第2話

 昨夜のことだ。

 ミチルは自室のベッドでごろごろと転がりつつ


「あ~、明日、学校に行きたくないなあ~」


 と盛大にため息をついた。

 とてもゆううつな、心配ごとがあるのだ。


 そんなミチルの胸の上には、大きな白猫が一匹、まんまるに丸まってスヤスヤと眠っている。おなかのあたりが、ふくふくと、呼吸のたびにふくらんだり、しぼんだりしていて、それを見ているだけでもミチルは平和な気分になれた。


 白い体に、鼻や耳、尻尾や手の先だけ黒い。シャム猫の血が混ざった雑種だ。元野良猫で、小学生だったころにミチルが拾ってきたのだ。

 丸まって寝ている姿が、まめ大福に似ている。だから名前は、まめから取って、ビーンだ。


 ミチルのわきの下にも、もう一匹、茶虎の猫がいる。こちらは小柄な体を長々と伸ばして、ミチルの体にぴったりとくっついている。お腹を上にして、手はおばけみたいに折りたたんで、すぴすぴと気持ちよさそうに熟睡中だ。

 こちらも元野良猫。トラ柄だからという理由で、大珂たいがと名前を付けた。


 その二匹を見ているだけで、ミチルはイヤな気分がすこしだけマシになった。

 愛猫の、安心しきった寝顔を見ていると、それだけで自然に笑顔になれる。


 明日は、中学校に入学してから最初の、体力測定があるのだ。


 ミチルは運動が苦手だった。足も遅いし、動きも遅い。もともと、のんびりした性格なのだ。それだけじゃなくて、あがり症で、人前で何かしようとすると、いつもならできることでも絶対に失敗してしまう。


 そうやって、小学校のころからクラスメートに笑われてきたせいで、すっかり運動嫌いになってしまった。


 特に、クラスメートの紗希ちゃんが苦手だった。


 入学式では話しかけられる相手もいない教室で、おろおろしているだけだったミチル。


 そんなミチルに、

「あなた、どこの小学校から来たの? わたしは紗希。よろしくね」

 と気さくに話しかけてくれて、自分のグループに入れてくれた紗希。


 ボブカットの手入れのいきとどいた髪を自慢げにかきあげる、ちょっと目つきのきつい、かわいい女の子だ。


 少しばかり強引なところがあるけれど、はきはきしていて、行動力がある。そのおかげでミチルは、今、教室でひとりぼっちにならないで済んでいるのだ。


 それはとても感謝しているのだけれども……。


「紗希ちゃん、わたしのこと、すぐからかってくるし、笑いものにしてくるんだよね……」


 ミチルはもう一度、ため息をつく。


 入学間もないある日だ。トイレで、

「ミチルちゃんのハンカチ、ダッサ!」

 と笑われた。そのとき、ミチルは友だちにそんなふうに言われると思っていなかったから、びっくりして、ただ笑ってごまかすしかできなかったのだ。


 それから、ことあるごとに、ミチルのことをバカにしたり、笑ったりするようになった。


 紗希はそれを、冗談だという。


「愛あるイジリってやつだよ」


 紗希がそう得意げにいうと、グループの他の子も、そうそう、おもしろいよね、とうなずく。


 笑われているミチルに、

「オイシイこと、するよねー」

 なんて言う子もいる。


 それがみんな楽しそうに掛け合いをするものだから、ミチルも強く「イヤ」と言えないままでいるのだ。


「あー、明日、絶対笑われるよー。五十メートル走とか、クラスで一番遅かったりするかも……。紗希ちゃんに、ミチルちゃんビリだったねーって言われちゃう……」


 泣きたい気持ちのミチルの体には、あいかわらず猫が二匹、のんびりと眠っている。

 あたたかくて、やわらかくて、息をするたび、ゆっくりと揺れている。

 たまに、鼻息がぷうぷうと鳴る。


 ミチルはそれを聞いていたら、なんだか気持ちもゆったり伸びてきた。そうして知らぬ間に、一緒にすやすやと眠ってしまったのだ。

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