∞ エピローグ

 本格的にカメラを学び始めてから、自然の移ろいが楽しくなった。

 運動公園の銀杏並木は何度も通って写真を撮った。冷たい雨は嫌いだったけど雨上がりに虹を探す楽しみができたし、水たまりを使ってナンチャッテ塩湖を撮る方法を教えてもらった。雪が降るようになったらフラッシュを使った撮影にも手を出した。

 駅前の街路樹がイルミネーションの花を咲かせる頃、オレでも分かる冬の星座が夜空を賑やかに飾る。暗いところで光っているものを美しく撮るのは難しく、たくさんの知識と経験と、それから失敗とを必要とした。


 やがて、丸裸になっちゃってた落葉樹が芽吹き始め。

 蕾がふくらんで花になる。

 爺ちゃんの形見といっしょに町を歩けば、日々、いろんな発見をした。


 一周忌が終わり、山の上公園がもう一度ストーンヘンジになる頃。

 先輩達は卒業した。

 そして今日、オレは三年生になる。


「おはよう諸君っ!」


 三年四組の顔ぶれは、二年四組とほとんど変わっていない。

 勢い良く扉を開けて挨拶をすれば、ほぼ全員が挨拶を返してくれた。

 無視した奴は、一人だけ。

 オレは、机に突っ伏して寝ているそいつの手前の席の椅子を引いて、後ろ向きに座った。


「おはよう、タカ君」


 もぞ、と天パ頭が動き。

 机に顎を立て。


「……おはよ」


 手に握っていた眼鏡をかけて、緩く挨拶を返してくれた。


 これは奇跡ではないし、運命って訳でもない。

 美術系の進学を諦めたタカ君が四組——就職クラスに来るのは必然だった。

 もちろんあの深海ザメは、学校推薦や奨学金など考えられる手段の全てをタカ君に伝えている。お父さんのためにも諦めるなと、情に訴えてもいる。

 が、こいつは死ぬほど頑固だ。

 最終的に教師は折れて、コース変更を受け入れた。


 ただ深海ザメは誤解している。

 タカ君は諦めたのではない。

 鷹栖さんの足跡を辿るのをやめ、自分の道を自分で見つけて、自分の足で歩き始めただけなんだ。


 働いて、お母さんを支えつつ、デジタル環境を自前で揃えたい。

 フィルム写真に拘っていた鷹栖さんの機材は、だいぶ時代遅れだ。

 けれど丸ごと買い換える必要はなくて、最低限の出費で最大限のポテンシャルを引き出せる方法なら既に見つかっている。


 何のことはない。

 初対面の時、オレがやろうとしたことだ。

 デジタルカメラとオールドレンズの組み合わせ。


「何か用?」

「……じゃなくってさ。先に来てるんなら来てるって連絡してよね。バイクないから心配しちゃったじゃないか」

「そりゃそうだろ。バイク通学禁止だし」


 まじか。

 知らなかった。

 じゃあ駐輪場に何台か停まってるバイク、あれ誰んだ。


「どうやって来たんだよ」

「チャリ」

「うっそ!?」

「校則は守るよ。一応ね。だいぶ休んだから内申悪いだろうし」


 いつも通り飄々としている。

 自分の頑張りとか、苦しみとかを、うまく表に出せないタイプだ。


 知ってるよ。めっちゃ努力したんだよな。

 あのまま何もせず、学校にも来ず、カメラにフィルムも入れないで、ただ自分を憐れんでいる方が楽だっただろう。

 けれど残酷で生温い停滞から、強い心で一歩を踏み出したんだよな。


 戻って来た。

 あの日止まったタカ君の時間は高速で動き出し、追いついて、今はオレ達同学年と並んでいる。


「あのさ。迷惑なんじゃない?」

「んぉ?」


 タカ君の視線を追うと、オレの後ろで瀬戸君がまごまごしていた。

 出席番号がタカ君よりひとつ若い、オレが今座っている席の本来の持ち主だ。


「おっと、ごめんよ」


 席を譲り、そして。


「良いこと考えた。タカ君、オレと結婚してくれ」


 タカ君の横に片膝をつく。

 ざわっ、と、教室に静かな衝撃が走った。


「……なんで」

「オレが鷹栖姓になったら縦に並んで座れるじゃん?」

「嫌だ」

「えーそんなー皆の前で振るなよー」

「振るだろ普通」

「せっかく憧れの写真家と同じ格好良い苗字になれると思ったのになぁ」


 チャイムが鳴った。もうすぐ新しい担任教師が来る。


「親父の苗字?」

「君の苗字」


 呆れた顔で苦笑するタカ君。


「あ、そうだタカ君、美作川沿いの桜並木、もうピークだよ。始業式終わったら撮りに行こうぜ。めちゃいい場所見つけたからさ、連れてってやるよ」

「河川敷? 別にいいよ、今日は暇だし」

「やった!」


 教師、登場。

 ここで担任が門倉ちゃんだったら奇跡だったんだけど。

 さすがにそこまで都合良くは運ばない。まあ同じクラスになれただけでじゅうぶんだ。


 緩やかに蛇行する美作川には、流れの緩やかな場所がいくつかある。その場所に桜の木が植えられていて、鏡のような水面に映ることに気付いた時から、晴天と満開と夕暮れとマジックアワーハンター二人が揃う瞬間を楽しみにしていた。

 今日はきっといい写真が撮れる。


 約束を取り付け、満足して自分の机に戻る。

 クソダサブレザーがそこはかとなく似合うタカ君に手を振ったら、眼鏡をずり上げながら薄く笑ってくれた。


 タカ君。

 次は、何を撮る?






 ——おわり。

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Magic - Hour ゆきむら燎 @ykmrkgr

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