第8話潜り込む




 会員制のSMクラブでどうにも死者が出ているのではないか、そんな情報を得た俺は伝手をたどって当のクラブに入会した。

 いまだ警察は動いていない。ならばスクープを物にするいい機会だった。記者としての身元を隠して赴いたクラブは拍子抜けするほど、品のいいただのクラブの様相。一見は。

 ラウンジには身なりのいい男女がグラスをかたむけては談笑している。いずれもちょっと目を引くような高そうな洋服だった。が、彼らに給仕する連中がここはSMクラブだ、と示しているかのよう。半裸、というよりは首輪だけであったり書けないような「器具」であったりするようなものだけを身につけた男女が紳士淑女に酒を注いでいた。どちらがどういう役割か見るだけでよくわかる。その趣味のない俺には閉口する景色ではあった。

 体が沈み込むようなソファにゆったりと腰をおろした俺はS側、として会員になっている。おかげであれを免れていて安堵していた。が、M会員の期待に満ちた目はやはり、引く。けれどそうも言っていられない。潜入取材とあっては疑われた段階でおしまいだ。楽しくもない行為を楽しんでいるふりしつつ、ラウンジを見まわしていた。

 数回ほど通ってわかったことがひとつある。いつも同じ席にいる男女の客。全員が着衣であることから、S会員だとわかる。店の方も彼らにはずいぶんと丁重、というよりまるでオーナーのような扱いだった。

 ――さて、どうしたものか。

 彼らは彼らだけで固まっていて、他者が容易に入り込める雰囲気ではない。不用意に近づいて警戒されては元も子もない。俺の勘でしかないが、本当に事件が起きているのならば彼らが知らないはずはなかった。それほど店に馴染み、意のままにしている彼ら。

「あら、新しい顔ね」

 近づく手段を考えていた俺に好機が来る。その日はたまたま近くの席に座っていた俺に向こうの女が気づいては笑みを向けてくる。

「えぇ、最近こちらに通うようになって。いい店だ」

 にやりと笑ってグラスを掲げ、反対の手でM会員の体を弄って見せる。無造作に見えたならば幸いだが、雑な手なのは面白くもないせい。やられている方はそれが楽しいのか熱い息を漏らしていたが。そんな態度が功を奏したのか。女が周囲に囁きかけては俺を自分たちの席へと招いてくれた。

 ――よし!

 第一関門突破、というところか。俺は彼らが事件を知っている、と不思議と疑わなかった。たぶんそれは、彼らの表情だと俺は思う。S会員だから、という以上に傲岸不遜な顔つきだった。あたかも人間はみな蛆虫だと言わんばかりの。

 正直に言えば、俺もその点は同類かもしれない。記者をしているわりに読者のあまりの馬鹿さ加減に頭にくることももうなくなってしまった俺だった。そのせいかどうか。気づけば俺は彼らにすっかりと受け入れられていていっそ苦笑するほど。

「いいな、君は」

「そう……ね、中々だわ」

「次は一緒に楽しもうじゃないか?」

「いいですね。楽しみにしていますよ」

 再会を約してその晩は別れた。そんな遊びを楽しむ気はまったくない。そればかりは同類でもなんでもない俺だが、次の機会は楽しみだった。

「来るな。なんかあるな」

 あの思わせぶりな表情。何かがある、と語っているも同然で俺は約束の晩が待ち遠しくてたまらなかった。

 ある意味、それは正しく報われた。ラウンジに顔を出した俺を迎えた彼らは「部屋を取ってあるよ」と早々に別室へと移る。すでに俺も経験していた、プレイ部屋だった。俺のときには各種道具類がこれでもかとばかりあって、ちょっと戸惑った。どう使うものなのかさっぱりだったせい。なんとか乗り切ったものの、またあれかと思うと面倒が先に立つ。取材、と内心に呟いて彼らに従った。

 が、そこは似た部屋ですらなかった。六人ほどの彼らと俺とが入るのだから大きな部屋であるのは、まだわかる。だがしかし。

「いい趣向でしょ? わざわざ作らせたのよ、この部屋」

 最初に話しかけてくれた女が微笑む。綺麗な女だったが、嬉しくもない。部屋の中央には大きなテーブルがあった。否、手枷足枷を繋ぐ物があったから、いっそ拷問台と言った方が正確だ。遅れて入って来たM会員の首輪に鎖を繋ぎ、手枷をつけ足枷をつける。見る間にその男はテーブルに拘束されていた。

「さ、楽しみましょ」

 笑みを向けてくる女に笑い返しつつ、俺はどうしたものかと考えていた。何もできませんでは疑われる。といって何ができるでもない。

「せっかくの機会だ、あなたがたの趣向をまずは目で楽しみたいですね」

「あらそうなの?」

「まだまだ未熟者ですからね。ご教示願いたいものです」

 にんまりと笑って見せれば、彼らも悪い気分はしなかったらしい。嬉々として男を弄びはじめた。それは、紛うことなき拷問だった。鞭だ蝋燭だ、そんな生易しいものではない。あっという間に男は血みどろになっていく。それなのに。

 ――なんだ、こいつは。

 これでは死者が出るのも当然だと思っていた俺の目の前で男は歓喜に狂っていた。苦痛に身悶えながら、悦びを喚き立てる。そういうもの、なのだろうか。違和感があった。

「顔色がよくないわよ。こういうの、はじめてかしら?」

「日本でこんなものが味わえるとはね。驚いただけですよ。実に素敵だ」

「……そうね。素敵でしょ?」

 ふっと笑った女の唇の赤さ。切り裂かれる男の肌から滴る血。胸が悪くなってきていた。

 そう、気味が悪かった。ナイフで刺されながら男は喜んでいる。楽しい、この苦痛におののく体が素晴らしいと喚いている。

 ――まるで他人事だな。こんなもんなのか?

 まさかと思う。趣味はそれぞれだ、そういう人間もいるだろうが、それにしてもやりすぎではないのか。悦楽なのか苦痛なのか、失神したは連れ出されどこかへと。気にはなったが追いかけることはできなかった。

 以来、何度か彼らと共に「遊ん」でいるが、不思議なことにいつもM会員は失神して終わる。あれでは無理もないのだが、俺としては気を失う程度で済んでいることこそが不思議。

 ――本当に済んでんのか?

 見えない場所に連れて行かれてのち、死んでいるのではないのか。そう思ったとき、新たな疑問も湧いてきた。はじめは同じ顔ぶれと思っていたのだけれど、気づけば入れ替わっている。

 ――なんだこれは。

 わからなかったのは、ひとえに彼らが似ているせい。顔形ではない。佇まい、あり方、存在の仕方。そんなものがあまりに似ている。まるで、彼らだけの種族であるかのように。そう思ったときに奇妙な寒気を覚えた。

 ――殺人者の集団、と思えばそりゃ似るのかもしれん。

 類は友を呼ぶと言おうか。そんなものなのかもしれない。むしろ俺はそう思いたかったのだと思う。

 そして、彼らを観察するうちにまたひとつ、気がついた。今夜のM会員もまた失神し、ぐったりとした体が店員によって運ばれていく。堪能したのだろう彼らは一様に頬を紅潮させては満足げ。思えば苦痛のみを楽しんで、別の楽しみは求めない彼らでもあった。

「どうだい、少し飲まないかね」

 珍しく事後に誘われて俺はもちろんとうなずいてラウンジに戻った。最近では首輪だけの給仕がいるラウンジの方がいっそまともに見えてきている。自分の体に血の臭いがしそうで帰宅後には肌が赤くなるほど何度もシャワーで流す俺だった。それほど、彼らは血と拷問に酔う。筆舌に尽くしがたい、とは記者としては言いたくはないが、率直に書いたら出版できない行為でもあった。

「何度か一緒に過ごしたが、楽しんでいるかね?」

「実に有意義ですね」

「それはよかったよ」

 初老の男だった。いつの間にか、最初の女は見かけなくなっている。グラスに口をつけつつ慎重に尋ねた。

「今夜の遊び相手は……そう、前にも見たことがあるように思うんですよ」

「そうかね?」

「着衣会員として、ね」

 言った途端、男がぬたりと笑った気がした。失敗したか。咄嗟に警戒するも男はにやにやとするばかり。芝居がかった格好でグラスを掲げた。

「たまには逆も楽しみたい、ということさ」

 嘘だ、直感する。単なるSMならばあるのかもしれない。だがこれは絶対に嘘だ。何か、隠されたものがあると俺は確信していた。

 あるいはそれが切っ掛けだったか。今夜は最後まで見ていかないか、と誘われたのはそれからほどなくのこと。一も二もない。決定的な何かを得られるかもしれないと内心に喜んでついていった。

 いつもの部屋で、いつもと同じ拷問だった。だが、決定的に違うことがひとつ。今夜のM会員は、あの女だった。まさかと思う。

 ――たまには逆で遊びたい?

 馬鹿なと思う。あの女の口調、態度。いずれも逆を楽しめるタイプではない。間違っていたならば記者失格だと断ずるほど自信がある。なのに、女は苦痛を喜んでいた。

「もっと。もっと苦痛を」

 身をよじって求める女にナイフが刺さる。びくん、と痙攣する体が生きながらえるとは思えない。遊びで逆のわけがない。拷問台はいつしか血が滴り落ちるほど。彼らはありとあらゆる痛みに長けていた。人体を苦しめる行為に精通していた。そして。

「あっ」

 思わず声をあげてしまっていた。ぞっと彼らを見回す。最後まで見るかとは、この意味かと。女の首にナイフが滑り込み、断末魔の悲鳴が。それを甘美に聞く彼らから距離を取りたい。

 それでもまだスクープへの期待があった。失敗だった。逃げてしまえばよかったものを。ナイフの刺さったままの女が動いた。死んでいなかったと安堵するも束の間。

 俺の目の前で女の頭蓋骨が弾け飛んだ。脳漿と血を飛び散らせ、だがそれに留まらず。あれは、いったい。俺は何を見たのか。ぬたりと頭蓋の中から何かが現れた。入っていたモノが飛び出したと否応なく理解する。幻のようで、そこにあるのにない。逆かもしれない。ないのに、ある。鳩ほどの大きさのあれがよもや頭蓋に入っていたわけもないというのに。

 気がついたら俺は自宅に戻っていた。呆然と机の前にいた。メモが散らばっているから、見たものを整理してはいたに違いない。あれは、現実か。本当に現実なのか。

「記事には、できない、か……」

 グロテスクにすぎたし、正直に言って自分の目に自信がなくなっていた。隠しカメラでも持ち込めればまた違ったのだろうが。思った途端、もし映っていたらと想像するだけで俺は吐いた。

 一応メモの整理だけして取材は打ち切ろう、決心して過ごした数日。メモを取りまとめるだけで気分が悪い。

 ふと、目を瞬く。いま目覚めたのだと、自信がある。だが俺はなぜデスク前にいるのか。思えば記憶が怪しい。昨夜は何をしたか。そう思って記憶を手繰る俺は悲鳴をあげていた。夜になると、途切れる記憶。はっとして手を見る。まさかとは思うが血に汚れていないかと。きれいな手だった。だが、爪の間に。俺は。まさか。そんな。俺の頭にあれが巣食っている。いまこそ理解した。拷問を楽しんでいたのは。いつか俺の頭蓋を突き破り。




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