第10話 五年前の約束

 マキと初めて会った時のことは憶えていない。小学校に入学するよりもずっと前のことで、記憶がかなり曖昧である。

 どうやって知り合って、どうやって仲良くなったのかも、今となってはもうわからない。気づいた時には友達だったという感じだ。


 ただ、出会った場所が病院であることだけは確かだ。彼女は産まれてからずっと病院で生活していて、結局死ぬまで外に出ることはなかったから。


 俺は重い病気や怪我をしたことはないが、一度も病院のお世話になったことがないわけではない。病院の敷地内に足を踏み入れたことなんていくらでもある。

 マキはちょくちょく病院からの脱走を企てていたので、その過程で俺たちは出会ったのだろう。憶えていないが、そうとしか考えられない。


 とにかく、いつからか俺は暇さえあれば病院へ行き、こっそりとマキに会うのが習慣になっていた。

 彼女は俺と同い年。学校にいまいち馴染めていなかった俺にとってはただ一人の友達であり、彼女と出会えるここは唯一の遊び場だった。


「────お! また来てるじゃーん。よっすー」


 あれは小学六年生の春。俺がいつも通り、病院の敷地内にあるベンチで座って待っていると、彼女は生垣を突き破って現れた。

 ポニーテールを揺らし、眩いほどに明るい笑顔を振りまきながら、敬礼を真似た軽薄な挨拶をする。


「……いつも思うけど、お前って病人の割に活発過ぎないか?」

「うん? そりゃ、人より寿命が短いんだから、人より濃い人生にしたいじゃん。そういう渉は病人でもないくせに元気がないねぇ」

「俺は元々こういう性格なんだよ」

「あ、そっかそっか。学校行ってるくせに、私以外に友達もいないんだっけ?」

「うるさいなぁ……いいだろ。別に」


 俺がそっぽを向くと、マキはすぐさま回り込んで正面に入り込んでくる。


「私がいつまでも渉の友達でいてあげられたらいいんだけどね。そうもいかないんだよ。私、多分、そろそろ死ぬから。そうなったら本当に一人になっちゃうでしょ?」


 彼女は昔からそうだった。自分の死をあっけらかんとして口にする。彼女にとって死は身近なものだったのだろう。

 最初は受け入れがたかったが、六年以上も一緒に居れば流石に慣れてしまう。いつしか俺も、マキはそう長く生きられないということを、そういうものなんだと思うようになっていた。


「大丈夫だって。友達ぐらい……中学生になったらできる」

「本当かなぁ。私は心配だよ」

「なんでそんなことお前が心配するんだよ。関係ないだろ?」

「関係ないことないよ。渉は私の唯一の友達なわけで、渉には私が死んだ後もちゃんと幸せになってほしいからさ。何より不安なのは、私がいなくなったこと引きずって塞ぎ込んじゃうことかな」

「それは…………」


 ないとは言い切れなかった。今思えば、マキが頻繁に自分の死期を話題に出していたのは、俺が落ち込み過ぎないようにするためだったんだと思う。

 しかし当時の俺は小学六年生。そんな配慮を察せるほど大人じゃない。だから俺は馬鹿正直に俯いて、黙りこくった。


「ただでさえ根暗で口下手なんだから、もっと明るくならないと友達できないよ?」

「そんなこと言われても……」

「あ、あと彼女もできなさそう。やめてよ? 死んだ私をずっと想い続けて、生涯独身を貫くとかさ。そんな重たいの、私は無理だから」

「だっ……誰がそんなことするかぁ‼ 俺だって本気出せばアレだからな? バチバチにモテまくって、彼女作りたい放題だからな?」

「へぇ~言うじゃん」


 俺がくだらない意地で対抗してそんなことを口走ると、マキは安心したように、そしてからかうように、口元を隠してクスクスと笑う。


「そこまで言うなら本気を見せてよ」

「おーおーいいぜ? 中学に入ってからな!」

「……それじゃ間に合わない気がするけど……まあいっか。なら私と約束ね。私がいなくなった後も、渉は皆に愛される幸せな人生を過ごしてよ」

「面倒くさい……けど、お前がそこまで言うんだったら仕方ないな。俺が友達作りまくり、女子にモテまくりになった後で、寂しいとか言い出しても知らないからな?」


 そんな馬鹿みたいな会話をしたのが五年前の春で、このわずか数日後に彼女とは二度と会えなくなってしまった。

 勢いに任せて言い放った宣言を撤回する暇もなく、俺はその後順当に中学校へと進学することになる。


 そこから俺は、自分を変えるための努力を始めた。友達を沢山作って、多くの人に愛されるように。理想の自分になれるように。

 サボりたくなる日もあったが、どこかでマキが見張ってるかもしれないと思うと気が抜けず、今日に至るまで休む暇はなかった。


「────まあ結局、高校二年になってもその約束は果たせてないんだけどな」


 勉強や運動を頑張り、そっちに時間を割きすぎると、友達や彼女を作るチャンスがなくなるという根本的問題がある。

 かといって、自分を変える努力をしなくては、俺なんかがモテるわけもない。そこら辺のバランスが難しくて、早くも五年が経過してしまった。


 こうしてここで彼女の誕生日を祝うのも五回目。墓場でお祝いなんてしてたら罰が当たるかな……と思いつつ一年も欠かさずここにロウソクを立てている。

 ひょっとして、変な呪いをかけられたのもこれのせいだったりするのかな。だとしたら文句は言えないなぁ。


「最近は妙なことが起こりまくってて、まあ、色々大変なんだけど……来年こそは良い報告ができるように頑張るよ」


 時間も遅いし、あまり長居するわけにはいかない。それに、火をつけたロウソクが溶け出し、そろそろケーキの上に垂れそうだ。


「…………?」


 ケーキを箱に戻そうと手を伸ばした瞬間、風が吹いたわけでもないのにロウソクの火が消えた。


 俺の息がかかったかな? ずっと座ってるだけだし、そんなに呼吸が荒いわけでもないと思うんだが……。


『やれやれ、未だに私の誕生日を祝いに来るなんて……引きずるなって言っておいたのに』


「────ぎっ⁉」


 誰も居なかったはずの墓地でいきなり自分以外の声が聞こえて、俺は危うくホラー映画顔負けの絶叫を放つところだった。

 それをすんでのところで何とか呑み込み、全身に冷や汗をかきながら恐る恐る声のした方を向く。


 声は上から聞こえてきた。なので首を持ち上げ、ゆっくりと視線を上げていく。するとそこには、大胆にも墓石の上に足を組んで座る少女の姿があった。


 それは病院の患者服を着た、ポニーテールの小学生であり────


『でも、忘れないでいてくれるのは嬉しい……かも』


 ────五年ぶりに見る幼馴染の姿そのものだった。

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