閑話 恋の話で夜が更けて

 電車に長々と揺られ自宅の最寄駅に着いてみると、雨が降った形跡すらなかった。普通電車でとはいえ二時間の距離があると、さすがに天気が違うようだ。


 無事に自宅に帰りついた私は、母が作った美味しい夕飯を食べて、宿題をし、お風呂にじっくり浸かってから、自分の部屋に向かった。


 ドアを開けると、視界いっぱいに色が溢れている。


 能力を使い、あちこちを好きに染めまくった私のお城は、置いてあるほとんどのものが元の色を忘れてしまっている。


 カラーコーディネートなんてものは考えず、その時の気分でバンバン染めるため、葉月には『洗ってないパレット』と不名誉な名で呼ばれている。


 そのうえ、母ですら『この部屋は目がチカチカしてぜんぜん落ち着かない』と言うけれど、私にとってはいちばん心休まる空間だ。


 今日は色々あってすっかり疲れていたので、ベッドにひっくり返って目を閉じた。


 まぶたの裏に浮かんできたのは、なぜかまたぬいぐるみを抱いて眠る翠川くんの姿だった。羨ましいぬいぐるみめ、なんて馬鹿なことを考えながらウトウトしていた午後十時半、枕の横に伏せていたスマホが震えた。


 葉月からの電話だった。


「やっほー。色葉の学校がある方、今日すごい雨降ったんだって? さっきニュースなってたよ。大丈夫だった?」


 ……すごい雨、だった。確かに。


 それよりも、帰り道での出来事を思い出して、一気に目が覚めた。やっと心が静まったのに、また思い出してしまった。熱くなった顔を手で仰ぎながら、大きく息を吸う。


「……うん。電車がちょっと遅れてたけど。こっちは降らなかったんだね」


「そうなんだよー。雨で体育潰れたら嬉しかったのになあ」


 ああ、私も同じことを考えていたなあと、笑ってしまった。


 そこから始まった葉月の話は、今日も鮮やかな色がめいっぱい詰まっていた。勉強が大変だけど、とても充実しているようだった。


 先生からも生徒からも虐げられて、八割くらいドドメ色の青春を送っている私とは大違いである。


 ところで、ドドメ色って何色なんだろう? 確か諸説あるんだっけと、考えながら相槌を打っていると、


「ねえ、色葉はどうなの? あんまり喋ってくれないよね。やっぱり大変? いやまあ、大変に決まってるか。遠いってだけでもねえ」


 ずっと聞き役に徹していたけど、とうとう葉月から話をふられてしまった。


「あ゙ー……」


 出てきたのは、自分でもびっくりするほど低い声。


 今、どんな学校生活をしているのかを正直に話したら、きっと心配をかけてしまうだろう。だからあまり話したくない。


 かと言って、この場を盛り上げられるような面白い話もろくに持ち合わせていないわたしは、最初から奥の手……翠川くんとの話を繰り出すしかなかった。


「隣の席の男子と仲良くなったんだけど、それがまあめちゃくちゃモテる人で……」


 あらぬ誤解や期待を持たれぬよう、友人関係だと言うことを強調し、慎重に言葉を選んで話した。淡々と事実だけを述べる。いや、述べたつもりだった。


「なにそれ!! 学校イチのイケメン落とすなんてやるじゃん色葉!!」


「いやいやいや、待って待って待って」


 やっぱりダメだった。甲高い声に鼓膜を裂かれそうになったので、スマホのボリュームを落とす。


 大雨の中、ひとつの傘に入って帰ってきたことは黙っておいて正解だった。そんなエサを投げてしまったら、次はスマホのスピーカーごと本体を破壊されかねない――


――あれ、柚木さんから着信が何件も入ってるなあ。


「ねえ、その人と付き合ってるの? 色葉ってば。ん? どうした?」


 着信履歴に、柚木さんの名前がいくつも並んでいた。ちょうど家に帰り着いたくらいの時間と、お風呂に入っていた時間に集中している。電車に乗った時のまま着信音を切っていたので気づかなかったのだ。


 超能力者管理機構の柚木さんは、私が子供の時から十年近く、ずっと担当についている人だ。ふっくらしたお腹の中はどうなってるかわかんないけど、勝手に遠い親戚のおじさんみたいに思っている。


 繰り返し電話をかけてくることは珍しい気もするけど、用件はおそらくいつもの様子伺いだろう。特に言うことはないし、今は友達と話したい。無視して構わず通話アプリに画面を戻す。


「ああ、なんでもない……あと、彼ともなんでもない」


「うそだあ。だってさ、授業中にじっと見てるなんて、ただのラブじゃん……ベンチで並んでこっそりご飯……ラブじゃん……えっ、で、どこまで行ったの?」


――えっと、これって、場所のことじゃないよね。


 恥ずかしい。傘の下で身を寄せたこと、手が触れたことを思い出してだんだん顔が熱くなってきた。


 けど、私たちはそんな仲じゃない。前提からして間違っている。でも。


 薄桃色っぽい妄想と一緒に、ぶくぶくと色が溢れてきて、持っていたスマホが水色に染まってしまった。そういえばさっきはお風呂のお湯も染めてしまった。うーん、入浴剤いらず……じゃない。


 変なことを想像した自分が気持ち悪くて、胸の中は一気に灰色になった。


 葉月は電話の向こうでひたすら彩度の高い歓声を上げている。やっぱり恋する乙女の耳を通すと、ただ友達になったというだけの話も鮮やかな桃色に染まってしまうらしい。


 まあ、私も人のことは言えないけれど。今日のことを思い出すたびにそこら辺を水色に染めてしまう。こんな調子で明日からどうするんだろうと考えているうちに、また着信が入った。


 ……ごめん柚木さん。今はそれどころじゃないので、通話拒否させていただきます。


「色葉? どうしたの?」


「いやいや、違う違う。今の話をどう解釈したらそうなる。付き合ってない。惚れた腫れたとかじゃなくて、私の力が面白いと思って近寄ってきただけだって。だいいち、私の見た目は好みじゃないっぽいし。美形だからたぶん理想は高いんじゃないかな」


 彼は私に優しくしてくれるけど、私の見た目は好きじゃないみたいなことを言っていたし、他に好きな人がいるとも言っていた。


 あらためて思い出すと、針で繰り返し刺されているみたいに胸が痛む。そんなどんよりと鉛色な気持ちの私とは違い、葉月はまったく別のことを考えているらしかった。


「いや、彼は色葉のことが好きだと見たね。棒付きキャンディ百本、いや二百本を賭けていい」


――はい?


 私にはもちろん千里眼の能力はないけれど、葉月の目がキラキラの虹色に輝いているのがはっきり見えた気がした。


 キャンディが二百本、ざっと一万円くらいか。そんな大金を賭けるなんてどうかしている。大胆不敵なんてものじゃない。事実を糖分の力で捻じ曲げようとしているのか?


「じゃあ、私も『ありえない』に『何でも染めます券』二百枚を賭けるわ」


 片方だけだと賭けにならないので私も乗ることにした。こちらの元手がほぼタダなのが申し訳ないけど、バイトをしていない私にない袖は振れない。初任給で何か奢らなければと思う。


 電話の向こうから、大笑いの声が聞こえる。


「なにそれ!! めちゃめちゃ豪華景品じゃん。二百枚あったらだいぶもちそうだね。何染めてもらおっかな」


「いや、多分こっちがキャンディをもらうことになると思うけど」


「いやいや。色葉は自己評価が低すぎ。バッチリ可愛いんだからもっと自信持たないと。もしチャンスが来ても逃しちゃうよ?」


「……自分を客観的に見られるだけ」


「その彼、たぶん脈あるよ。絶対諦めちゃダメだからね」


「だーかーらー」



 ◆



 楽しい時間はあっという間に過ぎる。一時間半も喋ってしまって、寝支度を終える頃には日付が変わってしまっていた。


 朝は暗いうちには起きなければならないので、急いで布団に入る。


「諦めちゃダメ、か」


 ふと、先ほどの言葉がよみがえった。葉月は超能力者じゃないけど、私の気持ちにきっと気づいている。


 応援してくれるのは嬉しい。けれどキャンディ二百本分の気持ちは、私にはずっしりと重すぎた。


 読めない私には、彼の気持ちは知りようがない。でも、女子が苦手というのに一切の気兼ねなく接してくれるのは、私のことはそうは見ていないからに違いないだろう。


 今も好きな人がいるとも言っていたし、脈があるどころか、あまりにも道が険し過ぎるのだ。


 だから今は、明日会えることを無邪気に楽しみにできる方がいい。朝の挨拶を交わして、一緒にお昼ご飯を食べるだけの関係でいい。さいわいなことに、私はじっと耐える事には慣れているのだから。


 そうだ、耐えるんだ。我慢だ、色葉。


「よし、寝るぞ……」


 明日も早い。私はまぶたをむりやり閉じて、留紺の夜闇に身を溶かした。


 できれば、澄んだ水色の夢を見られることを願いながら。


〈次回より新章です〉

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