狙撃でヒットマン

第7話 君は人殺しが出来るか?

 目を覚ますと、いつも通り白い天井と緩やかに回転するシーリングファンが見えた。枕もとの時計を見ると、まだ6時になっていなかった。昨日寝付いたのは3時頃だったが、今はもう目が冴えてしまっている。年を取ってきたということだろうか。

 仕方がなく身を起こし、カーテンを開いた。すでに日は昇っており、鋭さを伴った日差しが飛び込んでくる。日光に照らされ、19世紀からにつくられた旧市街と、2年前から新しく作られ始めた建物が混じった街並みが並んでいた。


 ここはアフリカの某国。今は乾季が始まったばかりだが、冷房が効いた室内にいても、これから昇ろうとする太陽がもたらす光の強さが分かる。

 この国は4年前まで内戦が続いていた。それを示すかのように、歴史ある建物の壁には弾痕や砲撃で崩れた部分が残っている。内戦が終結した現在は急速に復興を果たし、残った傷跡を直そうとするかのように新しい建物が作られ、古い建物には補修の手が入っている。

 私がこの建物に来たのはおおよそ半年前。何度か国内を移動し、そのたびにホテルをあてがわれて、毎朝似たような光景を目にして目を覚ましてきた。そして、今日の仕事が終われば、1か月以内に離れる予定になっていた。順調にいけばの話だが。


 “君は人殺しが出来るか?”と聞かれて、イエスと答えられる人間は多くはないだろう。普通は出来ないと答えるし、実際に出来るとしてもノーと答えることが多い。

 いざとなったときに出来るかどうかといえば、イエスかノーかは半分ぐらいに分かれるかもしれない。例えば自分が殺されそうなとき、大事な人や仲間、あるいは無辜の市民が殺されそうなとき。そんなときに、殺しに来ている奴を殺してしまうことはできるかもしれない。

 実際のところ、殺せるはずだと考えても、いざとなったときに体が言うことを聞かない場合も多い。人生の中で植え付けられた倫理からくる抵抗感は、人が自分で思っているよりもはるかに強い。

 前線で敵と対峙する歩兵や犯罪者と対峙した警察官は、こうした状況に置かれやすい。何しろ相手は暴力に訴えかける気満々で、自分や仲間、無実の市民の命を守らないといけない。

 特に兵士の場合は、突発的な戦闘でもひるまず撃って戦えるように訓練される。躊躇すると自分が死んでしまうのだから。この場合、彼らが意識するのは撃つ、あるいは戦うことだけだ。殺害はその行為の結果に過ぎない。


 こうした歩兵や警察官の中でも、突発的に撃つことがない存在がいる。狙撃手スナイパーだ。高性能なライフルにスコープを搭載し、何百m、時には1kmを超える距離から標的に弾丸を送り込む。

 普通の兵士は眼前の敵を撃つときにいちいち考えたりはしない。躊躇は命取りになるからだ。

 それに対し、狙撃手は撃つ前にたっぷりと考える。距離と風向きから弾丸はどのように飛ぶか、相手のどこを撃つか、どの順番で撃つか、いつ撃つか。相手は仲間や市民に危害を加えようとしている最中かもしれないが、何もしていない時かもしれない。自分が撃たれるとは欠片も思っていない相手に向けて、たっぷりと考えた末に顔を見ながら弾丸を撃ちこんで始末する。

 猶予を許さない危機的な状況で、防衛や戦闘のために撃つのではなく、冷静な状態で殺すために撃つ。それが他の警官や歩兵とは大きく異なっている。

 狙撃手は“人殺しが出来るか”と聞かれた時にはイエスと答えるだろう。戦いの結果として相手を死なせるのではなく、一方的に殺すことがその役目だから。

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