第14話 稼業

 結論から述べると、月子の嘆願は聞き入れられなかった。座長の悟から言わせれば、彼は折衷案を出して当事者である姉弟は納得したのだから、それ以上のことは起こらない。ただそれだけだ。


「月ちゃんは怒ってるなぁ。ありゃ今回の滞在の間、ずっと口を聞いてもらえないかもしれないな」


 そういう悟は、どこか愉快そうな口ぶりだった。


「僕からも、もういいからってまた言っておきます」

「ま、それでもあの娘は納得しないだろうよ。そういうところが、彼女の良いところでもある」


 龍は座長と二人、縁側に座っていた。


「僕は構わないんです。本当に……鱗を見せるくらい、どうってことない」

「化け物だって罵られても?」

「それは慣れなんでしょ? 他の皆も言ってる」

「人から罵られることに慣れるのは、その分自分の心も汚れていくってことだ。それでも?」

「誰しも心は汚れていくものでしょう」

「おや、そんなこと誰から教わった?」


 悟の問を、龍は笑顔を浮かべてはぐらかした。


「まぁ、いい。こんなこと、こんな商いをしている立場の僕が言うことでもなかったね。龍、助かるよ。君の身体の鱗は、正直かなり良い見世物になる。客を呼ぶんだ」

「分かってます」

「緋奈の鱗は見世物にしない。その約束は守ろう」

「ありがとうございます」

「これ以上、月ちゃんに嫌われたくないからね。緋奈の鱗が腕とか手指とか、若い娘が肌を出すのに、それ程支障ない場所だったら良かったのにな。脚と背中じゃあなぁ……それはそれで、色目当ての客寄せにはなるけど」


 冗談めかして笑い、立ち上がった悟は、懐中時計を確認した。


「そろそろ月ちゃんが、学校から帰ってくる時間だ」


 座長が立ち去った縁側には、龍が一人残された。他の芸人連中は、既に小屋入りしている。龍は月子の帰宅を待ってから向かおうと考えていた。見送ってもらいたかったのだ。


『好きになっちゃったんでしょう』


 からかい口調の姉の声が蘇って、龍はあの晩の月子の顔を思い浮かべた。


 悟に緋奈と龍の鱗を見世物にすることを止めるように願い出た月子が、しょんぼりと戻ってきた時の顔だ。


『ごめん……だめだった』


 今にも泣き出しそうな顔だった。龍が狼狽えて近くに寄ると、ぎゅっと唇を引き結んだ。


『緋奈ちゃんのことは、分かったって。でも龍は引き続き、鱗を見世物にしてくれないかって』

『え?』

『緋奈は見せなくていいの?』

『うん。そう言ってた。でも龍は……』

『いいんだよ、そんなの』


 少々強い口調で言葉を遮った龍に、月子は目を見開いた。潤んだ瞳が誇張されて、龍の口から続いた声音に熱が籠もった。


『僕は男だよ。身体を見せたって、何も減りはしないんだから』

『でも龍だって、嫌だったんでしょう?』

『そのうち慣れるよ。仕事なんだから』

『でも』

『見世物稼業って、そういうものだよ』


 穏やかに放たれた龍の一言に、月子は遂に口を噤んだ。


『悟さんが望んでて、僕が見せることに納得しているんだから、それでいいの。月ちゃんはこれ以上、心配しないで』

『龍……』


 月子は賢い子なのだろう。

出会ってからまだ短い時間しか共にしていなかったが、龍には分かっていた。この土地から出たことはないと言っていたが、彼女の周りの大人達は彼女のことを、『変な子』と同じくらいに『聡い子』と話しているのを知っている。


『……分かった。力になれなくて、ごめんね』


 物分りも良い。

そんな月子を、緋奈が抱きしめていた。


『ありがとね、月ちゃん。このお返しは、いつか必ずするからね』


 この時の姉の瞳の柔らかな輝きが、やけに頭に残っていた。

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