ってしまえ、という衝動に駆られやすいのだろうか? そんな考えが頭に浮かんでいた。果たして、私も、私自身も、そうなのだろうか?

 

 よく分からない。



「そのうちきっと仲直りできるわよ」

一呼吸置いてから、私は素直な意見を述べた。

「そうですかね・・・。今回ばかりはもうダメかも 」

「ふふふ。いつもそう言って、結局は仲直りしてるじゃない」


そう言ってミユキちゃんに微笑みかける。


「先生、私、先生みたいな美人さんになりたい」

「あら、あたしなんかよりミユキちゃんの方がずっとカワイイわ」


ミユキちゃんは勢いよく首を横に振っている。


「どうしたら先生にみたいになれるんでしょう?」

「あたしみたいに?」

「はい」

ミユキちゃんの表情は真剣そのものだった。


「私の周りの女の子って、皆、男にモテようとして変に色気付いたりしちゃってるんだもん」

「それは普通のことじゃない?」

「そうなんですけど・・・。石川先生みたいに、良い意味で色気のない美人さんになりたいなあ」


 どうやら、私のことを本当に誉めくれているらしい。私は恐れながらも、彼女のありがたいお誉めのお言葉に対し、

「あたしみたいになんか、ならなくていいよ」

と、申し上げる。

「どうしてですかあ?」

「どうしても」


 私はミユキちゃんから視線を外し、前方の空間を何気なく見つめていた。微かな笑いを浮かべて。

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