Colour 4

 その内容は私の想像を超えていた。

 京都へ転校してから、東京へ戻ってくるまでのことを簡潔かんけつに教えてもらえたのだけれど、辛そうに語る佑真くんに、私はただ寄り添うことしか出来なかった。

 佑真くんが中学2年の夏のこと。剣道部の合宿を終えて、いつもの道を帰宅途中、赤信号を無視した軽自動車に跳ねられ、1ヵ月ほど入院したことがあったらしい。


記憶喪失きおくそうしつ……?」

「うん。それが切っ掛けで、一部の記憶がすっぽりと抜けてしまったんだ。ハルちゃんのことを思い出したのは、ついこの間で」

「そう、だったんだね」

「思い出してから、ずっと声を掛けたかったんだけど、ハルちゃんのこと知らないって言っちゃった後だったし」

「じゃあ、もしかして佑真くんも私のことを気にかけてくれてたの?」

「ずっと、気にしてた……」


 佑真くんは、まっすぐ私を見つめ、そう言ってくれた。すぐに、照れたように視線を外されてしまったけれど、私は不意打ふいうちをくらったかのように茫然ぼうぜんとしながらも、今まで言えなかった想いを素直に伝えることにした。


「私ね、小学5年の時に佑真くんが転校してきてからずっと、好きだったんだ。京都へ転校しちゃうまでに、告白したいって思ってたんだけど、どうしても出来なかったの」

「俺も、同じだった」


(同じだった……?)


 あの頃は、まだ今よりも幼くて素直になれないことが多かったし、相手を思いやれなかったりしていた。現在も器用に出来る自信はないけれど、あの頃の私たちは、すれ違ってばかりだった。


「ハルちゃんに、嫌な想いをさせた俺が言えることじゃないんだけど……」


(そんなこと。佑真くんが悪いわけじゃない……)


「……俺と、また友達から始めて欲しい」


(これは、夢? いや、夢でもこんなの見たことない。)


「ハルちゃん?」

「え、あ……」

「ダメかな……」

「そんなことない!」


 言いながら、瞬きをしたら零れ落ちてしまいそうになるほど涙が込み上げてくる。ブサイクな泣き顔を見られまいと、あわてて佑真くんに背を向けた。


「そんなこと、ないよ……」


 背後にほんのりとした熱を感じる。と、同時に優しい抱擁ほうように包まれた。佑真くんの腕の中は温かくて、ほんの少し汗の匂いがして。男の子からのハグって、こんなにも安心感を得られるものなのかと、初めて気づかされた。

 あの頃の、私の想いが少しずつよみがえってきて、信じられないくらい嬉しい。嬉しいはずなのに、胸の奥に違和感いわかんを感じて素直に喜べないでいる。


『春田なら、大丈夫や。フラれたら俺が残念会やったるわ』


 ふと、真咲くんの笑顔が頭を過る。分かっていることは、確実に私の中で真咲くんの存在が大きくなっていたことだけ。


(そんなこと、あるわけないよね。だって私が好きなのは……)


 私は佑真くんの腕の中で、これまでの自分の、本当の気持ちに気付いてしまったのだった。



 *

 * 

 *



 いつからだろう。真咲くんを友達以上の気持ちで見るようになったのは。

 出会いは、突然だった。少女漫画とかでよくあるようなシチュで、危うく階段を転げ落ちてしまいそうになったところを助けられたんだった。

 カレシよりも友達が欲しいと考えていた私は、恋とか愛とかの感情ではなくて、ただ、真咲くんと仲良くなりたいと思った。どうしてそこまで執着しゅうちゃくしたのかは、今でも分からない。


 あの日、佑真くんから告白されて嬉しかった。心のどこかで、常に佑真くんのことを想っていたから。自分の気持ちに気付いてしまった後も、私なりに、佑真くんと向き合うつもりだった。

 真咲くんと出会う前に、お互いの気持ちを伝え合えていたら、違う未来が待っていたかもしれない。


 篠原さんとは、佑真くんとのお付き合いが始まったことで、少しずつだけれど話せるようになった。それはそれで嬉しかった。けれど、真咲くんと楽し気に笑い合える篠原さんのことがうらやましいと思ってしまったり、私のことを第一に考えてくれる佑真くんの気持ちを、受け止めきれなくなって傷つけてしまった。


 こんなこと、望んでいたわけじゃなかった。私はただ、自分の気持ちに素直でいたいだけだった。そんな想いが大きくなるにつれむなしくなっていって、どうして真咲くんの隣にいるのが私じゃないのかって、どんどん卑屈ひくつになっていった。


 私が、真咲くんのことをどんなに想っても、真咲くんには篠原さんという可愛い彼女がいて、しかも、二人の間には私がいくら頑張っても入り込めない、きずなみたいなものがある。だから、私にとって真咲くんとの時間は、シャボン玉や風船のようなもの。そう、割り切らないといけないのだと、自分に言い聞かせてきた。



 下駄箱にて、上履きからローファーにき替えゆっくりと上げた視線の中に、真咲くんが映りこむ。


「一緒に帰らへん?」

「……篠原さんは?」

「そんなん、春田に関係あらへんやろ」

「な、なにそれ……」


 真顔で呟く真咲くんの、厳かな瞳が少し怖く感じた。いつもの、おちゃらけた感じが欠片かけらもなかったから。


「そっちこそ、宮本とはどないなっとんねん」

「真咲くんには関係ないでしょ……」

「なんやねんそれ」


 呆れたような真咲くんの苦笑を目にして、ほんの少しだけど緊張が解け始める。


「だって、そうでしょ。それに、真咲くんと帰るわけにはいかないんだって」

「なんで?」

「篠原さんが気にするし……」

「で?」

「……それに、周りが」

「そんなんどーでもええ。春田はどないやねん。俺と帰るの嫌なん?」

「そんなこと、ない。けど……」


 これ以上、好きになりたくない。一緒にいたら、絶対に好きにならずにはいられなくなるに決まっている。佑真くんと別れたばかりだし、これ以上篠原さんに不安な想いをさせたくない。


「とりあえず、行こか。話したいことが」

「一人でどうぞ。私は真咲くんとは帰らない」

「おい、春田……おいって」


 速歩はやあしで校門を目指す。と、突然、肩にかけていたバッグを奪われた。


「ちょ、返してよ! 何やっちゃってんの?!」

「宮本とはどないなっとんねん。答えたら返す」

「ま、待ってよ! そっちだって誤魔化ごまかしたくせに! まったくもうっ……」


 走り去っていく真咲くんを、私は追い駆けることしか出来ない。


 どれくらい走っただろう。入り組んだ路地裏まで来て、真咲くんはようやく立ち止まった。


「……っ……ちょ、もう……いい加減返してよ」

「で、宮本とは……どないやねんて……」

「なんで、答えなきゃいけないの?」


 お互いに息を弾ませるなか、真咲くんは何かを考えるかのように眉間みけんしわを寄せる。


「春田のことが、気になるからに決まっとるやろ」

「まったまたぁ。冗談じょうだんでもそんなこと言ったらダメだからね」

「冗談ちゃうわ、ボケ!」

「なんでキレてんの!?」

「お前がアホみたいなこと言うからやろが」


 不意に、腕を取られ気がついた時にはもう、真咲くんの腕の中にいた。突然の抱擁ハグに、これでもかってくらいドキドキが加速する。

 そんな私の心臓の音が聞こえてしまうのではないかと思うくらい急接近して、私はただ、力強く抱きしめられるままに身を任せることしか出来ないでいる。

 吃驚びっくりしたけれど、嫌じゃなかった。どこかでこうされたいと望んでいたから。


「だって、篠原さんが……」

「別れた」

「え?」

「由樹とは別れたんや。正確には、フラれたゆーか」

「なんで……」

「ずっと、自分の気持ちを閉じ込めとったから」


 耳元でささやかれる。同時に、後ろ髪を優しくかれ、私はこれまで堪えていた気持ちを少しずつだけれど開放していった。

 ほほつたう涙をぬぐうこともせずに、微かにふるえる手で目の前のブレザーの襟元えりもとを握りしめる。


「これからも、由樹の支えにならなあかん思おてた。それが、カレシとしての俺の役目やって。せやけど、由樹から言われて気づいたんや。俺が一番大切にしたいんは、春田との時間なんやって……」


 声が震えているように思えて、ほんの少し距離を置き真咲くんの顔を見ようとして更に抱きすくめられる。


「み、見んなアホ……」

「テレてる」

「テレてねーよ。悪いけど、春田が宮本のことを好きやとしても、俺は……」


 嬉しすぎて、私はまだ何かを言おうとしていた真咲くんのうなじに両手を回して、ちょっぴり強引に引き寄せた。


「私も」

「え?」

「私も、真咲くんが好き……。真咲くんと、ずっと、ずっと一緒にいたいって思ってた」


 佑真くんには、はっきりと気持ちを伝えたこと。私も真咲くんのことばかり考えてしまっていたこと。真咲くんのことを好きなんだと意識してから、ずっと苦しかったこと。これまでの想いの全てを告白した。

 すると、真咲くんは顔を真っ赤にしながら、私をまっすぐ見つめ、改めて、告白してくれたのだった。


「春田のことが好きや。俺と、付きうて」

「……うん」

「やっと、言えた……」


 お互いを必要とするために、心配させたり、傷つけてしまった人たちがいる。悩み、遠回りをして、すれ違って。時に、どうしたらいいのか分からくて、泣きらした夜もあった。


「もう、絶対離さないでよね……」

「それは、結婚を前提ぜんていにしてもええゆうこと?」

「……え」

「おまっ、そこで躊躇ためらうなよぉー」


 つい忘れがちになるけれど、好きな人との時間は永遠じゃない。

 はかなく、今この瞬間しゅんかんさえも、過去思い出になってしまうのだということ。

 だからこそ、二人で同じところに立ち、同じ方向を見て、同じように歩んでいきたい。

 真咲くんとなら、きっと叶えられそうな気がする。


「ぷっ」

「ここ、笑うとこちゃうから……」


 モノクロームな思い出はそのままに、宝石のような未来あしたを色鮮やかに染めていこう。

 これからも、二人で一緒に。



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