第10話 雨模様、ことりの異変


 ――翌日。

 今日はあいにくの雨模様で、俺は校内清掃と整理を中心に仕事をしていた。雨のせいで床や渡り廊下は滑りやすい。今日からは在校生も登校してくるし、いつもより念入りに掃除をした。


 少し遅めの昼休憩へ。


「さて、どうしたものかな」


 コンビニで買ったおにぎりを片手に、俺はつぶやいた。

 もちろん、西園寺さんのことだ。


 昨日の様子。いくら女性経験皆無の俺でも、彼女が本気だということはわかる。

 だからこそまずい、と真摯にお断りを入れたつもりだったが……果たして西園寺さんがどう思っているか。


 なにより、西園寺家全面バックアップ体制っぽいのがツライ。

 始まったときにはすでに外堀を埋められ本陣を包囲されている気がする。これ抵抗する前から負けてないだろうか。いくさのホラ貝が吹かれた瞬間に召し捕られた感もある。


 でも……。


「悪い子じゃないんだよなあ」


 それは十年前から知っている。よく知っている。

 強くなった、と思ったのは本心だ。

 押しが強くなったって意味だけじゃない。

 つらい状況から立ち直ることがどれほど大変で、どれほどエネルギーが必要なことかは、家族を失った俺自身が骨身にしみている。

 苦境を乗り越え、純粋さを失わずまっすぐ成長したことは、本当にすごい。


 岸島が指折り数えていたではないか。

 品行方正、文武両道、カリスマの塊で、おまけにあれだけ美人。


 魅力的な子だと、誰もが思う。

 俺だってそうだ。

 もし俺が彼女と同世代だったら、一も二もなく西園寺さんと付き合っていただろう。


 けど、現実は違う。

 彼女は生徒で、俺はここの職員だ。

 線引きはしなければならない。


 けど、なあ。


 ――などとつらつら考えながら、おにぎりを食べる。


 外が賑やかになってきた。

 昨日よりも声量が大きい。今日から在校生も登校しているせいだろう。さすが、噂が広まるのが早い。


 昨日、「一緒にお昼を食べましょう」と西園寺さんは言っていた。昨日の今日で無下に断るのは悪い気がする。仕方ないかと、俺は机の上を片付けてスペースを作った。


 コンコン……とノックされた。

 俺は少し、眉をひそめた。


「どうぞ」

「失礼します」


 西園寺さんが現れる。昨日と同じように淑やかな仕草で、昨日と同じように大量の生徒を引き連れている。

 だが昨日と違って、彼女の表情は晴れない。空模様のようにどんよりとしている。


 加えて、手ぶらだった。


「……」


 戸口に立ったまま、無言でうつむく西園寺さん。

 俺はその姿に、十年前の彼女を重ねて見た。


「よく来たね、西園寺さん。相談事があるって聞いたよ」

「……え?」

「さ、そっちに座って。ほら皆、盗み聞きはよくないぞ。西園寺さんが気を悪くする」


 できるだけ穏便に促したつもりだが、どうやら俺の顔に恐怖を覚えた生徒が多かったらしく、すーっと波が退くように散っていった。だいぶ哀しい。


 気を取り直し、西園寺さんの近くに座る。残った一個のおにぎりを、彼女の前に置いた。


「昼、ちゃんと食べたか?」

「お昼……あ」


 西園寺さんの瞳に意志の輝きが戻る。自分の両手を見て、狼狽うろたえ始めた。


「やだ、私ったら。お弁当を忘れてくるなんて……! すみません礼哉さん、すぐに取って参りますので!」

「俺のことは気にしないでくれ。それより、体調が悪いなら保健室へ付き添うよ。担任の岸島先生へは伝えておくから。大丈夫。先生とはよく話をするんだ。悪いようにはならないよ」


 安心させるつもりだった。

 だが、一瞬。ほんの一瞬だけ、西園寺さんの表情が暗く沈んだ。


 俺は「なにがあったの?」と声をかける。昨日、あれだけ賑やかで明るかったのに、この変貌ぶりは本当に心配だ。

 沈黙する西園寺さんに、俺は思う。


 彼女はこの十年で強くなった。

 だがそれは同時に、『我慢強くなった』という意味でもあったとしたら。


「……私は大丈夫です」


 案の定、西園寺さんは微笑んで答えた。


「ご心配をおかけして申し訳ありません。昨日のことがあまりにも嬉しくて、つい寝不足になってしまいました。うっかりですね」

「そう……」

「本当にごめんなさい。せっかく二人でお昼を食べられるチャンスだったのに」


 またうつむく。

 俺は机の上のおにぎりを取り、西園寺さんに手渡した。


「それ、新商品なんだ。けっこうイケるよ。食べてごらん」

「はあ……では、いただきます」


 気落ちしていても手つきは上品に。外装を剥がした西園寺さんは、小さな口でおにぎりにぱくついた。

 もごもごと口を動かし、すぐに両目を大きく見開く。


「斬新な味ですわ……!」

「ははは。でしょ? そのシリーズ、気に入ってるんだ」

「礼哉さんは、いつもこのようなお食事を?」

「自炊できなくもないんだけどね。早朝のお参りや日中の仕事を考えると、コンビニのが手軽なんだ」

「まあ。それではますます気合いを入れないといけませんね、私」

「学内だから、ほどほどに。でも昨日のお弁当は本当に美味しかったよ」


 少し調子が戻ってきたようだ。

 表情に柔らかさが出てきたことを見て、俺は安堵する。

 教師でない俺は、普段生徒と接する機会が少ない。こんな俺に彼女を励ますことができるのかと不安だったが、なんとかなったようだ。


 すると西園寺さんが、上目遣いにこちらを見た。


「礼哉さん。その、今日もご自宅にうかがってよろしいでしょうか」


 昨日のような押しの強さがない。

 俺にはそれが、西園寺さんのSOSのように思えた。

 話を聞くくらいなら、俺にもできる。


「いいよ。おいで」


 ぱあっと表情が明るくなる。俺も嬉しくなった。


 そのときだ。


! ここにいるのか!?」


 大きな声とともに、用務員室の扉が乱暴に開かれた。危うく窓ガラスが割れるかと思うほどの勢い。

 入ってきたのは背の高い、いかにもスポーツマンのような見た目の男子生徒――って、あれ。この子どこかで見たような。


「まったく、俺を慌てさせるなよ。さあ、早いとこ戻って、皆に見せつけてやろうぜ。ことり」


 見下ろしながら告げる男子生徒。

 思い出した。入学式で西園寺さんに声をかけてきた子だ。


 しかし……『ことり』?

 確か昨日は『西園寺ことりさん』と呼んでいなかったか。


 下の名前を呼び捨て? 一日で?

 どういうことだ?



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る