第4話 罠

 


「このテラスからの眺めは格別ですね。王都の街並みに沈む夕陽を、ほら、こんなにも綺麗に眺めることができるのですから。とても良い場所です」


 そう言ってテラスの柵から身を乗り出すと、王女殿下は目を細め、沈みゆく紅い夕陽を見つめて微笑んだ。


 そしてこちらにクルリと振り返ると、後ろ手を組んで、俺の顔をジッと見つめだす。


 そのジッと観察するような視線に、俺は思わず首を傾げてしまった。


「あ、あの、何か?」


「いいえ。ただ、かの歴戦の勇士、大盾の騎士様がこんなに細身の方とは想像していなかったもので。今更ですが、改めて驚いているのですよ」


「筋骨隆々の大男でも想像していられましたかね?」


「そうですね。もっと背が大きい方と思っていたのは事実ですね。ですが‥‥姿身なりなど、些末な問題でしかありません。騎士として重要なのは、人としての心の在り方ですから」


「人としての心の在り方、ですか?」


「ええ。剣というものは不思議なもので、命を殺すために造られたにも関わらず、持ち手によってその存在意義は如何様にも変わります。悪意を成す者が剣を持った場合、大抵それは殺人剣となる。ですが、何かを救おうとする者が持つ剣は英雄の剣となる。ですから、聖騎士とは、純然たる正義の心を持つ者でなくてはいけません。殺人鬼を騎士にするなど、もってのほかですからね」


 そう言ってコホンと咳払いをすると、ミストレイン王女殿下は俺へと真剣な眼差しを向けてくる。


 そしてペコリと頭を下げた後、顔を上げ、再度開口した。


「申し訳ありませんが、貴方のことを事前に調べさせてもらいました」


「え、ええと‥‥? 調べた‥‥?」


「はい。東の国境沿いにあるリーリャ領の孤児院出身であること。15歳から42歳の今まで、聖騎士として働き、亡き同僚の意志を継いで国を守ってきたこと。貴方が今まで生きてきた人生の、その全てを――――」


「‥‥‥‥」

 

「下手な会話は抜きにして、単刀直入に、貴方にお聞きしたいと思います。貴方は‥‥この国の今の現状をどう思っていられますでしょうか?」


「‥‥この国の現状、ですか。一介の騎士である私には難しい質問ですね。私の仕事は、王国領内に現れた異端マモノの討伐ですから。国のこととなると、分からないことが多いです」


「では、もし、その異端討伐の仕事が‥‥王国貴族にとって画策されていた出来レースだとしたら、貴方はどう思いますか?」


「‥‥は?」


 その言葉に理解が追い付かず、俺は思わず目をパチパチと瞬かせてしまう。


 そんな俺を無視して、ミストレイン王女殿下は話を続ける。


「秘密裏に魔物を飼いならし、その魔物を敵方の領村に嗾けて、貴族同士が威を争うための紛争を行っている‥‥そんなくだらない争いがこの王国の裏で起こっているとしたら、貴方はどう思いますか? 不動の大盾殿」


「そ‥‥そんな馬鹿な話、申し訳ございませんが、と、とても信じられません‥‥!!」


「そうでしょうね。このことはあなた方聖騎士には伝えられていないことですから。ですが‥‥これは事実なのです」


 ミストレイン王女殿下のその目は、どう見ても嘘を付いているようには思えなかった。


 真に迫るような彼女のその表情に、俺はゴクリと唾を飲み込む。


「私は、今の聖王国は腐っていると、そう思っています。貴族たちは権力を傘に好き放題に奢侈を尽くし、王陛下はそれを黙認し、民たちを苦しめている。―――ですから、私は王の座に着き、その現状を変えたいと‥‥この国を浄化したいと、そう考えています」


「‥‥」


「ですが、悲しいことに、この王宮において私には信頼に足る味方がひとりもいません。この野望を叶え、悪政を討つには、同志となる人間が必要です」


 王女殿下は俺の様子をジッと静かに見つめると、スッと、こちらに掌を差し出してきた。


「先ほども言いましたが、勝手ながら、貴方の今までの経歴や功績、そして性格を調べさせて貰いました。そしてそれらを踏まえた上で、結論付けました。貴方こそが、私の専属の騎士に相応しい、と。この腐った国を変えるために共に協力してもらえませんか? 『不動の大盾』、ロクス・ヴィルシュタイン様」


 彼女のその姿は、威風堂々としており、王者として相応しい強い眼差しをしていた。


 だが、その差し出された手は、少し震えていた。


 高名な王女殿下といえども、彼女はまだ17歳かそこらの年若い少女だ。


 常に権力争いが起こっている王宮内において、彼女はきっと今まで独りで戦ってきたのだろう。


 それでも、諦めずに、この国を変えようと、足掻き続けている。


 その背景を考えたら、俺は、いつの間にかこの少女に助力をしたくなっていた。


 ――――年若い少女がこの国を変えるために戦う意志を決めたんだ。


 だったらこの老骨も、その意志に応えて、彼女の背中を支えてさしあげるのが筋というものだろう。


 王国貴族のくだらない紛争のせいで亡くなった、かつての俺の部下たちのためにも、な。


「分かりました。このロクス・ヴィルシュタイン。今日より貴方様の騎士となりましょう」


 膝を付き、手を握ると、ミストレイン王女殿下は胸に手を当て、嬉しそうに満面の笑みをその顔に浮かべる。


「よ、良かったぁ!! 断られたらどうしようかと思いました!! ありがとうございます、ロクス様!!」


「いえ。今の王国貴族の動きがどうにもきな臭いのは事実ですからね。それに‥‥怪しい動きをする貴族諸侯と国民にお優しい王女殿下様のどちらを信用するかと問われたら、間違いなく後者を選ぶに決まっていますよ。当然の流れです」


「あら、先ほどの初対面の時は私の顔を知らないようでしたのに、いつの間にか随分と私のことを信用なされたのですね?」


 そう言って手を離すと、王女殿下はニヤリと、いじわるっぽく笑みを浮かべた。


 俺はそんな彼女に申し訳なさそうに首を振り、微笑みを向ける。


「まぁ、その、失礼ながら、私は元々王族に興味が無かったものでして。顔を知らなかった件については謝罪のしようがありません。ですが、人を見る目には自信がありまして。貴方が悪人ではないことは、その顔を見れば十分に分かりますよ」


「ありがとうございます。‥‥フフフッ。少しからかってみただけです。私は、今まで王宮では独りきりでしたからね。貴方のような味方ができて、今、本当にすっごくすっごく嬉しいです」


「王女殿下‥‥」


「さぁ、明日から忙しくなりますよ、ロクス。貴方は聖騎士団を脱退して、これから私の騎士になるのですから。この国を変えるためにたくさんお仕事を命じますからね! 今から覚悟してく――――――」


 その時だった。


 風を切る音が耳に入ってくる。


 そして次の瞬間、――――トスッと、何かが突き刺さった音がした。


 前を見ると、そこには‥‥有り得ない光景が広がっていた。


「え?」


 ミストレイン王女殿下の左目に矢が、突き刺さっていた。


 彼女は「え?」と困惑の声を溢した後、フラリと身体をよろめかせると、その後、ばたりと仰向けに地面へ倒れていった。


 何が起こったのか分からず、俺は彼女の死体を目の前に、呆然と立ち尽くしてしまう。


「な‥‥何なんだ、これ、は‥‥?」


「これでよろしいでしょうか、クライッセ伯爵」


「え?」


 背後から聞こえたその声に後ろを振り返ると、そこには、10人程の聖騎士とベルセル団長、そしてクライッセ伯爵の姿があった。


 聖騎士のひとりはボウガンを手に持っており、そこから射出された矢がミストレイン王女殿下を死に至らしめたことは明白だった。


 その光景を確認した俺は、思わず、彼らに向かって怒声を放ってしまう。


「な、何をやっているんだ、あんたたちはッッ!?!? か、彼女は、ミストレイン王女殿下なんだぞ!? 王族にこんなことをして、良いと思っているのかッッ!?!?」


 俺のその叫び声に、クライッセ伯爵はピンと伸びた髭を触ると、ハッと嘲笑の声を漏らした。


「何も問題は無かろう? 王女を殺したのは私ではない。ロクス・ヴィルシュタイン、お前なのだからな」


「は‥‥?」


「王女殿下はなかなか他人を信用されない御方でな。従者を付けず、いつも一人で隙を見せない。だが―――珍しくも、今回、彼女は外様の人間に自ら接触を図った。こんな好機が巡ってくれたのは本当に有り難かったよ。お前は本当に良い暗殺の撒き餌になってくれた、ロクスよ」


「い、いったい何を‥‥何を言っているんだ‥‥?」


「物分かりの悪い奴だな。ミストレイン殿下は民衆から絶大な人気を集めている王女だった。そんな彼女を、秘密裏に裏から暗殺などしてみろ? 民衆が王政に不信感を抱き、暴動を起こす可能性があるだろう? それを避けるための、貴族とは無関係のヘイトを集めさせる人形が欲しかった。そう、それがお前だよ、大盾の騎士殿」


 そう言ってニヤリと笑みを浮かべると、クライッセ伯爵は隣に立つベルセル団長へと声を掛ける。


「さて、団長殿。手筈は分かっておるな?」


「はい、勿論です。―――お前たち! ロクス・ヴィルシュタインを王女暗殺の罪で拘束しろ!」


「ベルセル団長!? 何を!? ぐっ、やめろ! 離せ!」


 両腕を押さえつけられ、俺は地面に膝を付けさせられる。


 ベルセル団長はそんなこちらの様子に嗜虐的な笑みを浮かべ、見下ろすと、静かに口を開いた。


「良いか、ロクス。そもそもこの暗殺は、王陛下自らがクライッセ伯爵に命じたことだったんだよ。だからお前は王女に目を付けられた時点で、元々こうなる運命だったのさ。まぁ、これも、アルルメリアの目を覚ます良いきっかけにもなるだろう。‥‥ハッ、使い道のない肉壁も、最期には役に立ったんじゃないのか? なぁ? ロクス兵隊長?」


 そう俺に吐き捨てると、ベルセルは革靴をカツカツと鳴らして、クライッセ伯爵と共にその場を後にしていった。


 俺は、そんな彼の後ろ姿を呆然と見つめることしかできず。


 騎士たちに両腕を拘束され、そのまま連行されていくしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る