第6話 出会い

 月子がその少年と初対面を果たしたのは、離れの縁側から出てすぐの、井戸の横だった。


ポンプを上下させる音が聞こえた。近づいた月子は、流れ出る水を地面に置いた桶に溜める、しゃがみ込んだ背中を見つけたのだった。

絣の着物から伸びる首は、真紀よりも白く、青く見えたのは気の所為だろうか。


 月子の足音に気づいたのだろう。彼は立ち上がりながら振り向いた。


「あ」


 思わずかける言葉を見失って、月子の口から、極限まで短くなった一つの音がこぼれ落ちた。


――きれい


 そんな色の瞳を、初めて見た。似たような色のおはじきを持っていたなぁと、月子は思い出していた。

 早朝の曙空のような、淡い黄赤色がきらりと輝いた。


「えっと……」


 少年の声だった。かすれ声で、それが彼本来の声なのか、長らく発声していなかったためのものなのかは分からない。しかし月子は、そんな彼の声さえ、好ましいと咄嗟に思った。


「あ、私」


 我に返って、改めて目の前の人物を見つめた。

 暁空を彷彿とさせた黄赤色は、少年の顔を照らす陽光の具合で見えたようで、よく見ると彼の瞳は薄い灰青色をしていた。それでも十分珍しい色合いで、月子は息を呑む。


 痩せていたが、背丈は月子と変わらないだろう。

この辺の男児のように坊主頭ではなかった。耳が隠れない程度に切りそろえた黒髪は、寝癖なのか頭頂部が僅かに跳ねていた。


「橋本月子です。一座の皆さんの、お世話役を任されています」

「君が……?」


 名乗った月子のことを、少年は訝しげに観察し始めた。


――子供の世話役なんておかしいって、思われているんだろうな


 何となく彼の考えが読み取れて、月子は落ち着かなげに、灰青色の瞳が自分の外見を探り終えるのを待っていた。


「リュウ」

「え?」


 唐突に告げられて、つい首を傾げてしまう。


出雲龍いずもりゅう。僕の名前だよ」


 名乗り終えた少年が微笑んだのを見て、月子はすぐに言葉を出すことができなかった。


――なんて綺麗な人なんだろう


 世の中に、こんなにも美しい造形の人間がいるのかと、衝撃を受けていたのだった。

 彼の容貌は完璧だ。月子は『完璧』の言葉の意味を、この時初めて実体験として理解した。


「……あの、ごめんね」

「えっ?」


 月子の沈黙が長すぎたのだ。龍は顔をうつむかせながら、一歩月子から後退した。

 慌てた月子が側へ寄ろうとすると、更に二歩、三歩と距離をあける。


「驚いたんでしょう。この目の色」


 龍は俯いていた。月子から顔を隠したまま、次の言葉を放った。


「怖がらせてごめんね」

「えっ? なんで?」

「え?」


 あまりにも素っ頓狂な声音が、月子から上がったからだろう。龍は思わず顔を上げていた。


 不思議そうな表情を浮かべた少女が、まっすぐに龍のことを見つめていた。その顔の中に恐怖に結びつく歪みがないので、龍は呆気にとられる。初対面で自分にこんな顔を向けてくる子供を、彼は知らなかった。


「こっちこそ、ジロジロ見てごめんね」


 申し訳なさそうに眉根を下げて、頭を下げてくる。その直後、少女は再びじっと龍を見つめた。


「ごめんなさい……あまりにも綺麗だから、つい」

「きれい?」


 びっくりして、目を見開いた。

そんな龍に一歩近づいたのを、月子自身は無自覚なようだった。


「朝の空を、丸ごと閉じ込めたみたい」


 ぽつりと呟いた自分の言葉に、月子は納得していた。

彼の瞳を喩えるのに、ぴったりだと思ったのだ。


――夜に降った雨が止んで、昇るお天道様の横で一気に雲が抜けていく……そんな朝の空に、そっくり


 具体的な描写を説明したその言葉まで、声にしたのかは分からない。

 月子の意識を少年の瞳から引き離したのは、小さな笑い声だった。


「不思議な子」


 細めた目の奥で、美しい色がきらりと輝く。白く艷やかな肌の上で、形の良い唇が、薄い三日月の如く孤を描いていた。


「皆から変な子って、よく言われるの」

「じゃあ一緒だね。僕もしょっちゅう、変な子って言われるよ」


 月子の目と、龍の目がまっすぐに宙で結びつく。

 自分を見る龍の視線が、何段か柔らかいものに変わっていた。


「月ちゃんって、呼んでもいい?」


 もちろんと頷いた時、月子は大きな笑顔を見せていた。

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