ヘンリク卿〈6〉

「オラ進め進めぇ!俺たちが先陣切らなきゃ誰が切るか!?」


 キデルベルト侯の号令の後、荒々しくも冷静に駒を進めたのは右翼のエゼルレッド率いる騎兵隊であった。

 いち早く正面の部隊を撃破した名誉ある彼らに、敵陣へ真っ先に乗り込む権利が与えられた。


 敵後方へと回り込むようにして、大きく弧を描いて敵中央の右側面へと移動する。


 だが此処で権利を行使しようものならば、先の愚かな帝国育ちの水牛と同様の醜態を見せるだろう。

 エゼルレッドは水牛の如く精悍で大柄な肉体を持つが、心まで水牛ではなかった。


 今の彼は狼である。

 狼は集団によって獲物を追い詰め、確実に狩りを遂行する。

 そしてそのための前準備とは側面から距離を保っての魔導砲撃である。


「勝ち戦だが迂闊に近づくんじゃねぇぞ!もし突っ込みたいならテメェだけで勝手にやれ!」



 注意が疎かな側面方向から砲撃に曝されることは帝国兵に大きく動揺を与えた。

 魔導兵は側面に集中すべきか、正面に集中すべきかと戸惑い、各々で勝手に判断したがために障壁の展開は杜撰なものと成り下がった。

 そのために少なくない砲撃が帝国兵の頭上に降り注ぎ、少なくない断末魔が各所から上がった。


「ええい、隊列を乱すな!乱したものはこの場にて叩き斬る!」


 カールマンは騎兵の少数を以て既に隊列だけでなく、士気も崩壊しかけた歩兵を何とかこの場に押し留めようと督戦する。

 しかしなおも浮き足立つ兵を見れば、それは無駄な努力であると一目瞭然である。


 ライネスブルク辺境伯の領地は帝国向けの魔導金属ミスリルと羊毛輸出によって発展したために資金は潤沢。

 侯国ならば歩兵として運用する練度にある魔導兵すら金に物を言わせて伯爵は騎兵として用いていた。


 そのために歩兵の練度は益々劣ったものとなっており、簡単に崩壊するのも無理のない話であった。



 その優勢を見てか、他の戦場も大きく動き出す。

 エーギルとラグナルスのいる侯国軍左翼は敵騎兵の進路を塞ぐように砲撃を行う事で、歩兵すら巻き込みかねない距離にまで押しやっていた。


 砲撃支援のために前進と停止を繰り返していた侯国軍中央も停止の頻度に間を置くようになり、距離を詰める事を優先させていた。


 


 歩兵間の距離が二百ルーア(メートル)にまで迫る。

 帝国軍は最早半包囲の憂き目に遭い、一敗地に塗れようとしていた。


 だが既に戯曲が終演へと向かっていた、まさにその時。


 場外より乱入者が現れる。



※※※※※※



 まず乱入者に気付いたのは侯国軍右翼の騎兵である。


 側面から相対する帝国軍の反対側から謎の騎兵集団が迫ってくることに気づいた。


 周囲が霧に覆われていたこと。

 そして今まさに包囲が完成しようとして、心中で沸いていたこと。


 こうした要因を以て接近に直前まで気付くことは無かった。


 ようやく肉眼で乱入者の容姿を視認できる距離まで近づく。


 その騎兵隊は正しく全身を黒で覆っていた。

 徒歩かちの魔導兵は、伝統的に魔女ストリクスの象徴たる丈の短い黒のローブを着込むがそれの比ではない。

 一瞥すれば、馬鎧に籠手、兜や携える短銃ドラゴンまで黒一色と色彩に欠けている。

 だが薄らとではあるが何か彫り込まれていることから、どれも格式高いとは分かる。



 そして加えて言うのなら、彼らは皆が軽装・・であった。


「突撃!」


 何処からともなく聞こえてきた若い男の声。

 それと共に鳴り響く銃声。

 戯曲には乱暴にエピソードが書き込まれようとしていた。





 戦場全体を俯瞰するキルデベルトが右翼の異変に気付いたと時を同じくして、侯の下へと早馬が駆け込む。


「ご報告します!右翼騎兵隊は現在正体不明の騎兵に突撃され潰走状態に陥りました!」


 だが侯爵は見ればわかるとばかりに、声の方へと手を前に突き出すと、望遠鏡を食い入るように覗き込んだままであった。


 右翼を崩壊させて、隊形を組み直す騎兵へと目をやる。黒衣の騎兵隊だ。

 まさかと思い旗印にも視線をやる。

 天候不良で明確に判然としないものの、それが黒い龍を象ったものだと分かると、途端に望遠鏡が手から滑り落ちる。


「ありえない…なぜ彼らが!?何故に黒龍騎士団ドラゴネス・テデンシェがこんな辺境の地にいるのだ!?」



 帝国の誇る、外征における最強の切り札がこの地に現れた。

 この事実を今一度脳内で反芻させたキデルベルトは顔面を蒼白とさせたのであった。

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