第38話 窓の外

 明日は一座の出立の日。

月子はいつもよりも早く床についていた。明朝早く起きて、準備を手伝わなければいけないからだ。


――そうだ。悟さんに東京のおうちの住所、聞いておこう。向こうに行ったら、今までより会える機会も増えるかも知れないし


 そんなことを思いついて、微睡みだす。目を閉じると、初めて龍と緋奈に鱗を見せてもらった時と同じ、色彩の波が瞼の裏に見えた。


 もうすぐ自分は眠りに落ちるのだ。

そう直感した時だった。


「月ちゃん」


 はっと瞼を上げて、上体を起こした。

春の風が柔らかく吹き込んでくる。

窓が開いていた。


「龍?」


 仰天して跳ね上がりそうになった声を、両手で口を覆って抑えた。


 ここは二階である。かつて姉と二人で使っていたこの部屋も、晴子が結婚して家を出てからは月子の一人部屋だった。そんな月子も嫁入りが近いので、部屋の中はすっかり片付き、大きな家具と布団の他には何もない。


 他に誰もいないはずのそんな部屋に、龍が立っていた。


「窓から入ってきたの?」

「屋根伝いに来れば、離れからすぐだったよ」

「危ないじゃない」

「夜目が効くんだ。知ってるでしょ」


 月は出ているが、明るい夜とは言えなかった。雲も多いし、月は三日月なのだ。


「びっくりしてるね」


 月子の顔を見たのだろう。龍はクスクスと笑った。


「そりゃそうだよ」

「でも、怖がってない」


 近づいた気配を感じる。月子の頬を、龍の二つの手が覆った。


「やっぱり君は、怖がらない」


 キラリと光るのは、黄赤色。明るい場所で見えるはずのその色が、暗い部屋の中で嬉しそうに踊っている。それは強く月子を惹きつけた。


「会いに来たんだ。いつも君がしてくれたように。今度は僕から」


 彼の掌は、五年前と変わらなかった。そこに鱗は生えなかったのだろう。反対側の甲には凸凹の傷痕を確認していた月子は、彼に触れられながらそんな事を考えていた。


「起きて。場所を移そう。久しぶりに月夜を歩こうよ」


 抗えなかったし、抗う気持ちも起きなかった。月子は龍に誘われるがまま、彼に腕を引かれて窓の外へと出たのだった。

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