第4話 クリームパン

これは南雲なぐもそらの物語り。



×  ×  ×



 幼い頃からバスケットボールが大好きだった。父が庭に作ってくれた低いゴールリングへ何本もシュートして、ネットが揺れるたびに得意げな顔をする。父はそんな俺の頭をなでながら「よくやった」と褒めてくれた。もっと褒められたくて練習を重ねた。


 中学生になった頃には「高校や大学でもバスケットボールがしたい」と思うようになり、大学への内部推薦がある高校へと進学した。打算的かもしれないが、高校では内申書の見栄えをよくするために生徒会議長も務めている。


『勉強とスポーツに打ちこむ南雲なぐもそら


 はたから見た俺は模範的な優等生だったと思う。そうあろうと努力してきた。けれど、事件は今年の春休みに起きた。


 3月の末、腰痛に悩まされた俺は市内の総合病院で診察を受けた。医者から「軽度の椎間板ヘルニア」と診断され、鬱々とした気持ちで帰宅する。駅裏のバス停まで来た時には、『腰を痛めたら練習ができない』とか、『レギュラーから外される』とか、そんなことばかり考えていた。すると……。


「ねえ、ねえ。これあげる」

「え!?」


 バスを待っていると突然、隣からパンを差し出された。驚いて隣を見ると俺と同年代の男が立っている。ジーパンに青いトレーナを着て、背中には大きなリュックを背負っていた。丸顔で、太い眉が特徴的だった。


「ほら、これ。クリームパン。美味しいよ」

「い、いえ、いりません。けっこうです」

「……」


 俺が断ると彼は太い眉をよせて悲しそうに俯いた。


「だって、君は悲しそうな顔をしているよ。クリームパンは甘いから、にこにこできるよ。うん、うん」


 彼は一人で納得するように頷いている。


──なんだコイツ?


「ホラ、僕にはまだあるからね。こんなにいっぱい。だからあげる」


 彼はクリームパンが5~6個入ったビニール袋を見せてくる。それは駅前のパン屋さんのもので、俺も何回か買ったことがあった。彼を見ていると、顔の輪郭がクリームパンに似ている気がした。


「あそこの、あそこのね。パンはね、甘いからね。嬉しいね。うん、うん」

「……」


 もらわないと終わらない。そんな気がしてクリームパンを受け取り、封を破って口へ運ぶ。やたらと甘かったが美味しく思えた。


「ありがとう、美味しいよ」

「美味しいよね。うん、うん」


 彼は満足そうに頷き、


「僕にはまだあるからね。心配しないでね」


 と、言った。そして、バスが来ると大げさに手を振って去ってゆく。それからというもの、通院するたびに何度か彼と出会い、二言ふたこと三言みことだけ交わすようになった。でも、名前なんてわからない。俺は心の中で彼を『クリームパン君』と呼んでいた。そんなある日……。


──今日もいるのかな……?


 通院の帰り道、俺は駅前のパン屋さんでクリームパンを買った。もし、クリームパン君に出会えたなら、以前のお礼をしようと考えた。しかし、バス停へ向かうと嫌な光景を見た。


 クリームパン君に金髪で赤いジャージを着た男が話しかけている。男は手を差し出して何かを求めている様子だった。クリームパン君は財布からお金を出して男へ渡す。遠目にも3千円だとわかった。


──なんだアイツ!?


 俺は駆けだしたがもう遅い。男はヘラヘラ笑いながら近くに停まっていた車の後部座席へ乗りこんだ。車はけたたましいエンジン音をたてて走り去る。


「ねえ!!」


 俺はクリームパン君へ駆け寄った。


「今、いた人。知り合い?」

「違うよ。知らない人だね。うん、うん。知らない」

「……なんでお金をあげたの?」

「帰れなくて困っていたからね。電車に乗らないと帰れないよ」

「それ、たぶん嘘だよ」

「……」


 クリームパン君は悲しそうな顔でじっと見つめてくる。それはどこか俺を哀れむような眼差しだった。


「どうしてそんなことを言うの? 困った人は助けなきゃダメなんだ。うん、うん」

「いや、だから。アイツ、車に……」

「ぼ、僕はね!!」


 クリームパン君は俺の言葉を遮ってまくし立てた。


「僕は段ボールで箱を作れるよ。それに、トマトのビニール詰めもできる。それに、それに、定期券だって持ってる!! 僕は帰れるからね、うん、うん」

「そういう問題じゃないだろ!? 俺も一緒に行くから警察に……」

「聞きたくない。聞きたくないよ!! アーアーアー!!」


 クリームパン君は両耳に手を当てて身体を前後に揺する。悲しそうな顔を見ていると、問い詰めているみたいで胸が苦しくなった。そして、同時に抑えがたい怒りも湧いてくる。


──なんで車のナンバーを覚えなかったんだ……クソ、スマホで撮っておけばよかった!! 


 大声に気づいて通りかかった人がチラチラと視線を送ってくる。どうしたら良いのかわからない俺は、とりあえずクリームパンを取り出した。


「これ、一緒に食べよう……この前のお礼」

「……」


 俺がクリームパンを差し出すと彼はぴたりと静かになった。困り顔で目を伏せながら、俺とクリームパンを交互に見つめる。


「知らない人から食べ物をもらっちゃいけないって、先生が言ってた」

「……」


──その先生は「無闇むやみに知らない人へ物やお金をあげてはいけない」と教えなかったのか?


 漠然とそんなことを考えた。でも、クリームパン君の善意に干渉しているようで、やるせない気持ちにもなった。彼は多分、純粋な善意で俺にクリームパンを、金髪の男にお金を渡したのだから。何が何だかわからない、グチャグチャとした気持ちになった。


「じゃ、じゃあ、俺と友達になろうよ。友達からもらうのはいいだろ? 俺は南雲空……」

「な、なぐ……」

「俺は、なぐも、そらって言うんだ」

「うん……」


 クリームパン君は名前を名乗ってくれなかった。かわりに、俺の顔を見ながら笑顔で何度も頷いてくれた。


「うん、うん。空は友達だね。うん、うん」

「一緒に食べようぜ。クリームパンはにこにこできるから」

「う、うん」


 緊張しているのか、少し覚束おぼつかない手つきだったけれど、彼はパンを受け取ってくれた。


「美味しいね。嬉しいね」


 クリームパン君はとびきりの笑顔で頬張ってくれた。でも、俺は味なんかしなかった。

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空に太陽は昇っているか 綾野智仁 @tomohito_ayano

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