不条理

 真面目に生きてきた。学校では10番以内の成績を収めてきたし、写真部では部長を務め、地元では一番頭のいい大学に進んだ。でも、就職活動でこけた。誰も知らない印刷会社に入った。上司は厳しい人だったが、今でも真面目に続けている。


「田中くんとこ、結婚したらしいんよ」と、食事の途中で母ちゃんが言う。結婚。その二文字が出す焦燥感が私の余裕を蝕んでいく。私は母ちゃんが畑で作ったカボチャを箸でつまんだ。鰹節の出汁で煮たカボチャは、甘さの奥に磯の香りとコクが詰まっている。


 ふと、テーブルの上にある雑誌に目が入った。「お見合い大合戦!!」と書かれた記事は最近の人気バラエティー番組が開く、婚活パーティーだった。昨今の少子高齢化対策に向けてテレビが産み出した一種の答え、もしくは苦肉の策だろう。興味も薄れて雑誌を閉じようと思ったが、その記事に貼られてあるハガキが切り取られていることに気づく。


「あんた、来週の土日は暇じゃろう」 


 嫌な予感とは決まって当たる。私は休日にスーツを着て、8Kと書かれた放送カメラの前でしどろもどろをしていた。


「バスが来たぞー!」


 タレントの声で男性全員がうしろを振り返る。大型バスから降りてくる女性たち。どの方もすごく綺麗で、楽しそうに微笑んでいる。この中に私が結婚する女性がいるのかもしれない。そう考えるだけで、幸せな気分になれた。


 男性は各々が自分のプロフィールを書いたホワイトボードの前に立ち、自己紹介をする。私は椅子に座って女性が来るのを待ちながら、ここが社会の縮図であることに気がついた。


 女性は医者や経営者などの収入が安定した人物や、ルックスの整った人物の元によく集まる。カメラマンだってそのような人物を必死にフィルムに収めようとする。これはもしかしたら、若い子ども達への教育資料になるのかもしれない。何も持たずに生まれた人間が何の努力もしないと、蚊帳の外の外。つまり、誰にも興味を持たれないということを教訓として体現しているのだ。


 私はパイプ椅子に座り、暇でペットボトルのラベルを剥ぎながらそんな妄想をしていた。ここのスタッフは爪が甘いようだった。ラベルを剥ぎ終わると、それをポケットに詰めて共有スペースにお菓子をつまみに行く。テレビが用意したクッキーは今まで食べたものの中で一番美味しかった。


「クッキーがお好きなんですか?」


 私は顔を上げた。目の前にいる女性は丸い目を細くして、目尻にシワを作りながら笑った。先日YouTubeで見た飼い主に懐くフクロウの動画を思い出す。彼女の愛嬌や知的な雰囲気がどこかそれに似ている。


「はい、好きですね。このクッキーは特に美味しいです」


「分かります。口の中でホロホロと崩れるのですが、しつこくない焼き加減だから病みつきになります」


 ホロホロという表現がいかにもフクロウらしいと思った。私はクッキーから話を広げて、趣味の話題になった。


「〇〇さん、ご趣味は何ですか?」


「読書が趣味です。最近では一周回って夏目漱石の吾輩は猫であるを読んでいます」


「夏目漱石ですかいいですね。私も読書が趣味でして、吾輩は猫であるはとても好きです」


 めずらしく、女性との会話が盛り上がる。この人とは話をしていて楽しい。それからも、好きな本の話をした。好きな映画の話もした。フリータイムの時間の半分以上を使って、彼女と話した。すごく楽しかった。


 フリータイムが終わり、別の場所に移動して2人きりで話をするトークタイムになった。私は他の方達が散らかしたお菓子のゴミや椅子をスタッフの人と一緒に直していた。すると、遠くの方からキャンキャンと声がする。よく見ると、髪の茶色い小柄な女性がお手洗いから出てきたようだった。


「え!椅子片付けてる!紳士!」


 内巻きに巻かれた髪を揺らしながら私に大きな声で話しかけた。トイプードルのような女性だと思った。さきほどの方よりも少し若い。まだ十代と言われても疑わないような容姿だ。


「皆さんが出て行かれてしまったので、仕方がなく手伝っているだけですよ」


「いやいや!普通しないですよ!すごいことです!」


 子犬のようにワンワンと言っているようだった。あざとい女性というものを見たことがなかったが、なるほど、彼女のような人物なのだろう。


「せっかくなので、このトークタイムでお話ししませんか?」


 私は本当は先ほどの女性と話をしたかったが、彼女は別の人と喋っている様子が見えたため、私はこの女性と話すことにした。会話は盛り上がらないと思っていたが、彼女が私に合わせてくれたおかげで、それなりに楽しく話すことができた。彼女は明るくて私も会話をしていて楽しい。釣られて何度も笑顔になった。


 そしてトークタイムも終わり、いよいよご自宅訪問の時間がやってきた。私は母ちゃんに電話をかけたが、もうすでに料理や掃除は済ませているらしい。私よりも気張っている母に引きつった表情でありがとうと伝えた。


 私は家に帰ると、母ちゃんが客室に料理を運んでいた。部屋の真ん中には父ちゃんの遺影がある。私はその前に座り手を合わせて、料理を運ぶことを手伝った。からあげ、ポテトサラダ、だし巻き卵、ウインナー、天ぷら。誰がそんなに食べるのだと言いたくなる。普段は和食が多いくせに、張り切って若い層に合わせた料理を作っている。母ちゃんはニコニコとして楽しそうだった。


 そして、ご自宅訪問の時間になった。私は仏壇の前に正座して、母ちゃんと一緒に女性の到着を待つ。五分が過ぎた。母ちゃんはずっとソワソワしながら、お茶を飲んでは注ぎ直している。十五分が過ぎた。「遅いね、道分かんないのかな?」と、母ちゃんが気を使ってカーテンの外を眺める。三十分が経った。母ちゃんが張り切って作った料理はもう冷め切っている。私たちは沈黙の中で、扇風機が回る音だけを聞いていた。私は母ちゃんの顔を見ることができない。女性の一人にも興味を持ってもらえない息子がさぞ恥ずかしいのだろう。さぞ惨めであろう。ごめんよ、母ちゃん。あなたが思っているほど、世間は私に興味がないのだ。私はつまらない人間なのだ。


♪ピンポーン


 インターホンが鳴った。僕は反射的に立ち上がろうとするが、痺れた足が言うことを聞かず、一度座布団の上に落ちてしまった。母ちゃんの顔を見ると、雨の上がった青空のような笑顔を浮かべて「早く行っておやり」と私をせかす。私も嬉しくなり、はにかんで頷き、玄関へ急いだ。


「ご注文いただいた商品です」


寿司屋だった。


「あ」


 母ちゃんの細い声が廊下に響く。白い髪の生えた頭を両手でクシャクシャと掻きながら、泣きそうな目で私を見つめる。


「ごめん。母ちゃんお寿司頼んだんだった」


 私は寿司を持って、テーブルに着いた。先ほどまでふっくらとしていた唐揚げがシナシナになっている。私はそれを箸で刺し、頬張った。一つ、二つ、三つ、四つ。どんどん、どんどん頬張った。母ちゃんは泣きながら「無理せんで」と言う。「いや、母ちゃん。世界一美味しいよ。母ちゃんの料理が世界一美味いんだ」と、私は唐揚げを詰めながら言った。


「天ぷらだってこんなに美味しいのに。もったいないなあ」


 私は天ぷらに塩をふり、一口で食べた。母ちゃんは顔を押さえて肩を震わせている。


ごめんよ。母ちゃん。ごめんよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

AIに小説書かせてみた F.カヌレ @renren3838

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ