亜美の誘惑1※性描写アリ


「今開けます」


インターホンを鳴らすと、凛とした声が響く。しばらくすると、ドアが音を鳴らして手前に開いた。


「亜美、久しぶりだな」


「お久しぶりです、先輩」


開いた扉から見えたのは当然というべきか、俺の彼女である亜美。艶やかに垂れる黒髪に紺色のデニムワンピースが調和していて、この世のどの女性にも負けない可憐さを身に纏っているのだが……。


「隈、酷いな。寝れてないのか?」


亜美の目の下には看過できないくらい黒ずんだ隈。よく見るとそもそも顔色がよろしくないし、少し痩せた気もする。


「少し寝れてないだけなので大丈夫です。……入ってください」


心配になって思わず声をかけたものの、あまり彼女自身は大事に捉えていないようだ。


気がかりだが、亜美自身が大丈夫と言ったからには、俺が何かを言ってもお節介になってしまうかもしれない。


切り替えて大人しく家に上がる。


「お邪魔しまーす」


家に入って初めに洗面所に向かう。手を洗い終わると、2階にある亜美の部屋に移動する。


亜美の部屋には、当たり前というべきか椅子が1人分しか無いため、いつも通り俺はベッドに腰掛ける。


亜美は当然自分の椅子が空いているのだが、変わらず俺の隣に同じように腰掛ける。


軽く会話を挟んだ後、機を見て俺が亜美の手を握る。これが幾度もこなしたいつもの流れなのだが、今日はそれよりも前に亜美が手を握って絡めてきた。


無言の時間がしばらく続く。しばらくして、亜美がその沈黙を破った。


「先輩。私……寂しかったです」


絞り出したかのような、苦しげな声が脳天に響く。それは彼女が抱いていた寂寞せきばくを表現するに足るものだった。


「……悪かった」


「どうして私と距離を取ったんですか?」


当然の疑問。俺は真摯に答える必要がある。


「……あの日、亜美に言われたことは間違いなく正論で、君に酷いことをしてきたなって自覚をしてからは、合わせる顔が無くて──」


亜美が手に力を入れる。恋人繋ぎで結ばれた俺の手にもその力が伝わってきた。


「──今は距離を取ったほうがいいって自分に言い聞かせて、謝罪もせずに亜美のことを避けていた。……情けなかったと思う。本当にごめん」


誠心誠意謝罪する。亜美の表情は分からない。いや、俺が確かめようとしていない。彼女がどんな気持ちで俺の言葉を聞いたのか、それを窺い知るのが怖かった。


「先輩」


呼びかけられて恐る恐る顔を上げると、不意に頭を抱き寄せられた。


「……柔らかい」


弾力を感じて初めて自分が亜美の胸に顔をうずめていることを理解した。


「不安になっちゃったんですよね。、避けちゃったんですよね」


「……」


俺の頭を撫でながら、耳元で囁く亜美。彼女が紡いだその言葉は、まるで彼女自身が自分に言い聞かせているようだった。


「先輩。……仲直りのキス、しましょ?」


亜美は胸から俺の頭をそっと持ち上げて、俺と目をガッチリと合わせる。


どちらが合図したわけでもなく、目を閉じてゆっくりと唇を合わせる。


久しぶりのキス。それは正しく甘美。体の一部をくっ付けて共有するこの感覚が心地よい。


そう満たされた気持ちになっていると、瞬く間に舌が入ってくる。


亜美の舌に俺の口内が蹂躙される。性的な事にはいつも受け身だった亜美の行動だとは思えなかった。


「……んっ、おいし♡」


亜美と俺の間に艶かしい糸が引かれる。それを手で拭った亜美は、妖艶に微笑んでみせた。


何かが、違う。


「……先輩、もう大きくなってますね♡」


亜美の手が俺の下半身に伸びて、そのまま服の上から優しくさすられる。


「先輩、しよ♡」


耳元で囁かれる。亜美の一挙一動に劣情を煽られて、俺はもう爆発寸前だった。


のだが。


自分の欲望のままに彼女を抱く前に、彼女に対して抱いているこの違和感の正体を突き止めるべきなのではないか。


久しぶりに会って息つく暇もないままに、心の擦り合わせをする前に体を重ねるのは、本当に正しいことなのだろうか。


などと、側から見れば"どうでもいい"と切り捨てられそうな事を考えてしまう。





俺の様子を見て思うところがあったのか、亜美は底冷えするような冷たい声で俺に声をかけてきた。


「……いや、そういうわけじゃない」


「じゃあ、抱いてください。私のことを愛してるって、行動で証明してください」


「……分かった」


俺も渋々、という訳ではない。亜美のことを抱きたくて仕方がない。めちゃくちゃにしてやりたい。でも、心の中に何かが引っかかっていた。


それでもやはり欲には抗えず、気持ちも昂ってきたところで俺は大事な事に気づく。


「……今日俺、ゴム持ってきてない」


ゴムを用意するのは俺の役目。ゴムを忘れた日には、どんなに良いムードだったとしても性行為は無し。


だから俺がゴムを持ってきていなかったら、当然体を重ねることはできない。


つまり今日はお預け───



「……え?」


信じられなかった。


あの亜美が。避妊を怠ることには誰よりも厳しいあの亜美が。


「先輩、えっちする時毎回生でしたいって言ってましたもんね。……だから、いいですよ♡」


「いや……そうだけど」


「孕めー♡俺の子を産めー♡って、先輩出そうになるとよく言ってたじゃないですか♡」


「いや……」


こう聞かされてみると、心底恥ずかしいのだが、確かに俺は言っていた。


本気で妊娠させたいと思っていた。亜美が妊娠してくれれば、亜美は俺と結婚して、一生俺を愛してくれると思ったからだ。


それは確かに、愛に飢えていて、自分勝手で、愚かだった頃の俺の話。けれども、いくら過去の自分を恥じようとも、それはまごうことなく俺である。


その過去を俺が内包している限り、彼女に避妊を説いた所で説得力がない。


過去の自分に苦しめられるとは、こういうことなのだと、理解した。



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