第16話 勇気を出して

 午後六時五十分。十分ほど前に自宅に帰り着いた私は、ごちゃごちゃと色が混ざる自室で葉月と膝を突き合わせていた。


「で、一人じゃ怖くて電話かけられないから私を呼んだと」


「ごめん……」


 私が肩をすくめると、葉月はテーブルの上に広げた手紙を見て、面白そうにニヤリと笑った。


「しかし、下駄箱に手紙なんてずいぶんと古風というか奥ゆかしい王子様だね。堂々とすればいいのに」


「まあ、こうするしかないというか……」


――学園の王子様が【不詳】に携帯番号を教えたことが取り巻きにバレてしまえば、事件に発展しかねないということは、翠川くんもわかっていたのだろう。


 教室の机にしなかったのはきっと、私と翠川くんの下駄箱が斜めとはいえ隣同士だからだ。万が一誰かに見つかったとしても、どうとでも言い訳ができる。


 とりあえずこの手紙のことを本人に確かめたくても、今日は隣の席に座る鍵山くんにずっとまとわりつかれて、離れた席に座る翠川くんには近寄ることもできなかった。


 ちなみに昼休み明けの五限目は、能力ごとの座学の時間だった。鍵山くんはこの時、何かの用事で担任に呼び出されていて授業には来なかった。


 隙ありと思ったけれど、能力の違う私と翠川くんはそもそも別々のクラスだし、詰み。しかも、翠川くんは五限目が終わった後、教室には現れなかった。用事があって早退してしまったらしい。


 帰り道、電車の待ち時間に、手紙に書いてある番号にかけようとしたけれど勇気が出なかった。


 で、結局いつものように葉月にメッセージを送り……今に至るというわけだ。


「友達なのに連絡先知らないなんてびっくり」


「ほんと、よく考えたらおかしいよね」


 今まで、翠川くんと携帯の番号や、メッセージアプリのIDを交換しようという発想にいたらなかった。久しぶりに新しい友達ができたせいで、そのへんの作法をすっかり忘れていたのか。


 相手が王子だなんて呼ばれてる人だから、心のどこかに壁があったのか……自分でもよくわからないけれど。


「ていうか、相手も超能力者なんでしょ? 電話なんか使わずに、なんかこう、ビビッと飛ばせないの?」


 葉月は思念を送っているつもりか、こちらをじっと見つめて人差し指を立ててクルクル回す。私も同じポーズをとって、飛ばされたものを受け取って返す。


「飛ばされたところで、残念ながら私にはアンテナがないというか。相手がテレパシーの使い手だとしても、自分がそうでないなら普通にやり取りするしかない」


「えっ! 不便!!」


「あと、普通は相手に触らないとダメらしい」


 この一言に、葉月はガッカリしたようだ。


「ええー!? あんまり不思議じゃない!! 超能力者、あんがい普通の人じゃん」


「そうだよ、あんがい普通の人なんだよ」


 テレパシスト、と言うかESPは本来なら知覚できないはずの情報を自分の脳波とリンクさせて増幅させ、読み取る能力。


 テレパシーだけではなく、遠くの音を聞き取ったり、箱の中身や壁の向こうを透視できる人もいる。


 ちなみに、人の思念というのは情報量がちょっと多いらしくて、何を考えているか読み取るところまで行くには通常、素肌に触れる必要があるらしい。


 対象の生体信号を取り込み、それを自分の脳波とリンクさせて思念と呼ばれる部分を解読、みたいな感じだったか。慣れた人だとその能力を応用して、身体の調子が悪いところがわかったりもするらしい。


 まあ、そもそも自分には能力がないから、原理を説明されたところでどういう感覚なのかよくわからないけれども。


 逆にPKは脳波や生体信号を増幅させてエネルギーに変換し、外に発する能力。モノを動かしたり、飛ばしたり、珍しいのだと火を起こしたり、怪我を治したりもできる。


 まあ、あとはモノを壊したり、【不詳】に嫌がらせをしたり……おっと失礼。偏見が過ぎました。とりあえず、自分の中にあるものを外に出す能力ということで、こっちは私にもイメージしやすい。


 でも、念動や念写ができるかといえば……できない。何をどうしても私には染めることしかできない。まったく、世の中上手くいかないものである。


「まあいいや。とにかく、あんたは今から電話かけて、彼をデートにでも誘いなさい」


 葉月からの突然の無茶ぶりに、びっくりしすぎて舌を噛み切りそうになってしまった。


「待って待って待って!! どうしてそうなる!? ダメだよそんなの、家もめちゃくちゃ遠いのに、だいいち私はこんな見た目で」


 声をひっくり返してうろたえた私に、葉月は腕を組み、猛禽のように厳しく光る目を向けてきた。あまりの迫力に、シュルシュルと萎びてしまう。


「いくじなしめ。最寄り駅までの定期券も、移動に耐える根性もあるだろうが。だったらどこへでも行ってこい。だいいち、転校生や周りに邪魔されて学校では満足に話せないなら、そうするしかないよねえ?」


「それはそうなんだけど……彼には他に好きな子がいるし、釣り合いとかあるし」


 雨が止んだおかげでいくぶんかは落ち着いた髪を撫でる。


 この母譲りの癖毛にも、父譲りのぺちゃっとした団子鼻、スイカの種みたいな小さな目にも確かに愛着があったのに、今はちょっと憎らしいと思っている。


 だって彼の隣が似合うのは、もっと綺麗で輝いていて、誰しもが振り返るような女の子だから。自分がそうではないことに、胸の奥に墨を落としたような黒いシミが広がって、ツンと痛む。


「そんなの色葉がどうしたいかだよ。わかった。それなら、学校でお弁当食べるだけで、それ以外の繋がりはいらないよって言えばいいじゃない。きっと、色葉ともっと話したくて手紙くれたんだろうに、彼の気持ちを無駄にしちゃってもいいの?」


「それは……」


「本当はもっと仲良くなりたいんでしょ。隣の席も誰にも渡したくないんでしょ。だったら友達のままで終わっちゃうかもしれなくても、勇気を出して踏み出さないと。怖いからって立ち止まってたらその先もないんだよ」


 葉月は、下手な超能力者よりずっと強いと思う。だってこうして一緒にいるだけで、私の心を何もかも見通してしまう。こうして、強い力で私を引っ張ってくれる。


 本当に、絆を取り戻せてよかったと思う。だってここに葉月がいなかったら、私は心を黒く染めて、うずくまっているままだった。


 そうだ。怖くても、踏み出さなければ。ちゃんと翠川くんの気持ちを受け取らなければ。


――私は、先に進むことを決心した。


 よし、と通話アプリを立ち上げたスマホを握りしめたところで、ドアをノックする音。何となくスマホを背後に隠して、呼びかけに答える。


「おっ、お母さん、どうしたの?」


「色葉ちゃん、そろそろご飯よ。葉月ちゃんもよかったら食べていって」


 そうだ、もうそんな時間だ。私のお腹の虫は大きな声で返事をし、葉月はこれでもかとまんまるに開いた目を、キラキラと輝かせた。


「ええっ、私も一緒でいいんですか!? 嬉しいです!!」


「ふふ、ごちそうじゃなくて申し訳ないんだけど」


「そんな!! おばさんのご飯はワタクシにとっては大変なごちそうです!! 一週間頑張ってよかった……ありがたや……」


 母に向かって手を擦り合わせ、ペコペコと頭を下げる葉月。まるで神様の前にでもいるみたいだ。


 そういう葉月の家のご飯だってすごく美味しいんだけど……まあ、たまに食べる家とは違う味って格別だったりするから、拝みたくなる気持ちもわかる。


 ぐいっと持ち上げられた母は、頬をぽっと桃色に染めてちょっと得意げだ。


「あらあ、本当いつも上手なんだから。じゃあ、ふたりとも下りてらっしゃいね」


 まるで姉妹みたいに揃って返事をすると、母は笑顔でドアを閉めた。足取り軽く階段を降りる音が響くのを確認して、葉月がまた真顔に戻る。


「じゃあ、ご飯食べたら急いで電話だからね。ちゃんとついててあげるから、頑張って話しなよ」


「……うん」


 私は、しっかりと頷いた。

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