第2話 

 とりあえず空腹もおさまったので、スーパーに出かけようと、僕は財布とスマホをポケットに入れ、外に出た。バイト先のスーパーは学生には高すぎるので、商店街の中にある通い慣れた店に向かう。商店街を歩いていると、向こうから熊谷が歩いてくるのが目に入った。熊谷も僕に気づいて近づいてくる。


「なんだよ、手ぶらで。まるで休日モードだな」

「自主休講だよ。昨日、お狐さまが戻ってきてさ」

「マジで!?」

「うん。修行に行ってたらしい」

「修行? 何の」

「商売繁盛の御利益もはじめたんだって」

「そんな、冷やし中華はじめましたみたいに言うなよ」

「格が上がったって自慢してた」

「自慢って。なんか可愛いじゃん」

「昨日はあんまり怖くなかったな。頭はひっぱたかれたけど。やたら綺麗だったんだよ」


 話しているうちに目的のスーパーに着いた。外に積んであるかごを持って店内に入る。熊谷も一緒についてくる。

「そこら辺にはいない美女だもんなあ。いいな、お前ばっかり」

「今回はシチュエーションも綺麗だったんだよ。七色の光に包まれてキラキラしてて」

僕は入口正面に山積みになっている、本日の特売品のレタスを手に取った。最近、野菜不足だからこれをサラダにして食べよう。


「それが格が上がったってことなんじゃないの。せっかく戻ってきたんだから、お参りに行かないと」

「あさってちょうど15日だから、お参りには行くよ」

「俺も行く」

あいかわらず、熊谷はお狐さまにご執心のようだ。年上の彼女もいるというのに。


 僕はきゅうり、バナナ、サラダチキン、納豆、牛乳、食パン、そしてお狐さま用の油揚げと日本酒の小瓶と、次々にかごに入れていった。

「なあ、理学療法士の彼女とはどうなってんの」

「続いてるよ」

「お狐さまのこと、そんなに気になる?」

「だって美人なんだもん」

単純にして明快、そして抜群の説得力。本当に男は美人に弱い。


***

 二日後、僕と熊谷はお狐さまのお社にお参りに行った。ちょうど昼の時間帯で、休憩時間のサラリーマンやOLらしき人が三々五々お参りにきている。お狐さまのおやしろにも手を合わせる人がいるのを見て、僕はなんだかほっとした。真新しいお社の脇には、うすいピンク色の花が咲いている。僕は初めて見たけれど、あれがシャクナゲの花か。リクエストどおりのお社の中で、お狐さまは満足しているだろうか。


僕と熊谷も、お社の前に油揚げとお酒を供えて、手を合わせた。

「熊谷です。もう一度お目にかかれますように」

相変わらずである。

「お狐さまも御利益を商売繁盛にクラスチェンジしたんだからさあ、お願いするなら金運とかじゃないの」

「もちろん、金運もお願いします」


 お参りを終えて、昼飯でも食べてから大学に戻ろうかと二人で話しながら歩いていると、目の前の小さいビルの入口から紅林さんが出てきた。

「あ、紅林さん」

思わず声に出すと、紅林さんは驚いたように振り返った。

「ああ、びっくりした。二人そろってどうしたの」

神社のお参りの帰りだと言うと、

「森野くん、やっぱりあのお稲荷さんと何かあるんでしょ」と疑わし気に言ってから、彼女はここが自分の家だと言った。


「表が店なの。『とんかつ 松風』っていうんだけど」

「へえ、『松風』って紅林さんだったんだ」

今度は熊谷が驚いたように言った。僕は知らなかったけれど、東京出身の熊谷によると、そこそこ名の知れた店らしい。

「日本橋の『松風』っていったら、結構老舗だよ」

「そんな大層な店でもないけど」

「すごいね。紅林さんが跡を継ぐの?」

「弟が継ぐと思う。調理師学校に通ってるんだ」


僕たちが昼飯を食べるところを探していると言うと、

「うち、まだランチやってるから、食べていくんなら値引きしてあげるよ」と言うので、お言葉に甘えて僕らは『松風』でトンカツを食べることにした。紅林さんは一緒に店まで行ってくれて、レジの人に何やら耳打ちすると、「講義に遅れちゃう」と行ってしまった。


 昼どきで混み合う店内で、僕らはロースカツ定食を頼んだ。大量の千切りキャベツと一緒に運ばれてきたカツは脂っこくなくて、確かに美味しかった。会計のときに示された金額は半額とはいわないまでもかなり値引きされていて、僕らは他の客の手前、小声でお礼を言ってから外に出た。

「なんだか得しちゃったな」

「紅林さんにお礼言っとかないと」

僕らはすっかり満足して、駅に向かった。


***

 「土地持ちの一人娘さんも悪くないけど、とんかつ屋のお嬢さんさんのほうが、私はおすすめだわね」

図書館で調べ物をしていた僕の斜め向かいに誰か座った気配はしたが、気にもせずにいたところ、声がしたので顔を上げると、そこにお狐さまがいた。

白昼堂々と、しかもほかの人間がいるところに現れたのは初めてだったので、僕はただ茫然とお狐さまを見つめた。


「……何の話ですか」

衝撃がおさまった後、静まり返った空間をはばかって僕は小声で言う。この前、十二単じゅうにひとえを着ていたときには床まで引きずっていた黒髪は、最初に見たときと同じように濃い栗色でウェーブした髪に戻っている。その髪を後ろで一本にまとめて眼鏡をかけ、白いサマーセーターにシルバーのネックレス。司書か院生かといったファッションで、それっぽく見せるための芸が細かい。さすが狐は昔から人を化かすと言われているだけのことはあると、僕は感心した。


「どっちと結婚しても、金運的には申し分ないわ」

結婚って。何を言っているんだ。あまりにも唐突な話に僕は絶句した。土地持ちの一人娘って、桜沢さんのことだろうか。とんかつ屋は言うまでもなく紅林さんだろう。それにしても、話が飛躍しすぎてついていけない。


「そんなこと今は何にも考えてません。僕は逆玉なんて狙ってないし、美緒ちゃんっていう彼女もいるし」

「その子よりも、二人のほうが縁はあるわよ。まあ、あくまでも本人次第だけど」

「恋愛成就は専門外なんでしょ」

「もちろんよ。あくまでも金運面からよ、私が言ってるのは」

「じゃ、いいです。僕はまだ恋愛に夢を見ていたい年頃なんです」

「縁っていうのも大事よ」


 お狐さまは意味ありげに微笑むと、立って行ってしまった。すれ違った男子学生が、振り返ってお狐さまに見とれている。ほかの人間にもお狐さまの姿は見えているらしい。あの美貌でふらふら出てこられると目立って仕方ない。新たな悩みの種の出現に、僕は頭を抱えた。


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