おきな

心の研究

 人に合わせるのが嫌いだ。正確に言うと、できない。できないことを、嫌いだと言って自分を守っているだけだ。それは分かっている。でも僕は、毎日のようにそう思う。


 愛読書は夏目漱石の「こころ」。学校でもずっと読んでいるので、もう何周読んだのか分からない。ツイッターで、太宰治や夏目漱石、あと中原中也に若いうちから共感した人は精神を病みやすいとかいう投稿があって、まんま僕じゃん、って思った。

 小さい頃は、家族で公園に行ったりテレビゲームをして遊んだりしていたのに、徐々にその回数も減っていった。妹の優佳が大きくなったからかな。優佳は、僕とは違って普通の子だ。僕がもし、任されたとしても絶対にできないような、代表のあいさつなんかも、自分では立候補しないのにいつの間にか役目が回ってくるそうだ。リーダー格じゃない、でもしっかり者。僕もそんな立ち位置でやってみたかったな。裏方だと、誰も気づく人なんていないから。

 みんなは僕のことを、「何もできないやつ」と思っている。だから、僕のテストの点数も興味がない。僕が学年でも上位だって知ったら腰を抜かすだろうな。まあ、難関大学の模試は受けていないし、妥当な反応だろう。僕は別に、有名私立や、難関国公立に行きたいわけではない。心の研究ができたら僕はどこでもいいと思っている。


 昔から、人間に興味があった。

 覚えているのは幼稚園生のときのこと。同級生は、先生も一緒に「花いちもんめ」で遊んでいて、僕はその二本の平行な直線から離れた柱にもたれていた。今思うと、その直線と柱はねじれの位置だった。先生がたまに、直線の中から声をかけてきたけど、僕は頑なに入りたくなかった。僕とみんなは、平行でも垂直でもない、ねじれた関係で、僕は幼いながらにそれを半分理解していた。

 人を奪い合う遊びの、何が楽しいのか。きっと、選ばれてじゃんけんをしに前に出て行くときの、刹那に感じる勇ましさがいいんだろうな。僕が当時、どんな考えで見ていたかは忘れてしまったが、表現は違えど、おおよそこんな感じだろう。とりあえず、そのときから人間観察や考えることが好きだった。そして、考えすぎて、いつからだろうか、家の外では話せなくなった。


 「仁。私もテスト結果帰ってきたよ。」

「何位だった?」

「上から三位以内。数学は一位。まあ百点だから。」

「優佳はいいなあ。僕、数学だけはできないよ。」

「仁は三位以内になったことある?」

「あるよ。ちゃんとした順位も聞いてきたらいいのに。聞かないと教えてくれないんでしょ?まあ僕も聞いたことないけど。」

「面倒くさいよね。分かる〜」

「どうせ、高校生になったら同じレベルの人たちだけでの順位が嫌でも分かるから。優佳は成績いいから大丈夫だろうよ。」

「捨て台詞みたい。」

僕たちは同じように笑った。優佳は最高の話し相手だ。測ったことなんかないけど、IQが同じくらいだと思うし、三歳離れていても、双子のようにお互いの考えが分かってしまう。同時に同じ言葉でハモることなんてざらにある。僕が外に出て、見知らぬ人でも知っている人でも、誰かとすれ違うと一言も話さないのを小さいときから知っているから、代わりに名乗ってもらったり、「喋りなよ」と言ってきたり――もうそんなこと、しなくなったけど、いい妹だな、と我ながら思う。


 今は学校に友達なんかいないけど、小学生のとき、一緒に鉄棒をしたり、校庭の散歩をしたり、友達と呼べる人がいた頃も、どんなに楽しくても僕からは歓声の一つさえ出なかった。学校で優佳と会ったとしても、反応できなかった。

 僕のそれは場面緘黙症というらしい。

 小六のときに、家のタブレットで調べた。「学校で話せない」と。そこからは、雪玉が転がるように、知りたかったことが出てきた。動きづらいのは自分のくせだと思っていたけど、緘動という症状があること、治療は早い方がいいこと。そこまでの人生で、僕は治療という治療を受けた覚えがなかった。絶望だった。治療法はたくさん出てきても、肝心の実例がない。その一方で、僕と同じ人がいるんだと安堵する気持ちもあった。初めて経験する感情だった。両親の心、先生の心、友達の心、僕の心。そこから、僕はより一層、人の心に関心を持ち始めた。


 心の研究がしたい。


 今日は出席番号からして、国語の先生が当ててくると思われる。国語の先生だけは分かってくれない。「文法事項を書くだけだから」って、僕が黒板まで行くのにどれほどの力を要するのか。また何か言われる。過去に飛んできた心ない言葉の数々。行きの電車の中で、それらを一つひとつ手の上で転がしては、投げるのを繰り返す。しかしすべてが、記憶という形で戻ってくる。

 心ない言葉。みんなの前では無表情な僕は、心がないって思われているだろうけど、僕からしたら、みんなの方が心がないんじゃないかなって思う。

「おはよう仁。俺さあ、昨日の課題ができてなくて。ちょっと見せてよ。」

「おう。もちろん。」

 こんな会話はいつも頭の中でする。今日も、席に座っても誰も見向きもしない。

 いじめられているわけではない。県内でも何番目かの高校だ。みんな、自分で自分に合う友達を見つけて、その中で完結させているだけ。それが一番賢いと思う。嫌いなやつには関わらなくていいから。


 国語の授業。昼からだったので、すごく眠い。口を閉じたままあくびする。予習はしてきている。今日こそは書きに行くぞという気持ちはもうない。どうせ名前を呼ばれて時間が経ったら、みんなの視線が集まって動けなくなるから。

「じゃあ、野崎。漢文に返り点打って。」

ほら来た。反抗心からなのか、緘動なのかは全く分からないけど、今日も動けない。あとは何を言われても、耐えるだけ。そうしたら次の人に移るはず。

 珍しく、何も言わずに先生は次を指名した。急に動いたと思われるのが嫌で、当てられてからはノートすら取れないのが面倒だ。首が痛くなるのを、じっとこらえる。惨めな姿だろう。いつも悲しくなる。そして休み時間になったら、トイレにこもる。


 国語の時間が終わった。ゆっくり動きだして、トイレへ向かう。首の血流が一気に戻って、頭が痛くなる。くらくらしてくる。座り込みそうになるのを必死で抑えて、男子トイレに入ると、男子が二人いた。個室のドアを閉める。座るとまた気分が悪くなった。男子二人はずっと喋っている。次の時間が始まる一分前、ようやくその男子たちは動きだした。僕は間に合わないと悟った。どこへ行こう。保健室は嫌いだし、図書室は授業中閉まっている。


 公園。


 外の風にあたると、気持ちよかった。ここには昔、よく遊びにきていた。シーソーとか、ジャングルジムもあったのに、今はない。危ないからとかで撤去されたんだろう。代わりに、幼児向けのカラフルなプラスチック製の滑り台ができた。今日は三歳くらいの子とお母さんが遊んでいる。時間的に、小学生もまだいない。

 あの子は普通に成長するのだろうか。僕だって、あれくらいのときは普通だったはず。いつ、どこで道を間違えたのか。自責モードだ。

 どうして、僕はいつも、こうなんだろう。

 自分の気持ちを声に出すのが難しくて、人に聞いてもらうことがまずないから、自分の中で解決しようとする。でもそれは、エネルギーが自分の内側に向かっているだけだから、溜まっていく一方で、何も解決していないのと一緒だ。僕は生きにくい。


 人に合わせるのが嫌いだ。正確に言うと、できない。できないことを、嫌いだと言って自分を守っているだけだ。それは分かっている。でも僕は、毎日のようにそう思う。

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