湊の入園式(後編)

 幼稚園に付くと、子供達クラスごとの教室へ、保護者は遊戯室で待機することに。行く途中はくずっていた湊だが、蓮太くんと和希が一緒で安心したのか笑顔で「ばいばい」と手を振ってくれた。むしろ、離れて寂しいのは俺の方かもしれない。


「あれ……」


「どうしたの海」


「……いや、よく店にくるお客さんいるなぁって。保育士やってるとは聞いてたけど、まさかここに居たとは」


 海が手を振ると、保育士の女性がぎこちなく手を振り返す。手を振り返した保育士は、あの保護者とどういう関係ですか? と言わんばかりに他の保育士から訝しげな視線を向けられ「違いますよ! そもそもあの人女性ですからね!?」と慌てて弁明した。それを聞いてなんだと笑う保育士達だが「女だからって油断してると食われちゃいますよー」と海がぼそっと呟いたのを俺は聞き逃さなかった。


「……あのさ、頼むから保育士だけはやめてね?」


「保育士じゃなかったら「良いわけないだろ馬鹿」冗談だって。そんな怒んなよ」


 全くこの人はと呆れてため息を吐く。こんなことを言いつつ、彼女はなんだかんだで結婚してから浮気したことは一度もないのだが、ただ単に俺が気づいていないだけのような気がしてきた。

 それからしばらく待っていると、入園式が始まった。先生に抱き抱えられながら入場する園児、その場に座り込んで泣き出してしまう園児、保護者の元へ駆け寄ろうとする園児——とまぁ、とにかくカオスだった。そんな中、湊達はきちんと席に着いていた。席が和希達と離れてしまって落ち着かないのかちらちらと和希の方を見ていたが、和希がちゃんと前見てと指示すると頷いて園長の話を真剣に聞いていた。そんな姿を見ていると、思わず涙ぐんでしまう。周りの保護者も大体みんな泣いていたが、恐らく一番泣いていたのは安藤夫妻だ。夫婦揃って大泣きだった。逆に妻は一滴も涙を流していない。


「僕、こういうの泣けないんだよ」


「知ってる。君はそういう人だよね」


「君は絶対泣くと思った」


 そう笑って、彼女は俺のズボンのポケットからハンカチを抜き取って俺に握らせる。そして園児達に視線を戻し、呟いた。「まぁでも、母親になるってのも、案外悪くないな」と。その横顔にはさまざまなな感情が複雑に入り混じっているように見えた。どこか寂しそうでもあり、悲しそうでもあり、だけど、悪くないという言葉は嘘ではないことは伝わる。その綺麗すぎる横顔を見ていると、止まりかけた涙がまた溢れてくる。そんな俺に目をやると、彼女はふっと笑って言った。「君は本当にすぐ泣くな」と。

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