第2話 兄の想い

 しばらくしてクロエが泣き疲れた頃、アルノルトが口を開いた。

「クロエ、まだ寝ていた方がいい。熱も下がっていないようだしね。」

 クロエが頷くと、アルノルトは彼女を持ち上げてベッドに運ぶ。

「見ないうちに、少し痩せてしまったかな?ごめんね、僕がそばに居られなくて。」

 ベッドに寝かせてから、改めてクロエを見たアルノルトが言った。


 その言葉にクロエは首を横に振るが、アルノルトは寂しそうな目をしたまま、クロエの右目にかかった黒くやや長い前髪を退ける。


 その先から顔を出したのは、左の青いとは異なる、金色こんじきの瞳。それを見たアルノルトは、優しく微笑んだ。


「相変わらず綺麗な瞳だね。」

「そうおっしゃるのは兄様だけです。」

「そうかもね。偏見を持たなければ、ただ純粋に綺麗だと思えるのに。」


 クロエが持つ、色がそれぞれで異なる目は、決して普通のものではなく、周りから忌避されていた。

 特に、クロエの両親が共に碧眼だったことから、ことわりから外れた呪われた子として、クロエは蔑まれることとなっている。


 通称・「災厄の乙女」。彼女が生まれた時に彼女の母が命を落としたこともあり、災いを呼ぶ姫だとしてつけられた名である。

 もとは、皇后だった彼女の母を支持する民衆が言い始めた蔑称だが、今では貴族や他国にまで知れ渡っている。

 帝国に災厄を呼ぶ者。それが、クロエに対する世間の認識だった。


にい様、視察に行かれてたのでは?予定より早い気がしますけど…。」

「仕事が早く片付いたんだ。クロエが倒れたとの知らせも貰ったから、急いで戻って来た。」


 アルノルトは、基本的にクロエに甘い。母親が同じで、実の妹だからという理由もあるが、彼女が世間から目の敵にされている事も承知しているので、特別甘くなってしまう。


「あの…。」


 リナが恐る恐る声をかける。アルノルトがリナの方を見ると、彼女は勢いよくその場に土下座した。


「申し訳ありません、皇太子殿下!実はクロエ様の記憶が混濁してしまっていて…世話係の私の落ち度です。どうか処罰を!」

「えっ⁉︎」


 アルノルトは即座にクロエを見る。


「どういうこと⁉︎僕の事は分かるんだよね?」


 クロエは首を一つ縦に振る。

 現在がいつの段階なのかを知りたかっただけなので、記憶があやふやになっているわけではないのだが、周りがそれを知るわけは無い。


 何も言わないクロエに、アルノルトが尋ねた。


「何かあったの?」


 唐突な兄の問いに、クロエは「えっ。」と声を漏らす。明らかに動揺を見せた彼女を、アルノルトは逃さなかった。


「さっき僕を見て泣いたよね?視察で少しの間離れていたとは言え、あそこまで泣いたのには、他に理由があるんじゃないかな?」


 アルノルトは微笑みを崩さず、優しく諭すようにクロエに話す。

 徐々に核心に近づいて来る兄に、クロエはただ黙っていることしかできなかった。


「クロエ。僕に、何か言えない事があるんじゃない?」


 アルノルトのは真剣だ。真実を見通すその真っ青な瞳から、クロエは思わず目を逸らした。

 そしてそれは、図星だと言っているようなもので。


「誤解しないで欲しい。言いたくない事を無理に言う必要は無い。」


 アルノルトはクロエを安心させるように、彼女の手を両手で包み込む。


「でもね、クロエ。もしその隠し事で君が独りで苦しむことになったら、僕は無理にでも聞き出さなかったことをきっと後悔すると思う。」


 きっとその言葉は本音だ。

 いつも自分を真に想ってくれる彼を知っているからこそ、彼の言葉を彼女は信じられる。

 たとえ前回の人生を経て、誰も信じられなくなったとしても。


「だから教えて欲しい。その秘密は、どうしても僕には言えないこと?」


 言って良いのか?

 クロエは迷う。自分が未来の事をアルノルトに話して、それによってどのような影響が起こるのか、彼女は想像できなかった。


 アルノルトは、真っ直ぐにクロエを見つめる。逸らしてはならない、貫くような視線に彼女は戸惑った。


 クロエは体を起こし、ベッドの側部に足を出して座る。アルノルトの隣に座った彼女は、握られた手を見る。

 彼のその白い手は、とても温かい。すると彼女の頭に、前回の記憶が蘇った。



 急な病で苦しみ、力尽きようとしていた彼の手は、徐々に冷えていった。いかに自分の手で温めようと手を握っても、その手は温もりを失うばかり。

 そして遂に、その手は力を失った。二度と握り返される事の無い手を、クロエはいつまでも離すことが出来なかった。



「クロエ…?」


 自分を呼ぶ兄の声に、クロエは我に返る。アルノルトは心配の色をその瞳に浮かべていた。


 クロエはまた泣いていた。

 その涙を指で拭い、握っていた妹の手を見て、アルノルトは決意を固めた。


「クロエ、教えてくれ。君は何を抱えているの?」


 クロエは黙ったまま、アルノルトから目を逸らそうとする。

 彼女は、ただひたすらに恐れていた。前回の人生で見た未来も、いまだ見ぬ今回の未来も。


 しかしアルノルトは、クロエの目を追って体ごと移動する。クロエの正面で膝をついたアルノルトは、彼女の両手を重ね合わせ、まとめて自らの手で包む。


「約束する。たとえ君の秘密がどんなものだろうと、必ず受け止める。どうか信じて打ち明けてくれないか?」


 アルノルトが引く気配は無い。しかし、クロエはどうしてもその一歩を踏み出すことが出来なかった。


「僕にも、君が抱えているものを背負わせて欲しい。君が苦しむ姿は見たくないんだ。」


 アルノルトは頭を下げて、握った手に額をついた。


 ずるいと、クロエは思った。そんな言い方をされては、断ることなどできないではないか。


 いつも無理強いなどしない兄が、今回は引かなかった。彼は決心したのだ、自分を独りにしないと。

 そうなれば、自分も覚悟を決めるしかない。それが礼儀だ。


 クロエも、その意を決した。彼女の中にある恐れや不安は決して変わらない。

 それでも、前に進むしかない。何もしなければ前回の二の舞になるだけ。そうなるくらいなら…賭けだとしても、運命を変えたい。


にい様、聴いて欲しい事があります…———。




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 更新がだいぶ空きまして申し訳ございません…!これからは基本隔週更新で進めて参ります。

 次回から過去編。辛くてもお付き合い下さる方はよろしくお願いします!

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