第3章 深きものの町 編

第1節 骸骨の進化

第48話 人形遊び


 客がいない夜の寂れた宿屋――。

 女将レトゥスが、薄暗いランタンの灯りを頼りに娘の部屋に向かうと、小柄な影が窓の外をジーッと眺めていた。

 デフォルメされた骸骨のぬいぐるみを抱く6歳前後の幼く可愛らしい少女だ。

 月だけが照らす暗い部屋の中で彼女は闇を恐れることなく、むしろウズウズとした期待と興奮で瞳を輝かせている。


「レナトゥス。まだ起きているの?」

「あ、ママ! こっちこっち!」


 夜だというのに元気いっぱいの愛娘レナトゥスが駆け寄ってきて、母親の手を引っ張る。

 窓から一望できるのは、煌々と輝く月を反射する、凪いだ夜の海だ。

 母なる海は、今日は特に静かで大人しい。眠る生き物を優しく見守っているのだろう。もしくは嵐の前の不気味な静けさか――。


「早く寝なさい、レナトゥス。夜更かしはメッよ!」

「えぇー! まだイヤー!」

「夜遅くまで起きている悪~い子のところには、恐ろしい海の怪物がやって来て、攫って行っちゃうのよぉ~?」

「うん! だから起きてるの!」

「あ、あらら……?」


 怖がらせるつもりが愛娘のキラキラした期待顔に見上げられ、母レトゥスは目をパチクリ。まさか喜ばれるとは思っていなかった。


「海の怪物さん……カッコいいよねぇ」

「レナトゥス?」

「レナね、ママがよくお話ししてくれる、海の怪物さんに会ってみたいの! だからレナ、悪い子になるの! ユーレーのお船に乗って来てくれるのかなー? ホネホネのキャプテン“ぱーぱ”がレナのこと、迎えに来てくれないかなー?」

「……な、なぜこの子はいつもいつも悪役が好きなのかしら?」


 この地域の伝承や昔話を軽くアレンジして寝る前に読み聞かせをしていたのだが、必ずと言っていいほどレナトゥスは悪役を気に入るのだ。

 だからレナトゥスには脅しのような文言は効かない。むしろ逆効果である。

 ならば、と母レトゥスは娘の情に訴えかけることにした。


「レナトゥスが海の怪物のキャプテン“ぱーぱ”に連れて行かれたら、ママは悲しいなぁー。ママ、泣いちゃうなぁー」

「大丈夫だよ、ママ! ママも一緒に行くのっ!」

「あらら……?」

「キャプテン“ぱーぱ”のお船には、きっとパパも乗ってるの! 海から帰ってこない人は、海の怪物さんの仲間になっちゃうんでしょ? ならパパもいるよね! だからレナは悪い子になって、迎えに来てもらうの!」


 そして、レナトゥスは子供の純真無垢な瞳で母親を見上げる。


「その時はママも連れて行ってってレナがパパにお願いしてあげるから! ホネホネのキャプテン“ぱーぱ”にも! また家族みんなで過ごせるよ!」

「レナトゥス……」


 母レトゥスは、静かに愛娘を抱きしめた。愛情をこめて優しく慈しむように、そして、決して手放しはしないと縋りつくように――。


「パパってどんなお顔をしているのかなぁー? 会ってみたいなぁー」

「……レナトゥス、もう寝ましょう? 良い子にしていたら、レナトゥスのことを悪い子にしようと海の怪物が襲ってくるかもしれないわ」

「そうなの!? ならレナ、良い子になるっ!」


 素直にベッドに入ったレナトゥスは、やはり眠かったのだろう。母特製のデフォルメされた骸骨船長や海の怪物たちのぬいぐるみを抱いた彼女は、優しい子守唄を聞くとすぐに目が閉じていき、5分も経たずに眠ってしまった。


「おやすみなさい、私の可愛いレナトゥス」


 レトゥスは愛する娘の額にキスを落とし、柔らかな微笑を浮かべながら優しく頭を撫でると、起こさないよう静かに部屋を出ていく。

 扉を閉めた瞬間、彼女の表情からスッと感情が抜け落ち、震える手が顔を覆う。覆い隠されたのは、娘の前では決して見せない、夫を喪った悲痛な妻の顔だ。


「なんでなの、あなた……すぐ帰るって言ったのに……」


 悲しみが癒えぬ声音で彼女は独り言ちる。

 漁師だった彼女の夫が漁に出て3年。陸に妻と娘を残したまま、彼は海に消えたのだ。

 それは娘レナトゥスが物心つく前のこと。ゆえに彼女は父親の顔を覚えていない。

 とうの昔に諦めたはずなのに、レトゥスはどうしても願ってしまう。


「海の怪物になってもいいから帰ってきて――


 未亡人の嘆きに呼応して、指の隙間から透明な涙が零れ落ちる。



 ■■■



「――へっくし!」


 私は新しい発見をした。骸骨の体でもクシャミをするらしい。

 誰か私の噂でもしているのだろうか?

 フッフッフ! きっと宇宙船の船長たる私の偉大さと恐ろしさを広めているに違いない!

 重畳重畳! その調子で私の名を広めるがいい!

 いずれ全宇宙に恐怖と混沌と狂気を振り撒く存在になるつもりだからな。敬愛する幽玄提督閣下のような船長に!


「主様……?」

「ああ、すまない。途中だったな」


 私は赤がよく似合う赤髪赤眼の美女を見上げる。

 薄暗い部屋。私と彼女の二人きり。そして、ベッドの上――


「脚をゆっくり広げ、そのまま腰を落とすんだ」

「はい、主様」


 命令通り、私の下半身の上に座った彼女にカメラのレンズを向けた。


「目線はカメラに」

「はい、主様」

「いいぞ。素晴らしい! 上手いではないか。痛みはないか?」

「……いいえ。むしろ光栄な気持ちでいっぱいです」

「そうか。なら続けよう」


 盛大に興奮する私の心。沸き立つ衝動が抑えきれない!

 しかし次の瞬間、絶対零度よりも冷え冷えとした声が私室に響き渡った。



「クティーラと一体ナニを続けるおつもりですか――?」

『ゴブゴブ!』



 パチッと照明が点いたかと思うと、ベッドサイドに船員クルーであるルルイエとツバキが実に美しい笑顔を浮かべて立っていた。


 なぜだろう。二人の目が一切笑っていない気がする……。


 本能が感じる濃密な『死』の気配。死神や冥界の使者がこの場にいるかのようだ。

 しかしこの程度で臆しはしない! いつもの私とは違うのだよ。


「なにって見ればわかるだろう? 幽玄提督閣下の写真撮影会だ!」

「はい?」

『ゴブ?』


 一切疚しい気持ちはなく、むしろ意気揚々と自慢げに告げると、予想していた答えと違ったようで、ルルイエとツバキがキョトンとする。

 感情豊かなツバキはともかく、いつも無表情のルルイエがそんな顔をするとは珍しい。


「クティーラ。一度閣下のフィギュアを下ろすがいい」

「はい、主様」


 命令に従ってクティーラは、支えていた御神体もとい幽玄提督閣下のナノマシンフィギュアを大事そうにゆっくりと下ろす。


「えーっと、マスターは命令に従うことしかできない屍人形を専用の愛玩人形ラブドールに調教しようとしていたのではなかったのですか?」

『ゴブブ?』

「なぜそうなる!? クティーラには撮影のアシスタントを頼んでいただけだ!」


 なるほど。腑に落ちた。絶対零度の眼差しだったのは、ルルイエとツバキが妄想を膨らませて誤解していたからなのか。

 私はそのような変態的趣味を持ち合わせていない。そもそも男の象徴たる部分が存在していないから、ルルイエたちが考えていたような行為は一切できないのだ!

 なぜなら私は骸骨だから!


「照明を消していたのは?」

「暗いほうが迫力が出るからだ。閣下は光の下でも輝くお方だが、闇の中だとより一層オーラが際立つと思わないか?」

「なぜベッドなのですか?」

「ソファだと狭いし、床だと痛いからだ。私の体は骨なのでな。床の硬さが直に届くのだよ」

「クティーラがマスターの体の上に騎乗しているのは?」

「よくぞ聞いてくれた! この大鎌を振る幽玄提督閣下の一番格好良く見える角度は、斜め下23.4度なのだ。被写体とカメラの距離の黄金比を計算した結果、クティーラが私の上に座るのが最適でな! それでそれで――」


 大鎌を振りかざすポーズを決めた幽玄提督閣下のフィギュアを見せつけて、私はここぞとばかりにアピールポイントを布教する。


 閣下はフィギュアでも格好良かろう? 佇まい、ポーズ、今にも動き出しそうなこの迫力、漂う重苦しい威厳と覇気――全てにおいて完璧で素晴らしい。

 指先の角度に至るまで最高だ。まさに至高の御方……惚れ惚れする。


 二人にはぜひ閣下の魅力を知ってもらいたい! そしてゆくゆくは閣下の虜となって我が同志に……。


「ワァー。スゴーイ。カッコイイー」

『ゴ、ゴブブゥー』

「そうであろう、そうであろう! 閣下は素晴らしい御方なのだ!」

「しかし、写真撮影だけならクティーラをわざわざ操って会話させる必要はありませんよね?」

『ゴブゴブ』


 クティーラは魂が宿っていない屍の人形。何もしなかったら無表情で佇むだけの存在なのだ。

 ルルイエの言う通り、撮影するだけならば会話は必要ない。黙ってカメラアシスタントに徹してくれればそれでいい。

 しかし、私はあえて会話をさせた。なぜなら……


「死霊術の特訓という意味もある。だが主な理由はこれだな――私一人だけ盛り上がっていたら寂しいではないか! 反応が欲しい!」

「マスター……」

『ゴブブー……』

「『一人ボッチでお人形遊び……可哀想……』と言いたげなその憐みの眼差しをやめいっ!」


 幽玄提督閣下の鑑賞会に誘ったのに、なんやかんや理由をつけて拒否したのはルルイエとツバキだ。

 となると、相手をしてくれるのは従順なクティーラしかいない。

 彼女は一切嫌な顔をせず、幽玄提督閣下にも興味を持ってくれる稀有な存在だ。

 閣下について一緒に熱く語り合ったのは記憶に新しい。

 クティーラは実に良い着眼点をしており、意見が合う同志なのだ!

 ……まあ、そうなるよう私が操っているから当然のことなのだが。


「マスター。クティーラを操っていて虚しくなりませんか……?」

「……聞くな」


 こうして喋らせておけば、いつかクティーラに自我が宿る可能性もあるではないか。

 もしそうなった場合、幽玄提督閣下のファンになって欲しいので、今のうちから調教……もとい教育を施しておくべきだと私は思う!


「さすがに可哀想なので、マスターのお手伝いをするのもやぶさかではありませんが……」

「なに!? 本当か!?」

「その代わり、エプロン様の撮影会を手伝ってください」

「ぐっ! それは……」


 エプロン教の“エプロン女教皇”だという人型生体魔導兵器のルルイエは、手の施しようがないエプロン狂いだ。

 兵器だから感情が無いと自称しつつもエプロンを前にすると彼女は豹変し、猛烈に興奮し始める。口から漏れ出る賛美の言葉は聞き取れないほど饒舌かつ早口で、もはや洗脳に近い精神攻撃だ。

 狂気を感じさせる深い愛と底無しの信仰心と膨大な情報量に、眩暈に似た症状に陥ったのは一度や二度ではない。

 しかもエプロン教の聖句なる文言は、一般人を廃人に至らしめる危険な呪詛である。

 そんな彼女が催すエプロン撮影会の手伝いか……正直、とても悩む。


「……ツバキとクティーラを着飾るのならば手伝おう」

『ゴブッ!?』

「取引成立ですね」

『ゴ、ゴブブッ!?』


『わたしを巻き込むの!?』とか『そ、そんなっ!?』とか、驚愕と絶望の表情を浮かべるツバキの横で私とルルイエは固い握手をして取引が成立。

 すまんな。ルルイエの撮影技術は魅力的なのだ。それに――


「可愛いツバキとコズミックモデル級のクティーラが着飾った姿を見てみたいのだ」

『ゴ、ゴブブゥ……』


 なんやかんや押しに弱いツバキは、『仕方がないなぁ』と諦めながらもどこか嬉しそうに頷く。

 よし! 目論見通り!

 フフフ……我々は同じ船に乗る仲間だ。一人だけ無関係では済まさんよ。犠牲者が多ければ多いほど一人当たりの負担も減るはずだしな。

 ともに混沌と狂気の海に向かおうぞ!


「クティーラも良いな?」

「はい。主様の御心のままに」

「マスター。クティーラに何を言わせているのですか……」

「ルルイエさん。私、エプロンを着たいです! エプロンを着ると『よし、やっちゃうぞ!』って身が引き締まるんです」

「マスター! もう一度! もっとお願いします! 次は『エプロン様大好き!』と! さあさあ! 早く早くっ!」


 ちとやり過ぎたか? 今にもエプロン撮影会を始めそうな勢いだが……まあいい。放っておけばすぐに鎮まる。


『ゴブ! ゴブブッ!』

「なんですか、ツバキ……ああ、船長であるマスターに報告がありましたね」

『ゴブ!』


 ん? 船長たる私へ報告だと? それで私の私室にやって来たのか。

 どうやら私とクティーラの仲を変に勘繰っただけではなかったらしい。


「報告を聞こう」


 船長らしく尊大に報告を促すと、いつもの冷静な無表情になったルルイエが、抑揚のない声で淡々と告げる。


「大規模な魔力嵐の接近を観測しました。これから“混沌の玉座ケイオス・レガリア号”は魔力嵐に突入します――」


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幽霊宇宙船の骸骨船長 ~死後から始める成り上がり航海日誌~ ブリル・バーナード @Crohn

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