第16話 下見は重要

 首相の演説からから3日後。私と部長、少佐は会議室に集まっていた。すでに模型は片づけられ、オフィスの方では撤収準備が進んでいる。

 これでこの国での大まかな仕事は終わった。後は軍警察が警護技術をどれ程度習熟しているか確認して去るだけだ。次の仕事は東欧の予定らしい。

 私たちの目の前にはコーヒーの入ったカップが置かれていた。毎朝行くカフェに出前を頼んだのだ。私は今度こそ彼にチップを渡そうとしたが、これも丁寧に辞退された。私が警護関連の仕事をしていたとどこからか聞いたらしく、この3日間の扱いはさらに上がっていた。


「美味いな」

 コーヒーを含んだ少佐が評した。やはり私の舌に間違いはなかったようだ。

「サンドイッチもいけますよ」

「今度行ってみよう」

 そこで部長が軽く手を挙げた。

「で、なんでお前は奴が撃たないと分かったんだ?」

「報告書に書いてあっただろう?」

「書いてあったさ。奴が最初に入った建物からの狙撃は不可能だったため、危険はないと判断した。奴さんはプロだろ? わざわざ撃てないポイントで一回狙撃姿勢を取って、隣の短大の方に移動したんだよな。それで時間を無駄にして、結局失敗した。なぜだ?」

 確かに奴はプロだった。それは間違いない。現場に現れるまで、空港も税関も、奴の存在を察知することさえできなかった。そして、場所の選定も完ぺきだった。

 私が警備計画作成に参加していなければ、奴は仕事を成功させていただろう。

 奴が背負っていたバックパックには、30秒で分解と組み立てが可能な、アメリカ製の高性能なライフルが収められていた。消音器と優秀なスコープを装備し、狩猟にも使われる高性能な.300ショートマグナム弾を装填していた。小型のレーザー測距儀と風向計も一緒に持ち、スマートフォンには弾道計算アプリまで入れていた。

 それとは別に、消音器付きの自動拳銃を持っていた。連絡が取れなくなった社員と警官のチームはこの銃で射殺され、死体を生け垣の中と車の下に隠されていた。

 チームは全員、発砲する間もなく殺されてしまっていた。まともに正面から向き合えば、私も命はなかったはずだ。

 そう。奴はまさにプロだった。だが、肝心なところであまりにも間抜けなミスを犯した。


「あいつはフランス語が出来なかった。南アフリカは英語だし、奴が仕事をしてきた南米や中東でも普通は使われない。これ以前にアルジェリアかコンゴで仕事していれば、話は別だったかもな。それが理由だ」

 私は種明かしをするため、何度となく使ってきた地図を広げた。

「私が要注意ポイントP7に指定したのは短期大学の校舎。4階の東側と屋上から会場を狙える。短大は英語でCollege。フランス語でUniversite」

 続いて、その隣にある建物を指さした。

「あいつが最初に入ったのは中高一貫校。短大の隣にあるが、丘のてっぺんにある短大より少し低い位置にある。そのせいで、屋上に上がっても会場はぎりぎりで見えない。どうやっても狙撃はできない。だからポイントから外したし、制限もつけなかった。中学校は英語ではSecondary School。フランス語でCollege」

 そこまで聞いて、部長はため息をつきながら額を覆い、少佐は笑い出した。奴が犯したミスは単純で致命的だった。入る建物を間違えたのだ。英語でCollegeになる建物から狙うはずが、フランス語でCollegeとなる建物に入ってしまったのだ。

 現地入りして自分の足で歩きながら計画を立てれば間違いも起きなかっただろうが、そうすれば同じようにやって警備計画を立てていた私の目に留まらないはずもなかった。

 だから、奴は外部から得られる航空写真などだけで計画を立てたのだろう。そのせいで、現地のややこしさに対応できなかったのだ。


「恐ろしい殺し屋様の、間抜けな最期ってわけか」

 苦笑いを浮かべながら、部長がつぶやく。

「奴がミスをしなくても、こちらは対応できたよ。奴が正しく短大に入ったとしても、簡単には中に入れない。窓のところに姿を見せれば、チャーリー5が仕留めていた。それが出来なくても、首相を避難させれば簡単だ。後はヘリであいつを上から追跡すれば捕まえられた。最大の想定外は、奴が存外に間抜けだったことだけだ」

「生け捕りに出来なかったのは残念だったな」

 少佐の言葉に、私はうなずいて見せた。確かにあのまま放置して、応援が来るまで待っている手もあったが、考えを変えて逃げ出す可能性もあった。何より、私はどこかであいつをまじかに見てみたかったのかもしれない。同じ技術を持ちながら、思考が違っている人間を。

 結果的に、これは私にとって初めての殺人になった。たが厳密にいえば、私がやったのは容疑者逮捕のためにスタンガンを使っただけだ。奴が寿命の尽きたセミみたいに落っこちてくたばったのは、その結果に過ぎない。

 手にしていた物が拳銃であれば、私は引き金が引けなかっただろう。銃口を向けたまま、奴が腰に手をやって拳銃をこちらに向けるのを見ているだけだったはずだ。

 “君は人殺しが出来るか?” 

 私はノーとしか答えられない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る