第15話 謎の君との昼休み

 昼休み。ここは東翔大学附属高校の食堂。ここは普通科と超能力科が共用する施設なので、両科に通う生徒でごった返していた。


 普通科と超能力科はこの食堂、購買部、それから図書館を挟むようにして、校舎が大きな渡り廊下で繋がっている。しかし、他科の校舎に立ち入ることは禁止されていることもあり、ほとんど交流はない。同じ学校なのに、体育祭や文化祭、卒業式や入学式も別々に行われるほどだ。


 制服は同じだけど、リボンやネクタイの色が違うので見分けられる。超能力科は藤紫……いわゆる薄紫色、普通科はこそれよりもう少し青みが強い、薄花色とでも言えばいいか。


 共用施設といえど何となく棲み分けがあるようで、よく見ると周りは普通科の子しかいない。


 しまったと緊張で背筋が少し硬くなったけど、彼女、または彼らはこちらをチラリと見はしても、指を指して笑うようなことはしなかった。考えてみれば、非能力者にとっては超能力者の序列なんて関係ないのだ。


 持ち込みが禁止されているわけではないみたいで、お弁当を食べている子は他にもいる。ひとりでご飯を食べている子も意外と多い。もっと早く知りたかったと思う。


 なるほど、今度から雨の日はここに来よう。


 私はそんなことを思いながら、母手作りのお弁当をちまちま突っついていた。


 雨は弱いながらも依然降り続いていて、窓の外の景色をぼんやりと灰色のグラデーションに染めている。そして私の心も、似たような色をしていた。


「おおー、出汁がほんまに茶色い!! でも、思ったよりないんやね。色濃ゆいんはなんでやろ?」


「知らない……」


「俺は青ネギの方が好みやねんけどなあ。こっちでは長ネギが主流なんやっけ」


「そうだね」


 向かいに座る鍵山くんは、おしゃべりでずっと口が忙しそうだ。私がそっけない態度を取ってもどこ吹く風といった感じで、きつねうどんの大盛りに手をつけるのもそこそこに喋り続けている。


「あー、青ネギとか言いつつ緑やね。おもろいわ」


「……早く食べちゃわないと伸びると思うけど」


「はっ、そうや、はよ食べんと、色葉ちゃんとデートする時間がなくなってまう」


 無邪気な微笑みに、頭の中が一瞬白くなって、それから赤くなった。


「「なんでデート!?」」


 ……ん?


 ざわめきの中で、誰かと声がピッタリ重なったことに気がついた。とても聞き覚えのある声ではあったけど、その持ち主を大勢の生徒たちの中に見つけることはできなかった。



 ◆



 食堂を出た私は、気持ち悪いくらいご機嫌な様子の鍵山くんを連れ、特別棟をぐるっと回り、訓練棟を目指して歩いた。


 もしかしたらと思って何度も後ろを振り返ったけど、の姿は見えない。


 さっきのは気のせい……だったのかなあ。


「アレって【不詳】?」


「彼氏いたんだ」


「モノ好きだよね」


 いつもひとりぼっちで有名なはずの私が、そこそこ見た目がいい男子と並んでいるせいなのか、すれ違う生徒がいちいち振り返ってきて、時々指をさされる。


「やっぱり人気者なんやね、色葉ちゃんは」


 こちらのどんよりとした気持ちも知らず、鍵山くんが目を輝かせたので気が落ちる。明らかに鼻つまみ者に向けられる態度でしょうが。やっぱりこの人、モノの捉え方がちょっと独特らしい。


「そんなわけないでしょ。【不詳】が生意気にも誰かと話しながら廊下を歩いてるのが珍しいだけ。ここでは先生ですら私を白い目で見るの。鍵山くんも前の学校でそうだったんじゃないの?」


 【不詳】なら、どこでも似たような扱いをされるものではと思ったけれど、鍵山くんはなぜかきょとんとしている。


「うーん、どうやったっけ? あんま気にしたことないわ。だってよそはよそで、俺は俺やし。比べたってしゃあないやん」


 なんて強いメンタル。私も大概強いけど、鍵山くんのはその斜め上をいく感じだ。


 鍵山くんは状況を楽しむように歯を見せて笑い、ヒソヒソ話をする女子に手を振って見せる。強がりでも何でもなく、本心で言っていそうだ。私は心を読めるわけじゃないから、なんとなくだけど。


「……そう。あ、訓練はたぶんこの部屋だから。今は私専用みたいになってるけど」


 訓練棟にずらりと並んだ部屋の中から、一番奥にあるひとつを選んで重い扉を開ける。ここはPKの能力者の中でも、出力レベルが低い生徒が使う訓練室のうちのひとつで、生徒の間では『落ちこぼれ部屋』『独房』なんて不名誉な名前で呼ばれている。


「へえ、こんな感じなんや。狭いなあ」


 彼の言うように、部屋はめちゃくちゃ狭い。窓がないので余計にそう感じる。PKの訓練室は事故防止のため窓がないのが普通。机や椅子、教卓は全て作り付けか、床に頑丈に固定されている。


 この部屋もとりあえずそうなっているけれど、入り口の扉が二重になっていなかったり、椅子や机が他に比べると簡素だったり、照明が明らかに少なかったりする。いちおう三人分の席はあるけど、先生と二人で向かい合っているだけで息苦しいと思うことも多い。


 元は物置だったという噂を聞いたことがあるけど、真実かも知れないなと思う。できないとわかっている能力者にしっかりした訓練室はいらないのかもしれないけど、他の部屋の様子を知っているとちょっと複雑な気持ちになる。


 廊下から中を見せるだけのつもりだったけど、鍵山くんが私の横をすり抜け、中に入ってしまった。彼は部屋の明かりをつけると、室内を物珍しそうに見回している。訓練室なんてどこの学校でも似たようなものだと思っていたけれど、違うのだろうか。


 防音だけはしっかりしている部屋で、ふたりきりになる気にもなれなかった。私は扉を押さえたまま、うろうろと室内を歩き回る彼の様子を覗いていた。


「なあー、ここでどんな訓練しとるん?」


 鍵山くんは三つある席のうち、いつも私が座っている席にストンと座る。たったそれだけのことで、何もかもを見透かされている気がして、背筋が冷たくなる。


「えっ? 念動とか、念写とか……」


「できたことある?」


 口ごもる私に鍵山くんは畳み掛ける。そんな、わかりきっていることをどうして聞くのだろう。何となく、この先は誰かに聞かれてはいけない気がして、私は部屋の中に入って扉を閉じた。


「……あるわけないでしょ。だって、私の力はそういうのじゃないんだから」


「……なるほど。まだ、ってことか」


「え?」


 まだ、という言葉が、どういう意味なのかは図りかねたけれど、また胸の奥を撫でられているような変な感覚がした。


 ドアを背に黙る私をじいっと見ている鍵山くんは、今までの軽々しい雰囲気ごと、あらゆる感情すらも全て脱ぎ捨ててしまったかのように、静かで澄み渡った表情をしている。


 胸の奥の、またその奥が冷たくなっていく。私は喉を掴まれてしまったように、動くことも、言葉を発することもできない。


 窓もなく、締め切った部屋に静寂が落ちる中、彼が左耳につけている銀色のピアスだけが何かを言いたげにキラキラと煌めいている。それとは対照的に、鍵山くんの瞳はどこかくらい。


 もしかすると、人懐っこく笑って、何を言われても軽く流していた彼は偽物で、こちらが本物ではないのか。冷たくて、暗くて、底の知れない、色のない――


「ねえ、か、ぎやまくん……って、何の能力をもってるの?」


 細まった喉からようやく捻り出せた言葉は、自分でもびっくりするほど辿々しかった。


 【不詳】とひとくちに言ってもいろいろな能力があるという。ESPやPKにどうやっても当てはまらないものは全てそうラベリングされるというのだから、当然のことなのだけど。


 私のは色を変える能力。ならば、彼の能力は何なのか。


「あー……それはまあ、今でなくてもええやん。さて、次どこ連れてってくれるん?」


 鍵山くんが、笑ってごまかしたのがわかった。また、色が戻った。彼の色はクルクル変わる。まるで猫の目のように。


 やっぱりこの人のことは苦手だ。一見無邪気なようでいて、瞳の奥にはやっぱり怪しげな色が揺れているからだ。捕まってしまったら逃げられない予感が、じとっと肌にまとわりついてくる。


 訓練室を離れて、廊下を並んで歩いていても妙な感覚が消えない。


 私がじいっと黙っているからか、鍵山くんは何も話しかけてない。触るなと言ったのを守ってくれているのか、触られることもない。鼻歌混じりに歩く彼は確かに隣にいるのに、少しズレた場所にいるみたいな隔たりを感じる。


「あとは外だけど……」


 私たちは、昇降口で足を止めた。あとは運動場やら、体育館やら、靴を履き替えて外に出る必要のある場所が残っている。


 でも、昇降口の外では、けっこうな雨が降っていた。嫌だなあ、でも、言われたことはちゃんとしないと、私と、私がせめぎ合う。


「まあ、今日は雨降りやから、ここでええんちゃう? ありがと。俺、先に教室戻っとくわ」


 鍵山くんは私の返事を待つことなく、ヒラヒラと手を振って去っていく。スキップを思わせるその足取りはやっぱり軽薄というか、信用も信頼もできない。


 いや、それ自体が引っかかるのではなくて、あの人懐っこい感じが、軽い感じが、何もかも全部演技であることを、私にわざと見せつけている気がする。


 それはまるで、私のことを試そうとしている、または真実は別のところにあると伝えようとしているかのように思えた。


 私も教室に戻ろうとした時、自分の下駄箱の扉が閉まりきっていないことに気がついた。不思議に思って扉を開くと、ローファーの中に雑に折り畳まれた紙が入っている。


 普通なら告白かとときめくところかもしれないけど、私に届く紙は高い確率で不幸の手紙に決まっている。近頃では止んだけど、少し前まではゲンナリする内容の紙切れを結構な頻度で受け取っていたのだ。


 画鋲も一緒に入れられてないかどうかを確かめてから、靴をしまって紙を広げた。


 罵詈雑言が書き付けられていることを予想したけれど、その文面は嫌がらせでも、はたまた愛の告白でもなく、まったく予想外のものだった。



『もし嫌でなければ、うちに帰ったあと電話をください。よろしくお願いします』


 その下には携帯の番号、そして謎の落書きが書かれているけど、それだけ。差出人の名前はないので、怪しい手紙には違いない。


 ここに素直にかけたが最後、本気にしたことを嘲笑われるとか、個人情報を密かに抜かれるとか、高価なツボを買わされるとか、そういう嫌なルートを辿るに決まっている。


 これもきっと【不詳】を狙った新手の嫌がらせに違いない。


 罠になんかハマるもんかと、そのままゴミ箱に捨てようとしたところで、下駄箱の横の傘立てに背の高い水色の傘が差さっているのが目に入った。


 あっ。


 そうだと思い出して、手紙を広げた。この角張った筆跡と、隅に描かれた――粘土の塊に割り箸を刺したみたいな形の、猫とも犬ともつかない生き物らしきもの――にはちゃんと見覚えがある。


 私は今にも溢れ出そうな色と一緒に、手紙を胸ポケットに押し込んだ。

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