第28話 side 神崎夏菜 『決裂』

「よぅ、神崎。また美人になったな!」

「お久しぶりです。東さん」


 古川佳子さん御用達のカジュアルbarで、私はおよそ二週間ぶりに東敏治と会った。


「悪い、悪い。急に呼び出したりして。……あ、ここはノンアルも美味いぞ。飲め飲め」


 席一杯に広がる酒瓶。灰皿からは煙草が溢れている。

 事務所ではここまで自堕落で飲兵衛な姿は見せてなかったから、私は少しだけ驚く。

 外面の良さだけだと佳子さんが言っていたけど、裏はこんなに荒んでいるんだ。


「もしかして酒もイける口か?」

「未成年ですよ」

「まあ、気にすんなよ。神崎は大人っぽいから気づかれないかもしれないぞ」

「遠慮しておきます」


 酒の臭気を漂わせて、東はダル絡みしてくる。

 それでも話が早いのが唯一の救いだった。


「んで、話なんだが、まずは新しい事務所は慣れたか?」

「ええ」


 私はYESかNOの簡単な受け答えで済ませる。

 すると東は後頭部をガシガシと引っ掻いた。相当、ストレスが溜まっているようだ。私が抜けた後、なにかあったのだろうか。


「あー、今は何してる?」

「ファッションモデルに転向するにあたり、今はトレーナーが付いて下積み中です。それと並行して雑誌の撮影もしていますが」


 知名度を得たとは言っても、モデルとしての私はまだまだヒヨッコだ。


「雑誌の撮影には飽きたか?」

「いえ。私の目指すモデルはファッションモデルにあるだけです」

「そうすりゃ藤前君が戻ってくるとでも思ってんのか?」


 東さんは下卑びた笑みを浮かべるが、何かを思い出したかのように鬱然とした顔になる。


「……そういや、うちの姉さんも病気が悪化するまではファッションモデルをやってたな」


 東は過去を悼むように煙草の煙を天井に届ける。

 その煙は線香のように伸びていき、儚い命のようにふっと灯火が消えた。


「まさか、姉さんを目指してんのか?」

「超えるつもりです」

「そりゃ無理だ。死人には勝てねぇ」


 東は私を嘲笑う。

 この人は見透かしている。私がどういう形で彼女に勝とうとしているのか。


「なぁ神崎。俺ならお前の孤独を癒してやれるぞ」


 続く東の言葉がそれを示していた。


「寂しいだろ? 恋人が消えて、新しい環境に新しい仕事。それに厳しいレッスン。あとは過度に乗っかる期待と大勢のファン」

「ありがたいお話です」


 東は私の心につけ込もうとする。


「だけど、神崎自身は嫌なんじゃねぇか。元々のお前は目立つのが嫌いな優等生ちゃんだった。藤前君だけがいればそれでいいと考えていた。そうだろ?」


 私は今でこそカリスマだの十年に一度の逸材だのとか言われるが、ほんの少し前まではただの地味な女子学生だった。

 今だって外見こそ洒落たものに変われど、その時の性格は以前となんら変わっていない。


「ええ。ですから、貴方が邪魔なんです」

「……嫌われたもんだな」

「自分の胸に聞いてください」


 すると、東は笑った。


「藤前は神崎、お前がフったんだ。あいつはもうお前の元には戻ってこねぇよ」


 その言葉に私の怒りは沸騰する。


「誰のせいで……!」

「はっ? 俺のせいだとでも?」

「他に誰がいるんですか?」

「お前しかいねーだろ。神崎、あれはお前が選んだ道だ」

「っ、」


 私は反論に窮する。

 東にどう捉えられていようが知ったことではないが、牧君に酷い対応をしてしまったことは事実だ。


「神崎。俺ともう一回、組まねぇか?」

「……」

「正直、舐めてたよ。お前は才能あったが、小規模な雑誌でモデル人生を終えると思っていた」


 東は私に手を差し伸べる。


「私はもう『Light-moon』に戻れませんよ。そういう契約ですので」

「俺はお前の才能に惚れたんだ。ただの気まぐれじゃない、本気だ。その証明として俺は会社を辞めてきた。あくまでもその契約は伊東プロが結んだものだ。俺個人は関係ない」


 東は所属していた会社を辞めたらしい。

 だから日の浅い時間からバーに入り浸り、酒を飲んで煙草を吹かしているのか。


「嘘ですね」


 私の目は東の下水を煮詰めた排水溝のような目を穿った。

 戸惑いと意外感。私を見る目が変わった。

 

「佳子さんから聞きました。牧君の両親が借金をしている話は事実だったんですね」

「……だから、借用書の画像も見せただろ?」

「でも牧君が借金を負うという話は嘘だった。初瀬宮子が借金を肩代わりしていたという話も。それに……初瀬宮子は牧君のお父さんと—」

「そこまで調べたのか。佳子のやつ」


 東さんは私の話を遮った。

 初瀬さんの話はしたくないらしい。


「俺はあくまで可能性の話ししかしていない。確かに借金の肩代わりではなかったが、姉さんが藤前君に金を出していたのは事実だろう。佳子から聞いて知ったはずだ」


 私は藤前君の事情を全て知っている。

 初瀬さんが彼を気にかけた理由も、牧君の親が借金を負うまで退廃した理由も、古川佳子さんに調べて貰った。

 それらを理解した上で、やはり東敏治は信用ならない男だと、唾棄すべき存在だと思う。


「東さん。貴方は伊東プロをクビになった。それで私を頼った。……頼るしかなかった。随分と業界で評価を落としたみたいですね。何があったんですか?」


 私がそう言うと、東は机の足を蹴った。

 苛立ちを隠そうともしない。業界で聞いた噂話によると、東敏治はかつて自分が手がけたプロジェクトのモデルに訴えられたらしい。眉唾ものだったが、もしや本当である可能性が浮上した。


「っち。ガキが知恵つけやがって。……いや、冷静になったと言うべきか。藤前牧から離れて盲目じゃなくなったのを考慮してなかった俺のミスか、反省しなきゃな」


 交渉決裂とみると、東は本性を現した。


「俺の手を切るんだな?」

「はい」

「……俺なら藤前君ともう一回付き合わせてやれるぞ」

「いいえ。東さんは信用できませんし、それに悪どいやり方で牧君を手に入れたくない」


 東さんはバカにしたように鼻を鳴らす。


「あいつは神原涼香とくっついたんだろ?」

「東さんもわかってますよね? あれは涼香が利用しているだけです」

「だからってお前に戻ってくる確証はねぇだろ?」


 東の疑問を私は「なんだ。そんなこと」と言って一蹴する。


「牧君には私が必要です」


 私が牧君を必要としているのと同じ。

 彼と私は似たもの同士。離れていても、心の奥では通じ合っている。



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