第29話 伯母の元へ

 テスト期間が終わった翌日の六月三十日が和子伯母さんとの約束の日だ。

 その前日の金曜日。午前中に学校から解放された俺たちは一旦、各々の家に帰り、荷物を持って東京駅に集合した。


「私、シンカンセンスゴイカタイアイスを一回食べてみたかったのよね」

「なにそれ? 変な名前。正式名称じゃないよね?」

「どうやら公式も乗っかったみたいよ……って本当に固いわね。これちゃんと食べれるの?」


 指定席での旅路は快適だった。

 神原さんは相変わらずSNSの更新に夢中で、今は新幹線名物の固いアイスをガリガリと削っている。

 車内販売のお姉さんは十分ほど時間を置けと言っていたが、話題に貪欲な神原さんが大人しく指定の時間まで待てるはずがなかった。


「それにしても両親に会いに行くってだけなのに、軽く旅行ね」

「泊まるのは旅館だし、旅行なのは間違いないな」


 キャリーバッグまで用意しているから、それなりの旅のはずだ。

 俺たちが向かっているのは岐阜県。東京からは新幹線を使わないといけないくらい遠い。


「なんで身内なのにいちいち予約してるのよ?」

「混んでるんだし仕方ないだろ。優先して部屋を予約させてくれるだけでも温情だよ」


 土日祝日は例外なく混み合うのだが、特に今の時期は会社の夏有給なんかで県外に旅行しに行く大人が多い。

 仕事で疲れた体を温泉やら按摩で癒したいのは社会の荒波に飲まれる中年の方々の共通認識らしく、こういった旅行先の宿は早い段階で埋まりがちだ。


「向こうから日程を作っておいて、こっちが手続きをさせられるなんて業腹よ。牧、その伯母って人にはガツンと言いなさい」

「うん。聞きたいことは全部話して貰うつもり」

「それだけじゃ足りないわよ……あーもー! 私が直接言い負かしてやりたい!」

 

 神原さんは不機嫌そうに腕を組んで忙しなく足や指を動かす。今回の旅行で神原さんの撮影スケジュールが組み直しになったから苛立っているのだろう。 

 そしてそれに加えて、


「そういえば神原さん。今日のテストどうだった?」


 ピクリと神原さんの眉が反応する。


「私、そんなに顔に出てた?」

「学校帰りからずっと」


 当たりだ。神原さんが不機嫌な原因は午前中のテストにあったようだ。


「私はいつもどおり可もなく不可もなくよ。ただ……」


 神原さんは冷えた固いアイスにスプーンを突き刺す。


「先生が私をずっと監視してきて集中できるものも出来なかったわ! 複数人で私を監視ってどういう腹積もりよ!」


 そういえば、神原さんだけやけにマークが厳しかったな。

 鞄を廊下に出した後も神原さんだけ携帯品の所持がないか机の中を調べられたし、テスト中も先生に囲まれていた。


「まあ、あれだけのことをしたらね……」

「恋人に連れ添ってなにが悪いのよ!」

「いや、神原さんの場合は先生に注意されてたからね?」


 神原さんは職員室に呼び出しを受けて、学校でイチャイチャするなと言われていた。それでいて俺の世話を過剰なくらい焼いたんだ。

 俺としては嬉しいけど、先生が目の敵にするのもわかる。


「それで牧の方はテストどうだったの?」

「……最悪だ」


 問題が理解できなかったというより、体への負荷で凡ミスを連発したというのが正しいか。普段なら気づくはずの引っ掛け問題にことごとく引っ掛けられてしまった。


「数学は頭が回らなくて計算ミスしまくりで、現代文も古文もぼーっとして文章が全然入ってこなかった。……まぁ自分の実力不足だよ」


 睡眠薬を服用しなくなったからか頭が冴えない。

 朝起きた時の虚ろな感覚が午前中はずっと俺の脳を支配していた。そのせいでテストは散々な結果だと思う。記憶系の問題は大丈夫だが、文章題は期待しない方がいい。


「牧は転入してきたんだし、元の学力はウチでも中堅から上位には入ってるでしょ? 赤点はないんじゃない?」

「赤点はないけど、成績が少しでも下がったら伯母さんに長文のメールでくどくど言われる」

「ほんとに厳しいのね。その伯母さん」


 ああ。厳しい。

 昔、本家に居た頃は一緒に暮らしていた従兄弟と成績を比べ、俺が低かったら納戸に閉じ込められるお仕置きをされ、従兄弟に勝ったら勝ったで俺への嫌がらせが加速する最悪な環境だった。


「正直に言って、これから会うのも嫌なくらいだよ」



◇◇◇



 和子伯母さんは岐阜県にある温泉宿を経営している旅館の女将だ。面会の二日間は当然ながらその旅館に泊まることになる。


「予約した藤前です」


 東海道新幹線を経由して岐阜羽島駅に着くと、日が暮れる前に旅館のチェックインを済ませた。


「……藤前様ですか。あの、少しお待ちになって貰ってもよろしいですか?」


 受付の女性が慌てた様子でフロントに電話を繋ぐ。

 しばらく受付で待っていると、更に上役の男性職員がやってきて、割烹着を着た料亭の料理人が集まってくる。

 ものの数分で受付は職員で一杯になった。

 職員は慌ただしく右往左往して、女将である和子伯母さんに話を繋いでいるみたいだ。


「藤前牧様でお間違いないですね?」

「はい」

「上の方から藤前牧様がいらっしゃったら、お座敷の間に通すようにと伝達されております。お手数をお掛けしますが、どうかよろしくお願いします」


 旅館の管理人っぽい人が俺に訊ねる。

 俺がはいと答えると、座敷の間まで来て欲しいと懇願された。

 

「わかりました。荷物の方はどうすれば……」

「私共の方でお部屋に運ばせていただきます。お連れ様もご一緒にご案内します」


 管理人さんは神原さんを伴ってエレベーターに乗った。

 俺を案内してくれるのは受付の人……ではなく50代くらいの女性だった。


「藤前牧様。どうぞこちらに」

「え、あ、はい」


 その女性の佇まい、姿勢は磨き上げられた長年の研鑽を伺わせる。


「……緊張するな」


 久しぶりに会う和子伯母さん。思い出すのはあの冷徹な顔と厳格な言葉の数々。本能的に苦手意識が植えつけられている。それに……


「SNS禁止と恋愛禁止を破ったんだ。きっと鬼のように怒っているんだろうなぁ」


 俺は和子伯母さんにキツく言われていたSNS禁止と恋愛禁止の命令を破った。

 いや、正確には俺自身はアカウントを作ったりしてないし、恋人も偽の関係だから破ってはいないのだが、それを伯母さんに、外部の人間に説明するわけにはいかない。

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