EPISODE 3

「…その涙人くんも消えちゃったんだ?」


「ああ。ある時泣きつかれた涙人をみつめていたあの方もまた、眠ってしまわれたんだ」



眠っている間に涙人くんは消えて、目を覚ました老婆はそれに気がつかず孫がどこかへ行ってしまったと困り果てていたらしい。



「初めの頃はどこかへ遊びに行っていると思っていたらしい。待っている間ずっと、尖った小石で可愛い孫が怪我をしないように小石を研いでいた」



時間を持て余してたわけじゃなかったんだ。

 全ての小石の角をなくしても、涙人くんは戻って来ない。まるくなった意思が増える度に差かなの不安は増したという。



「それからどれくらいの月日が流れたか。あの方は岩の様に身動きせず、お心を閉ざしてしまわれた。だがある死神の訪問を水の揺らぎで感じ取りこう呟いた」



『涙人が帰って来る。身体の不自由な私の代わりに迎えに行っておくれ』



「久方ぶりにお目にとめてくれたことが嬉しくて、私あh尾ひれをひきちぎれそうなほど精一杯動かし、水の揺らぎを他よりに涙人を探した。だが」


「そこにいたのは僕だった」



魚はいつの間にか透明に戻っていた。振り向いたその顔は苦笑していてちょっと気持ち悪かった。



「似ても似つかないお前さんがいて戸惑ったよ。だけど一縷の望みをかけてあの方の元へ連れて行った」



彼女は僕の作った水面の揺らぎを涙人のものだと思い込んでいたから。



「喜んでたけど、最期は様子がおかしかったよね」


「途中で意識がはっきりしてしまったんだろう」



落ち込む魚の背びれに向かって吐息を漏らす。



「ごめんね」


「なぜ謝る」


「だってあの人のこと傷つけるなって言ったじゃん。涙人って人のフリしてなるべくあの人の言うことに合わせてあげたけどさ、結局傷つけちゃったよね」


「誰も悪くはないんだ。……あと少しであの方の寿命も尽きるだろう」


「どうしてわかるの」



透明な魚はかろうじて保っていた輪郭を失っていた。



「あの方が初めて魔力を使って生み出した私がもう死ぬからだよ。魔力が消えた先に待つのは、その魔法を扱っていた魔法使いの死だ」


「シビアなんだね」


「…最後に願いを聞いてもらいたい」



腹を上にして浮かび上がる魚は苦しさを一切にじませない声音で話した。



「もしも次にあの方を離すことがあればの話しだが、あの方の意識がはっきりしていたら私は幸せだったと伝えてほしい。それから、死神よ」



白く濁った小さな瞳で見据えられ、自然と背筋が伸びた。



「どうか間違った判断をしないでおくれ」



そう言い残して魚はぷかりと腹を上にして浮かび上がった。

 魚があの老婆と自分の過去を話しながら何気なく泳いでいたと思われた道の先には老婆の姿があった。



「……一周してきたのか」



改めて老婆の前に立つと、暗い瞳で一点を見つめ虚無を吸っては吐いていた。

 僕の気配に顔を上げると、弱々しく頭を垂れた。



「嗚呼、死神様。何のご用でございましょうか」



もう涙人には見えていないみたいだ。意識がはっきりしているのか、さきほどまでの笑顔はなく、ただただ生きていることが辛いという感情だけが伝わってきた。



「魚が自分は幸せだったと言ってたよ」


「そうか、死んじまったんだね。随分長生きしてくれたよ。私はあの子に何にもしてあげられなかったね。それどころか、酷い態度を取り続けた。どうか安らかに眠れ」



祈るように老婆は震える両手を合わせた。



「あなたは」



きっとこの人を神に選抜したら、元々魔法を使いこなしていただけあって有能な神になると思う。きっと神をしての寿命が与えられれば、記憶もはっきりするはずだ。現に星くんは神になる前の記憶があるようだったし。記憶が戻ったら老いとは関係なく涙人達との幸せな暮らしの記憶も取り戻すことが出来るだろう。

(だけど)

魚の言葉を思い出す。



『どうか間違った判断をしないでおくれ』



これはきっと間違いなんだ。誰かが否定しても、どこかにこれを正解だとする考えがあったとしても、僕自身が間違いだと思う。

 この老婆に残された寿命はあとわずか。このままもう全て忘れて、来世でこの人が焦がれるほど臨んだ温かく幸せな家庭を築いてほしい。ひとりぼっちの孤独な魔法使いなんかじゃなく。

 これこぞがきっと正解、考え抜いた結果だ。魚もきっとそれでいいって言ってくれるはず。



「あなたは神に相応しくない。このまま安らかに眠るといいよ」



 元来た道を辿れば星くんがいた異空間に戻れると思い、歩みを進めようとしたところで弱々しい力で服の裾を引かれた。



「涙人じゃないか。さあ、ここへお座り」



また元に戻っちゃったか。半ば強引に隣に腰かけさせられる。



「ずっとどこへ行っていたんだい。お前の父さんも母さんも私よりも先に召されてしまったからねぇ。涙人も先にお迎えが来たのかと思ってきがきじゃなかったんだよぉ。生きてて、よかった」



静かに立ち上がる。



「もうどこにも行かないでおくれ。おばあちゃんの傍にいておくれ涙人」



老婆の涙が水面にぼたぼたと落ちては波紋を作る。



「…どうしてもかくれんぼがしたいんだ。僕が隠れるからおばあちゃんが鬼。十秒数えてから探しに来てね」


「いいよぉ、じゃあ数えるねぇ。ひとつ、ふたつ」



両手で目を覆う老婆を背に元来た道を足早に歩く。



「みっつ、…よっつ、……いつつ」



遠ざかっているからではない。



「………むっつ、ななつ、…やっつ」



老婆の声が小さくなっていっているのだ。



「…ここのつ…」



不意に眼前に青白い手が伸びて来た。顔を上げると、死神が手を差し伸べていた。



「帰るよ。時機にこの星も消える」



その手を取ると強く引き上げられる。



「と…お」



遠く霞む視界の中で、黒い点が横たわるのが見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る