後日譚

ネトラルル?

 僕はかつて僕が大樹らとともに作った会社に再就職した。真琴や皆は僕を社長や役員で受け入れる予定だったのかもしれないけれど、さすがに何もかもおんぶにだっことなると大樹たちにも申し訳ないし、何より真琴に対して男としてみっともない所を見せるわけにはいかなかった。


 下っ端から始めた仕事も、真琴からの厳しい指導もあってすぐに勘を取り戻し、リーダーとしてチームを率いることになった。



「月島さん! 先日お宅の社長さん、お見掛けしましたよ~。ものっすごい美人の上にあの!」


 目の前のいい体つきをした色黒の男は興奮気味に言うも、周りを気にして続く言葉を口に出せないでいた。


「――いや、あれで三十代って話、信じられませんよ~」


 彼は葉羽くんといって提携企業からの出向社員。まだ若いけれどそれなりに優秀。ただ、自惚れが強いのか若い人同士で会話しているのを聞くと少々鼻につくところがあった。相性のせいもあってか、うちのチームとはあまり馴染んでいないように見える。


 そして月島と言うのは僕の母の旧姓。真琴や皆は気にしないと言ってくれたけれど、服役は終えたとはいえ僕は人殺し。どこかでその名に触れられることもあるだろう。余計なごたごたを少しでも避けるため母の旧姓を名乗って再就職した。このことは古いメンバーと一部の社員、それから親戚しか知らない。


「そうでしょう。何しろ彼女とは……」


 愛する女性のことを考えるとどうにも顔が緩んでしまう。

 ただ、葉羽くんは眉をピクリと反応させた。


「――あ、いや、失礼。社長はうちの役員や国内外の取引先も含め、大勢の男性にプロポーズされたと聞きますからね」


「……月島さんはどうだったんです?」


「僕がこの会社に入ったときにはもう既に結婚されてましたからねえ」


「ほう。……あの、よかったらどうです? このあと一杯」


「おや、若い方にしてはいける口ですか? 親睦を深めるためにもぜひ」


「ええ、大学ではさんざん飲まされましたから」



 ◇◇◇◇◇



「いやっ、マジで月島サン良い人ッスね。うちの会社の先輩なんかもう当たりがキツくて、指導なんてあったもんじゃなくて常に体力勝負ッスよ」


 僕は近くのビルに入っている馴染みの居酒屋で葉羽くんと呑み交わしていた。

 ここの支払いは持つと言ってあげると、葉羽くんは酒が進むとともに舌も回るようになっていた。


「へえ。葉羽くんのところはもうちょっと今風の効率的な指導をする会社かと思ってたんだけど」


「ぜんっぜ、ぜんっぜんそんなじゃないッス。おまけに彼女いるクセに大学の女友達紹介しろとか。そんな気軽に呼べるならオレがやってるっつの」


「ははは、女性関係にだらしない先輩が居ると困るのはよくわかるよ」


「月島サンとこもスかぁ~。でもうちの方が酷いわ絶対。部長なんかオレの同期の若い子食っちゃったんスよ。奥さんいるのに。常務も常務で不倫してるって噂ッスからねえ」


「へえ、常務って鈴木さんでしたっけ。――あ、宮ちゃん肝と燗追加でね。こちらは熱燗で僕は――」


「あい、人肌ですね。でもいいんですかぁ、美人の奥さん放っておいて」


「あれ、月島サン、結婚されてたんスか?」


「そうよ、この人、ものっ凄い美人でグラマーな奥さんが居るのよ。たまに連れてくるんだけど、背も高いし何よりあのおっぱい、見たら腰抜かすわよ」


「会社のみんなには秘密にしといてね」



 しばらくすると、いつも宮ちゃんと呼んでいる店の女の子が肝の串焼きと日本酒を持ってくる。僕は肝をあてに人肌のぬる燗を舐めるように味わう。


「……月島サン、あの……つかぬことを伺いますが」


 葉羽くんが声をひそめて話しかけてくる。


「なんだい改まって」


「もしかしてその美人って…………社長さん?」


「ああ、うん、バレちゃった?」


 冗談めかしてそう言うと葉羽くんは神妙な顔をして見せ、生唾を飲み込んだようにも見えた。


「……ふ、不倫ですか?」


「そこはご想像にお任せするよ」


「す、すごいッスね、あの美人社長相手とか」


「興味ある?」


「え……いや……ありまくりッス」


「でも葉羽くんは真面目にやってきたんだから……そういう事には手を出さない方がいいよ」


「ハハッ、いや実は月島サンには黙ってましたが、例の部長が食った子、彼氏持ちだったのをオレが落として融通したんスよねえ。先輩にも大学の後輩を融通しましたし。常務の不倫を知ったのも相手の子を落としたからなんスよ」


「へえ、そうなんだ……」


「でも、月島さんはいいんスか?」


「あ~、僕のことは気にしないでくれ」


「ひょお、マジッスか」


「ん……じゃあ、――どこやったかな――ああこれ。ここに行くといいよ。彼女、国内にいる間は金曜の夜の七時ごろによくその店に居るから」


 僕は『シュヴァリエ』と書かれた名刺を葉羽くんに渡した。



 ◆◆◆◆◆



「週末、シュヴァリエに行こうか?」


 アルコールの匂いをさせて帰ってきた私の愛する人。

 普段はただただ私を溺愛してくれる彼。その彼の悪い癖が出た。

 私は彼の上着を脱がしながら溜息をつく。


「はぁ……しばらく収まっていたから安心してたのに」


「もっとたくさんの人、何人もの女を見てきた男に君を見てもらいたいんだ」


「仕方のない人……でももう私、若くないのよ?」


「よく言う。君の体の隅々まで、どこを見てもシミひとつ無いじゃないか」


 言いながらネクタイを解く彼。


「私の体を見られるのなんてあなただけでしょ? 水着だって室内プールかプライベートビーチでしか着ないじゃない」


「それだけ若いって話だよ。それに他人にそこまで見せるつもりはない」


「見せたくないのに見せつけたいのね」



「――それで、問題の無い相手なの?」


「僕のチームへ出向社員が来てるでしょ。彼の会社、正直モラルがよろしくないよ」


「調べさせておくわ」


「それからあの様子じゃいずれうちのチームの子にも手を出すよ。君に憧れてやってきた子も多いんでしょ?」


「そうね……そういうことなら」


「じゃあ――」

「ただし――」


「――ただし、週末は私のことだけを考えてね、あなた」



 ◆◆◆◆◆



 月曜日、葉羽くんは出社してきた。


「はぁ、おはようございます月島さん」


 彼は疲れた顔で挨拶をしてくる。


「ああ、おはよう葉羽くん。どうしたんだい? 浮かない顔だね」


「ええ、実は先週の金曜の夜に――」

「おっと、その話はまた後にしないか」


「あ、ええ、そうでしたね。じゃあ帰りに一杯……」


 そう言った彼はチームの皆に朝の挨拶をする。いつものような覇気は無い。



 ◇◇◇◇◇



「月島さんって実は凄いんですね」


「えっ、唐突に何のことだい?」


 僕と葉羽くんはまた馴染みの居酒屋に居た。


「真琴さんに聞いたんですけど、休憩なしにひと晩ヤったとか」


 葉羽くんは周りを確かめながら声をひそめてそんなことを言う。


「ああ、彼女がそんなことを喋ったのか。いけないね」


「体力にはオレも自信がありますけど、さすがに朝まで萎えずには無理ですわ」


「僕もさすがにもう無理だよ。あんなのは一度きりさ」


「はぁ……真琴さん、楽しそうにはしてくれるのにどんだけ褒めちぎっても誘いに乗らないんですよね。酒の一滴も飲まないし。ベッドの上での自慢話を聞かせても涼しい顔をしてるし、挙句に月島さん、あなたの自慢話まで聞かされましたよ……」


「ふふ。彼女はあれで体力もあるからね。迂闊にスイッチを入れると一日二日、離してくれないこともあるよ」


「マジですか……あの体を一日中自由にできるとか。はぁ……」


「まあ、女性は彼女だけじゃないさ。尤も、僕は他の女には興味は持てないけどね」


「それはわかってますけどねえ、……どうにも目の前にあるモノが手に入れられなくて、思わず襲っちまおうかと思ったくらいはいい女でしたね」


 そう言った彼の目はギラついていたが、慌てて訂正する。


「――あ、もちろんそんなことはしてませんよ」


「暴力は勘弁してあげて欲しいなあ。ただ、彼女も暴漢のひとりくらいなら取り押さえるからね、実際」


「え、そんなことも?」


「嘘か本当か知らないけど、海外で倍の体重がある男を投げ飛ばしたこともあるらしいよ」


「な……あんだけエロい体見せつけるような恰好してんのに自信無くしますわ……」



 葉羽くんは僕がもう少し飲むと言うと先に帰っていった。

 僕は宮ちゃんを呼ぶ。


「宮ちゃん、おあいそ。あと先週は助かったよ。いつもありがとう」


 僕は宮ちゃんにポチ袋をこっそり渡す。彼女はそれを受け取ると――。


「月島さん? あたしは別にいいですけど、あんまりああいう軽薄そうな人に奥さん自慢してるとほんとに盗られちゃいますよ?」


「ハハ、それは無いよ。そこだけは信頼してる」


「どうだかねえ」



 その後、意外なことに葉羽くんは僕のチームで無難に働いてくれた。もっと荒れるかと覚悟していたけれど、思ったよりも冷静な男だったようだ。若い女の子たちに手を出すこともなく、僕も満足できた。ただ、彼の会社で少々問題が起きたようで、せっかく馴染んできたところを勿体ないけれど、彼はひと月ほどでチームを抜けていった。



 ◆◆◆◆◆



 シュヴァリエはあまり落ち着ける場所では無かった。どちらかというと男女が出会いを求めてやってくることもあり、人も多い。私は芳潔が求めない限りは立ち寄らない店だったけれど、店員とは顔なじみになる程度には何度も訪れていた。


 芳潔の寄越した男は自信満々で私を口説こうとしていたけど、正直、体以外の魅力は無かった。私には少なくとも男の体は魅力的に映る。ただ、今はもう中身が芳潔でないと満足できない。


 そして和美がいつか言ったように、男に見られているというのは刺激になる。磨いた体を、欲望を丸出しにして舐めるように見られると自然とお腹にも力が入るし、心なしか肌も潤いで満たされるように感じる。


 男は私が化粧室に入るとノンアルの飲み物に薬を入れたらしい。

 馴染みのバーテンが盗み見し、こっそり教えてくれる。

 私も外で何か口にするときはいつも警戒はしているけれど、この店はその点安心できた。


 薬入りのジンジャーエールはバーテンが適当な言い訳で下げてくれる。

 私としては問い詰めてやりたかったけれど、こういう場合は証拠を押さえて放置する手筈。

 ただ、男はさすがにバーテンに気づかれたと思ったのか、早々に店を去っていった。



 ◇◇◇◇◇



「思ったよりタチの悪い男だったみたいだね」


 店の隅の席から私たちの様子を伺っていた芳潔が声を掛けてきた。


「そんなに心配ならやめればいいのに」


「別にここに居なくても真琴のことは信頼してるよ。僕が見たいのは男の方だから」


「私の方は見てくれないのね」


「見てるに決まってるでしょ。嫉妬してるの?」


「そうね…………嫉妬してる」


「ごめんね。ああいう男を見てしまうとつい……ね」


「はぁ……次からはその辺の企業体質も調査させるわ」


 いつもの芳潔に戻った彼は、バーテンに礼を言い私を店から連れ出した。

 その後はスイートを予約したあのリゾートホテルに向かい、週末を、ただ彼のことだけを考えて過ごした。


 彼は私を男たちに見せつけることで自分の中に時々沸き上がる不安を解消させている。

 これはある種のフラッシュバックなのかもしれない。そしてそれが私への暴力や、何よりも私が恐れる――拒絶――として現れないことは幸いなのかもしれない。










--

 後日譚ですが、芳潔は時々発作的にこうなってしまうようですね。

 普段は平和で仲睦まじく暮らしていると思います。

 タイトルに特に意味はありませんw


 この手の話は資料集めしないといけないのであまり書かないのですが、今回も上手に資料が不要なように組み立てています。あと関係ないですけど芳潔と太一ってベースが同じなんですよね。なので思うところが色々あります。


 こちらはサポーター様のご要望で執筆した短編となります。

 サポーター様いつもありがとうございます!


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