第21話 何も知らない
「じゃーん。シチューを作ってみましたよ。さあさあ、召し上がれ」
俺の前に配膳されたのは、湯気の立ち昇る出来立てのシチュー。そしてバゲットとサラダだ。
「わ、わぁ……美味しそう……」
これは嘘じゃない。本当に美味しそうな料理だ。多分、食材もそれなりに良いのを使ってるんだろうな。うん、それは見ただけでわかる。
……だが、どうしても食欲が湧かない。さっきまであんなに楽しみにしていたはずだったのに、耐え切れないほどの空腹に急かされていたはずだったのに、目の前のご馳走に手を付けようという気になれない。
「どうかしましたか?」
「べ、別に何も?」
「では、どうぞ召し上がってください」
「う、うん。そうだね。ちょ、ちょっと待って。俺、実は食べる前には必ず食事の儀式をしないといけないんだ」
席から立ち上がり、特に意味もなく両手を振って謎の舞を披露してみる。もはや自分でも何をやっているのかよくわからない。
「……そんなこと、昨日はしてませんでしたよね?」
「あ、はははは! 冗談だよ冗談! うん、冗談冗談。冗談……だったらよかったのになぁ」
俺がさっき逃げなかったのは、真殿にビビったからじゃない。それもちょっとはあるけど、それだけじゃない。
あの写真のことについて、本人に確認するまで帰るわけにはいかないからだ。あんなものを見せられたら、ちゃんと本人の口から納得のいく説明をもらわないと落ち着いて夜も眠れないぞ。
だが、かといって、普通に聞くのはどうなんだろうな。下手したらこの場で口封じされるんじゃないのか?
「た、食べる前に、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
「はい?」
「真殿って、し、写真……とか、好きなの?」
「写真ですか?」
「そうそう。写真」
ここは遠回しに聞いていこう。あんまり踏み込みすぎると危険だ。こっちの意図を悟られないように、ぼかしつつ欲しい情報を引き出すんだ。
「ああ、見たんですね。あの部屋を」
────勘が鋭い⁉ なんだこいつ⁉ 一瞬でバレたぞ⁉
「え、あ、な、何のことだ? あの部屋? どの部屋? その部屋? 俺は寝室なんか見てないぞ?」
あまりに予想外のことでしどろもどろになって、もはや誤魔化せてすらいない。何を言ってるんだ俺は。
思えば人との雑談すらまともに構築できない俺に、駆け引きなんて無謀にもほどがあったんだ。
「誤魔化す必要はありませんよ。扉に貼っておいたセロハンテープが剥がれていたのをさっき確認しました。誰かが扉を開けた証拠です。ここには私と時谷君の二人しかいないので、答えは一つしかありません」
「……全部わかってて、俺を試したってことかよ」
「あ、いえ、そんなつもりはないです。ただ、見なかったことにしてくれたら嬉しいなぁと思っていただけです」
「見なかったことにって……できるわけないだろそんなこと!」
「でしょうね。だからどうしようかと、私も困っているところなんです」
真殿は顎に手を当て、小首を傾げる。動作自体は可愛いし、雰囲気もいつもと何ら変わりないのだが、この状況でいつもと変わらないというのは逆に不気味だ。
得体の知れない怖さというか、底の見えない恐ろしさというか、とにかくもうあの部屋を知ってしまった今となっては、彼女を今までと同じ目で見ることなんてできない。
「こうなるとわかってはいたんですけどね。家に呼んだら、きっとバレちゃうんだろうなって。でも、どうしてもお呼びしたかったんです」
「……なんでだよ」
「さぁ? 興味があったから? いえ、私の全てを知ってほしかったからかもしれません。このままじゃ私、個性も何もないつまらない女だと思われて終わりな気がしたので」
「個性って……あれがお前の個性なのか? 俺の写真を隠し撮りして、それを部屋にかざるのが?」
「あれ? あ、見たのって壁の写真だけですか?」
「え?」
壁の写真だけ? なんだよ。まるでそれ以外にも、というよりそれ以上にヤバイものがあるかのような言い回しじゃないか。
「なーんだ。ちょっとがっかりです。けど、見られなくて良かったかもしれません。あれを見られると流石に嫌われてしまいそうなので」
「いや、盗撮の時点で充分好感度下がったけどな……」
「いいんです。私は考えを変えました。本当は今すぐにでも時谷君に告白して、この想いを伝えるつもりでしたが、どうやらライバルがいるみたいですしね。正攻法で挑んでも、彼女に強引な手段でかすめ取られるだけなので」
真殿は口もとに手を当て、クスリと笑う。本当に可愛い。この期に及んで可愛いと思ってしまうことが恐ろしい。
どんな負のイメージだろうと、一瞬でひっくり返しかねないのが可愛さという要素の怖いところだ。どれだけ奇行を犯しても、笑顔一つで形勢逆転できる。最強の免罪符である。
「時谷君には私の全てを知ってもらいます。身長、体重、スリーサイズ、全身のほくろの数、恥ずかしい過去、性癖に至るまで全て。そう決めました。その上で、私を愛してもらいます。ただ、いきなり全部を開示すると引かれちゃうと思うので、少しずつにしましょう。沼に沈むみたいに少しずつ、私に沈んでいってください」
同級生に勉強でも教えるみたいに、あるいは委員会や部活動の連絡事項でも伝えるみたいに、ごく普通の態度で彼女はそう言った。
────ずっと疑問だったんだ。昨日の俺は、どうしてあんなに熟睡してしまったのか。これから真殿の告白が始まるというのに、どうしてすぐに起きられなかったのか。
もし、真殿からもらった料理に何か入っていたとしたら? 俺の誘いを受けた彼女は、弁当を取りに行くと言って一人で教室に戻った。
その後、俺たちは裏庭で合流した。その間、弁当をすり替えたり、何かを混入させたりするチャンスはいくらでもあった。
このシチューはどうだ? なぜ真殿は、俺にこれを食べさせたがった? 美味しそうに見えるこの料理は、本当に美味しいのか?
それは真殿自身も同様だ。見た目は麗しい才女。真面目な学級委員長。だがその中身は一体どうなっているのか。
俺は彼女のことを何も知らなかった────改めて、そう思わされた。
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