THE BREAK OF DAWN

Don Foximing

An One Act at The Desert

ハルトは顔に当たる熱と安らかな闇を薄らげる光を感じて目を覚ました。地平からすっかり顔を出した朝の太陽の陽射しが枝を垂らした木々の間隙を縫ってハルトの顔を照らしている。


眩しさで目が開けられず手で陽射しを遮ると、キィーという高い鳴き声が頭のすぐ横で上がり、何かがハルトの後ろに立つ木を飛ぶように駆け上がっていった。ハルトが顔を上げた時には拳ほどの影が木の裏に隠れるのが見えただけだった。


「おはようございます、ハルト様」


柔らかい声の方を向くと金色の髪の少女がこちらに微笑みかけている。白皙の美しい少女だが透明な朝の空気、周りは静謐な森、矢のように射し込む荘厳な光の中にいるためか血の通った人間というよりはマエストロの手により彫られた精緻な彫像に見える。


そうだ、この女の人の名前はテウルだ。そして彼女は本当に人間じゃない。人形なんだ。命を持つ人形。魔術師によって造られたリビングドール。


眠っていた記憶が次々と頭の中に浮かんでくる。そしてハルトは自分が今は異世界にいることを思い出した。偶然拾った不思議な宝石の導きに従い、いなくなった親友を探すためにこの世界にきたのだ。


「黎明大陸」。それがこの世界の、ハルトがやって来た大陸の名前だ。異世界に来て初めて出会ったのがテウルだった。元の世界から飛ばされた無人の館で他の多くの人形と同じように朽ちかけていたテウルは、ハルトも持つ赤い宝石に反応して目覚め、起こしてくれたハルトを新たな主人として二人は一緒に旅をしている。


「さっき木に登って行ったのは何?」


体に巻いていた毛布を外してもう一度よく木の上を見てみるが、先ほどの小さな影はどこにも見当たらなかった。


「多分リスではないでしょうか。水を汲みに行っていて目を離していました」


テウルは革の水筒を二つ持っていて、どちらもなみなみと水が入っていて大きく膨らんでいた。人形である彼女は水分を摂る必要も食事を摂る必要もない。調理用の水とハルトの分の水だ。


「野宿はもうこりごりだよ。今日はベッドで眠りたいな」


「もうじきアシュールの国境に着きます。そこまで行けば街道に出て宿場町がありますよ。でもそこまで行くために砂漠を通らないといけません」


ハルト達がいるのは熱帯地方に生えているような樹木が密集する森の中だが、やがて木々もまばらになり、植物の姿は赤みがかった土に埋もれたようになくなり、灌木が点々と生える岩と砂の荒野に変わっていく。テウルによれば黎明大陸の面積の半分以上が乾燥した砂漠であるらしい。


豊かな資源に恵まれた土地は大陸の東部に集中しており、そこを治めているのが大陸最大の国アシュールだ。ハルトはこの異世界に来ているはずの親友アキラを探すためアシュールへ行かなければならなかった。


「じゃあ砂漠で野宿しなきゃいけないんだね」


「あと二日の辛抱です。明後日の昼にはここの砂漠は抜けられます。アシュールに近づけば人もたくさんいますし、快適な部屋で眠ることもできますよ」


出発した時は葉や枝をかすかに揺らして過ぎていく控えめな風に涼やかさを感じていたが、しばらくすると風はその性質を変え始めた。湿り気はなくなり、乾燥した空気が肌に浮かぶ汗を蒸発させ、熱帯的な青臭さもしなくなった。そして木々が途切れ視界が開けた先には、荒涼とした不毛の大地が遥か先まで続いていた。


「ん?」


ハルトは後ろを振り返った。誰かに見られているような感じがした。だが背後はもはや森とは言えないほどまばらにしか木はなく、人が姿を隠せるほどの樹径の木はない。気のせいかと思い直して前方の砂漠に注意を戻した。


砂漠は一見すると何も動きがないように見えた。露出した赤い岩石は悠久の太古からそこにあるかのように風景を構成し、時間の流れが止まっているかと錯覚しそうになる。砂と岩と土だけの世界だった。


砂漠を進んでいる間ハルトは何度も周囲を見回した。初めてみる砂漠に興味があるのもそうだが、時折何か奇妙な音が聞こえるのだ。まるで生物が砂の上を這っているような、布と砂が擦れるような音がかすかに聞こえる時がある。


砂漠にも生き物がいるんだな。そう考えた時ハルトはひょっとしたら蛇か蠍がいるんじゃないかと不安になった。改めて注意深く辺りを見てみると、前後左右視界は開けているが森の出口と違って生き物が身を隠せる場所はいくつもあった。岩の陰、灌木の裏、地面の窪み、丘陵の死角。砂漠の地形は多種多様だ。


「ねぇテウル。この世界にも蛇とか蠍はいるのかな」


「いますよ。でも砂漠にはそれよりもっと恐ろしいものもいます」


「もっと恐ろしい? それはどんなやつなんだ?」


「一番恐ろしいのはアリアクネという巨大な肉食虫です。砂の中から突然現れて鋭利な大顎で荷台ごと引き裂いてしまうそうです。一匹でキャラバンの一隊を全滅させたという話も聞きます」


「そんなやつがここにもいるのか?」


ハルトは不安になって岩や地面に目を凝らすがそんな巨大な生き物がいそうな気配はなかった。


「ここのような狭い砂漠にはいません。アリアクネが生息するのは中央部の広大な砂漠です。あと他に気をつけるのは──」


テウルは唐突に言葉を切り、その顔には警戒の色が走った。さっきからかすかに聞こえていた擦れるような音が今ははっきりと聞き取ることができる。しかも一つや二つではない。何十といるように音と音が重なり合い、二人の周囲を素早く動き回っている。


蛇や蠍ではない。ちらほら見える岩の間を横切る影は子供ほどの大きさだった。人間によく似ているものもいれば全く異なる形をしたものもいる。彼ら(と呼ぶべきかわからないが)は俊敏な動きで二人を取り囲み、ライオンの群れがはぐれたシマウマを追い詰めるように二人を逃げられなくしているようだ。


「おい、おめーら!」


近くの岩の上から声が降ってきた。そこにいたのは、生物なのか無機物なのか判別がつかない、何とも奇妙なやつだった。背丈は120センチほどで小柄であるが、体に比べて頭が異様に大きい。騎士が戦場で着けるようなヘルメットを被っているためそのような不恰好になっているようだ。


ヘルメットには目の部分に細い切れ目があるが影になっていてどんな顔をしているかは見えなかった。その代わりとでもいうのか、ヘルメットには落書きのような二つの目玉が赤い塗料で描かれていた。


ヘルメットも異様だがもっと異様なのはその下にある体だ。二本の腕と二本の足がついているが明らかに人間とは異なるというのが一目で分かる。やつの体は肉ではなく、鉄でできていた。いや、鉄以外の物も混じっている。煉瓦、木片、鎖の切れ端、様々な色をした鉱物、空いた隙間には厚布を丸めて埋めている。落ちている物をかき集めてどうにか体に仕立てているといった感じだ。指は五本あるが鉄の細棒と木の枝がくっつけられただけで、親指が人差し指よりも長かったりして均整が取れていない。


「この砂漠はオイラ達の縄張りだ。知らずに入って来たならマヌケだが、知ってて入って来たなら底なしのマヌケだな」


短い人差し指を突きつけながらそいつは言った。大声で喋っているのにヘルメットは微動だにしていない。


「テウル、あれは一体なんなんだ?」


「あれはキリクク族です。遥か昔から砂漠に住む種族で、岩や鉱物をくっつけて体をつくり移動するのです。本体は砂のような姿をしていて、ヘルメットの中も空洞です。砂の本体が全身に広がって物をくっつけたり動かしたりしているんです」


「生き物、なのか」


「人間や他の動物とは異なります。彼らは精霊に近い存在ですから」


ハルト達は今、大勢のキリクク族に囲まれていた。彼らの姿形は様々で、腕が四本あるがどの腕も三本しか指がついていなかったり、一本の足で器用に立つ者もいる。頭にはバケツだったり割れた壺だったり、あるものは人間の頭大の岩を乗せている。各々が好きな物を使っているが、全員必ず頭には目を描いていた。彼らの生気のない目で見つめられると、砂漠にいるのに背筋が寒くなる思いがした。


「オイラ達を知らないのか。底なしの大マヌケだな。おめーらは北の森から来たんだろう」


あの騎士のヘルメット頭がこの一団の長らしい。


「どうして知ってるんだ?」


「ずっと見てたからよ。おめーらが森にいた時からな。こいつが教えてくれたんだ。妙な二人組がやってくるってな」


ヘルメット頭の肩に灰色の毛並みをしたネズミが乗っていた。ネズミはキィーと自慢げに鳴いた。


「君はネズミと話せるのか」


「ゴッツだ。ネズミなんて名前じゃねぇ。そんでゴッツが言うにはおめーは大層な宝石を持ってるそうだな」


宝石と聞いて思い当たるのは一つしかない。ハルトは首にかけている赤い宝石を服の上から握りしめた。ハルトを異世界へ連れてきた不思議な力を持つ宝石。彼らはこれを欲しがっているのだろうか。


「これはとても大事な物なんだ。僕の友達を探すたった一つの手掛かりだ。これを渡すことはできない」


「ダメだと言われたら余計欲しくなるのがオイラの性分さ。そしてオイラ達は宝石が大好きなんだ。光り物には目がないんだ、見た目通りな」


ヘルメット頭は描かれた目を小突いてケラケラと笑った。


「ここはアシュールの国境近くですよ。こんな所で人間から追い剥ぎをしたらアシュールの神官軍があなた達を殺しにきます。彼らは人間以外の種族を激しく憎んでいますから」


テウルが前に進み出て言った。だが脅迫じみたセリフに返されたのは嘲笑だった。


「砂漠を知らんアシュールの連中なんか怖くないね。それにおめーらはアシュール人じゃねーだろ?そこの男の人間はどう見たって違うからな。アシュール人が憎んでるのは自分ら以外の全ての種族民族さ」


アシュールのことを言う時、ヘルメット頭は憤怒に駆られているのが顔がなくても分かった。彼だけではなく周りのキリクク族も同じらしく、唾を吐く動きをした者もいた。出るものは何もなかったが。


どうやら相当にアシュール人が嫌いらしい。テウルや彼の言う通りアシュールの人々が極度の排他主義者なら、自分と同じく別の世界から来たアキラは無事なんだろうか。もし彼がアシュールにいるなら、どのような扱いを受けているんだろう。ハルトは友の無事を心から願って赤い宝石をより強く握りしめた。


「ボーティス。さっさとやっちまおうぜ」


バケツ頭が待ちきれないとばかりに四本腕を上げると、それぞれの手に短剣が握られていた。バケツ頭は飛び上がり、ハルト目掛けて突進してきた。


「ハルト様!」


テウルは咄嗟にハルトを押し退けた。バケツ頭の短剣はテウルの左腕を斬りつけ、彼女の衣服を裂いた。そのためにテウルの球体関節が露わになり、それを目にしたキリクク族の驚きは大変なものだった。


「こいつ、人間じゃないぞ!」


ざわめきと動揺が広がり、彼らの描出した目は一点に注がれている。ハルトは一緒にいるうちにすっかり慣れてしまっていたが、リビングドールはこの異世界でも非常に珍しいようだった


「怪我は大丈夫? テウル」


「心配いりません。私は頑丈ですから」


左腕の表面にかすかな傷ができていたが当然出血などない。


「痛みはないの?」


「斬られた感じはしましたが痛みは感じません。私の体もキリクク族と似たような依代に過ぎません。魔術で定着した生命そのものを傷つけられない限りは平気です。彼らと違って壊れたら取り替えるなんてことはできませんが」


「こいつはすごいな! 作り物の体! それも信じられないくらい完璧だ!」


ヘルメット頭のボーティスは岩の上でぴょんぴょん跳ねている。まるで宝物を発見した子供のようだ。


「宝石に完璧な体! こんなことがあっていいのか! 一度に二つも目の前に現れるなんて! 今日は人生最高の日だ!」


鉱石やガラクタを寄せ集めて体を作るキリクク族にとってテウルの精緻の極みにある人造の体は何よりも価値があり、美しいとされるものだった。キリクク族は歓喜の雄叫びを上げ、武器をガチガチと打ち鳴らした。興奮に任せていつ襲いかかってきてもおかしくはない。状況は最悪だ。


「ハルト様。一気に走り抜けて逃げましょう。剣を構えてください」


ハルトは護身用に身につけていた剣に触れる。うまく扱える自信はないが、盾がわりにはなるだろう。攻撃をなんとかいなして逃げ切るしかない。


「私が魔術で道を開きます。相手が怯んでる隙に息が続くまで走ってください」


「分かった。いつでもいいよ」


テウルが胸の前で両手で円をつくった。円の中心に光が集まり、どんどん大きくなっていく。呪文を唱えると急速に光が肥大化し、目が眩むほど輝き出した。何事かとキリクク族が雄叫びを止め、一瞬の静寂が降りた時、テウルは光の球体を

ボーティスの足元の岩に向かって放った。


球体は矢のような速度で岩に当たり、粉々に砕き、衝撃と破片を撒き散らした。ボーティスは直前で岩を飛び降りていたがどうなったかは分からない。確かめる暇などなく、ハルトとテウルは包囲を抜けるため全力で走り出したのだった。


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