会社の完璧上司は俺の部屋ではヤンデレラ ~アフターストーリー~

蒼田

友幸は上手く立ち回ったようです

「ただいま」

「お帰りなさい。貴方。ご飯にする? お風呂にする? それとも――」

「お風呂で!!! 」


 咲が顔に手をやり僅かに微笑みながら新婚夫婦の定型文を口にすると俺は身の危険が比較的少ない選択肢を選ぶ。

 若干背中に寒いものを感じながらも靴を脱ぎ棚に置く。

 咲が見守る中脱ぎ終えマットを踏むと彼女はくるりと体を反転させる。

 ピンとした背筋を追いつつ床を歩く。


「今日もお疲れさま」


 クローゼットのある部屋まで行くと、咲がそう言いながら作業服を脱がしてくる。

 外から見ると仲の良い新婚夫婦の一ページか、服を取り換える貴族と従者か。

 しかしこれ一つでも彼女のチェックが入っていることを考えると冷や冷やものだ。


 仲睦まじいこのやり取りだが実の所咲は「女性の香り」がしないかチェックをしている。

 俺の周りに女性がいることを極端に嫌う彼女ならではの行動だろう。

 結婚ほやほやからこうした行動に移されるとしんどいだろうと思われるかもしれないが、それ以上に命の危険が付きまとうのでしんどさを感じる暇はない。


「さ。お風呂の準備を済ませてきますから少し休んでいてくださいね」

「いつもありがとう」

「私こそ」


 ふふっ、と少し笑い「では」と言いながら彼女は俺の傍を離れた。

 

 咲がお風呂の準備をしている間俺はスマホを手に取った。

 仕事場と咲のみになった寂しい連絡先をスクロールし、「閉じる」を押した。


 俺はある日をきっかけに、当時上司だった秋山咲と付き合い始めた。

 最初から不穏な雰囲気を感じつつの付き合いだったが、思いのほか悪くなかった。

 積極的にアピールしてくれる彼女にどんどんと惹かれ、また俺も頑張らなくてはと思いそれに応じた。


 社内では完璧なクールビューティーの仮面をかぶっている彼女も俺の部屋ではデレデレな彼女。

 そのギャップに萌えながらもある時は県内を遊びに、ある時は県外まで足を運んで旅行にいったりもした。

 俺達のその様子を見た同僚達からは温かい目線で、そして仲睦まじいカップルに見えたらしい。


 が事件は起こる。

 後輩の女の子に仕事を教えて帰った時の事。

 そこには目のハイライトを消した咲がいた。


『ねぇ何で私がいるのに女の子に仕事を教えているのかな? 』

『……普通に仕事を教えただけだが』

『本当にそれだけかな? ううん。友君にその気が無くてもあの子は友君を狙っているかもしれないわ。だってこんなに素敵な友君だもの。狙わない人がいない事なんてありえない。やっぱり消すべき? 消すべきよね? 私だけの友君だもの』


 ダーク咲 (俺命名)が出現した。

 俺に向けられた攻撃的な決意ではないが、後輩の命の危険をすぐに察知。

 すぐさま彼女を宥めてどうすればいいか二人で話し合った結果——。


『なら会社を辞めて。でなければ消す』

『でも……け、け、結婚の費用を稼がないと』

『それなら大丈夫。結婚しても私も稼ぐし、何なら友君も再就職すればいいから。でなければ消す』


 消す、の言葉を連呼した彼女に戦慄を覚えながらもそれを承諾。

 後輩の命の危険もそうだが彼女を犯罪者にしてはダメだという思いもあり受け入れた。

 その後あの時のようなことが無いようにすり合わせるため話し合ったのだが、咲曰く俺から女性の匂いがするだけでもダメらしい。

 よって俺から女性の匂いが漂う危険性が少ない職業、――土木業に再就職した。


 あの時の事を、仕事で良くなった体を見ながらしみじみと思い返す。

 瘦せ型ではなかったが細かった体も今や盛り上がってきている。

 最近だと筋肉痛を起こすことも少なくなり体が仕事に馴染んできている。


 チラリとクローゼットの隣にある鏡を見る。

 その前まで行き、思い出したボディービルダーのポージングを取った。


「素敵」


 めっちゃ恥ずかしかった。


 ★


 咲が台所で料理を温めているのを確認し俺は風呂に入る。

 シャワーで体と髪を流して洗う。

 湯に肩まで浸かり一息ついた。


「あ”あ”あ”……。疲れた」


 働き始めてからというものの初めての事が多く仕事は忙しい。

 毎日のように怒鳴られコンクリに埋められそうになるが、仕事の内容を思い出すとそれも仕方がないと思う。

 きっと親方も俺の身を案じているのだろうと考えると、怒りやら反骨精神やらが削ぎ落されるわけで。


 土木業と言うのは常に危険が付きまとう。

 自身にもそうだが周りの住民や、果ては通行人にまで。

 そんな危険を孕んでいる職業だからこそより念入りに叱られるわけで。


「友君。タオルと着替え、ここに置いておくね」

「あ。忘れてた。ありがと」

「いいわよ。夫婦だもの」


 ガラスの扉越しに咲が答える。

 癒されていく疲れのせいかぼんやりとした頭のまま扉をみると、そこには凹凸のついた先のシルエットが。

 服とタオルを置くだけなのに何やら長くそこにいる。

 シュルッと何かを解く音が聞こえて入って来ることが予想できた。


「私も仕事帰りだから」


 そう言いながら咲が入って来る。

 白い裸体がご都合白煙に隠され少し気落ちするもやむなし。

 が一緒に風呂に入るのは時々ある。

 同じ年月を一年以上過ごすと恥ずかしさはどこかに吹き飛んでしまった。


「仕事に俺のことにと……、感謝しかないな」

「私がやりたいだけだから気にしなくても良いんだよ? 」

「いやぁそれでもねぇ」


 彼女はまだ仮面を被ったまま会社に勤めている。

 最近調子がいいみたいで仕事の帰りが早い。

 帰りが早いからと言って手を抜いているわけでは無いようで、彼女から聞く実績は今まで以上。

 闇落ちすることを除けば、本当に「すごい」と思う。


 幾ら夫婦と言えど咲の裸を注視するのは阻まれる。

 天井を見ながらシャワーの音を聞き、更に浸かる。

 プッシュっと音が聞こえる。

 その方向を見ると、「女性って大変」と思った。


 結婚する前、咲と同棲を始めた頃、彼女は俺の部屋に様々なものを運んだ。

 と言っても服や化粧品類、あとは仕事関係の道具だけだが。

 服や仕事関係のものは大体予想できたが、化粧品類は正直驚かされた。

 咲に聞くと「一般的な女性のケア」との事らしいので、この世の女性の美に対する気合いの入れようがよくわかる。


 最近という程でもないが男性でも化粧をする人は多い。

 俺はズボラだからワックスで仕上げるだけだが、中には美容液を塗る人もいるとか。

 俺が美容に頓着しないのはそこまでお金を使う必要性を感じないのも一つだが、めんどくさいというのが本音だ。

 やはり、凄い。


「入っても良い? 」

「ん? 良いよ」


 考えていると咲の声が聞こえて来た。

 天井に向けた顔を横に回して咲に答えると笑顔でゆっくりと俺の正面に入って来る。

 パシャ、と少しお湯が溢れる音がするもそれだけ。

 咲と同棲することになって彼女は突然お風呂に侵入してくることはよくあったので、お湯は少し少なめに入れているからだ。


「……私と結婚して、後悔してない? 」

「? 」


 突然の言葉に首を傾げる。

 少しそれを頭の中で咀嚼し、咲を見る。


「後悔してないよ」

「本当? 会社を辞めることになったのに」


 彼女の顔には少しの後悔の色が見えていた。

 確かに彼女が原因で会社を辞めることになった。

 しかしその最終決断をしたのは俺だし、彼女が気に病むことではない。


「……咲と一緒にいると決めたのは俺だ。後悔はしていないよ」

「そう? 」


 俺が言うと顔を上げ「ぱぁ」っと顔が明るくなった。


 咲も自分が重い事は分かっているのだろう。

 彼女は良くも悪くも自分を客観的に見ることができる人だ。ふとした時に第三者視点に立ち自分が俺を縛り苦しめていると思い至ったのだろうことが予想される。

 しかしそれは彼女の思い込みも入っている。


 確かに彼女は世にいう『ヤンデレ』と言う類の人物だ。

 俺から女性の匂いがしただけで犯罪に走ろうとした所からもよくわかる。しかし逆を言えばそれだけ愛情深い事を意味している訳で。

 少しこそばゆくなり頬を掻く。

 顔に熱を感じ始め、風呂でゆっくりした後、食事をとりに行った。


 ★


「今日は生姜焼きか」

「はい。豚汁も」

「ありがと」


 並べられた食事を前に手を合わせて口に運ぶ。

 滲み出る生姜焼きの旨味と野菜のシャキシャキ感。


「やっぱりご飯には生姜焼きだな」

「友君は生姜焼きが本当に好きだね」

「そりゃぁもう。もちろん味噌汁もだが」

「それは嬉しいわ」

 

 食事をとり、談笑を挟む。

 台所にはテレビがついていないため、代わりにタブレットから動画が流れている。

 しかしその内容は真面目そのもので、エンターテインメント系ではなくニュースだ。


「そう言えば明日重要な会議があるから少し遅れる」

「なら俺がご飯を作っとく」

「楽しみにしておくね」


 現在咲は重役に収まっている。

 その会議の多さもさることながら、その質も俺が会社員をしていた時よりも遙かに高い。

 全くもって想像が出来ない世界から思考を帰還させて再度箸をつつく。

 今日も変わらぬ咲のご飯に舌鼓したづつみを打ち、食器を片付け、それぞれ明日の準備に入った。


 ★


 この家は俺が咲と同じ会社に勤めていた時とは異なる家だ。

 結婚するにあたって俺達の貯蓄とローンで買ったわけだが、俺と咲の部屋はわけられている。

 それは咲が仕事を持ち帰ってしなければならないという事情もあってだが、彼女の部屋に入ることは固く禁じられている。

 趣味は個々に異なる。

 結婚したからと言って安易にパートナーのプライバシーを侵害しても良いというわけでは無い。


 ……、いや現実を見ようか。

 以前に彼女の部屋の中がチラリと見えた時そこには俺の写真が部屋中に張ってあった。


 「俺はアイドルじゃない! 」というツッコミをするべきなのだろうが、それ以上に恐怖が俺を襲ったのは仕方のない事。

 俺はそれを見なかったことにして考えるのを止めた。

 彼女にとっての至福の部屋ならば、例え「あれ? 咲、この時いなかったよな? 」と思うような写真がそこにあっても、ツッコまないことにした。


 言うべき事は言わないといけないが、いらぬ荒波を立ててまで夫婦仲を壊したくない。


 そう思いながらも自分の部屋を出る。

 対面にある咲の部屋を出て寝室へ向かう。

 着くと中に入りベットに寝転がる。

 少しするとノックの音が聞こえてパジャマ姿の咲が入って来た。


「今日もお疲れ」

「お疲れさま」


 お互いに労っていると咲は俺が入っている毛布に潜り込んでくる。

 クルリと体を回すとそこには咲の顔があった。


 近く、息が届きそう。


 この状況でドキドキするのはまだ慣れ切っていないせいか、それとも俺が男だからか。

 黒い瞳を覗き込み、軽く笑みを浮かべると、そっと毛布から腕を出して咲の頭を軽く撫でる。

 すると彼女は心地よさ気に瞳を閉じた。


「今日も頑張ったね。本当に、お疲れ様」


 俺はそう言い、俺達は深い眠りについた。

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