第6話&イラスト

「――ック! ブ――ク!」

誰かが叫んでいる。

「なあ起きろよ! いい加減起きねえとぶん殴んぞ!」

声は切迫していた。誰かに訴えかけているのだろうか。随分と乱暴な言い方だ。

「おい、ブラック!」

体が揺れる。頭が地面に擦れて痛い。

ああそうか、呼ばれていたのは私か。

「シガレット……!」

そこで私は目を覚ました。がばっと弾かれたように体を起こし、目の前に迫る彼を見つめる。シガレットは今まで見たこともないくらい心配そうな顔をしていた。

「すまない。驚かせたな」

「本当だよ。起きないかと思ったぜ。ったくあんたに何かあったら理事長に怒られるんだからな」

シガレットは私の額に拳を押し付けた。だが、恨み言のような言葉とは裏腹に、その顔は徐々に緩んでいった。肩の力が抜けたのだろう。

「私としたことが失敗した。幻を見せられていたんだな。占いというのは嘘だったようだね」

「多分な。あんたは水晶玉に触れて、ガンドの言葉を聞いたらすぐに眠っちまったんだ。何度名前を呼んでも全っ然起きなくてさ。こういうことができるのって睡眠系の神術、であってるよな?」

「ああ。ついでに操作系も混ぜているのだろう」

これでも私は神学のテストでいつも一番だ。ある程度神術には耐性がついているし、知識もある。その私が騙されたとは、術者の練度が恐ろしく高かったことを裏付けている。人外のことは良くわからないが、おそらくババ様の力だろう。ガンドの呪文のような言葉は、現実世界と幻を繋ぐ鍵のようなものだ。

「そういえばシガレット。ババ様とガンドはどうした?」

「ババ様はそこに寝っ転がってるよ。あんたが寝ていた間、適当に殴って縛っておいた。ガンドもさっきまでそこにいたんだが、あんたが目を覚ます直前、目の前で弾けたんだ。言っとくけど、取り逃したわけじゃねえぞ?」

そう言って、シガレットは部屋の隅を指さした。見れば、天井からつるされたランタンの下には、手足を縛られた老婆がうずくまっていた。近くには水晶玉だったと思われるガラスの破片が飛び散っている。私が起きても何も言わない彼女は、大切な物を壊されて意気消沈しているのだろう。ガンドはあの幻の世界での出来事がこちらでも影響した、といったところか。

「ガンドは私の方で対処したよ」

私は別れ際のガンドの冷めた目を思い出した。

「それよりこれからどうする? 放置というわけにもいかないだろう」

「それなら風紀委員を読んでおいたぜ。あと数分もすれば――」

「ひーめちゃーんっ」

シガレットがテントの入り口を指したのと同時。不意に、場違いに明るい声が聞こえた。

「おはっよー、僕の黒雪姫。カワイイ君が眠り姫になったと聞いて、飛び出してきちゃった」

声の主はテントに足を踏み入れるや否や、私めがけて飛びついてきた。シガレットは彼を間一髪のところで避けたが、私は彼に抱き着かれ、態勢を崩した。そのまま彼に押し倒されるような形で地面に背中をつける。私と同じくらいの歳の少年は、紫色の目を輝かせていた。星空を閉じ込めたみたいだ。

「叔父上……いつも言っているでしょう。私に抱き着くのはやめてください。あとその姫って呼び方も」

私は少年、もとい叔父上を押しのけた。砂埃を払い、居住まいを正す。

「なんで~? 姫はイフ似でカワイイよ? 僕の一族はみんなカワイイから自信持てばいいのに」

「そういう話じゃありません」

あなたが姫と呼ぶから学院のみんなが真似するんです。私は喉元まで出かかった言葉をぐっと飲みこんだ。今はそれどころじゃない。

 私は深呼吸すると、叔父上に向かって頭を下げた。

「叔父上。あの、申し訳ございません。私は……」

「あーいいって。風紀委員経由で話は聞いてるから。お説教するのは後でね。今は姫が無事でよかったよ」

叔父上はひらひらと手を振ると、鋭い視線をババ様に目を向けた。ババ様の体が、地上に打ち上げられた魚のようにびくっと跳ねる。

「姫、解魂会(かいこんかい)って聞いたことない?」

「はい。ありますが、それが何か?」

ガンドは幻の中で、自分たちは解魂会だと名乗っていた。そして私を救う、とも。

「あれね、実は教会が目をつけている新興宗教なんだよ。昔は田舎の方で布教してたんだけど、最近聖都に降りてきてさ。謎の花の噂をよく聞くから、まさかとは思ってたけど、悪い予感が当たっちゃったみたいだねえ」

叔父上はやれやれと言った具合に肩をすくめた。

「僕たちは7歳になったら神託を授かり、以後その通りに生きるだろう? でも解魂会はそれが許せないらしい。人は神のおもちゃじゃない。だから魂を運命から解放する権利があるとかほざいてるんだ。でも、実際は人を眠らせている間に軌石を破壊している。それも本人の了承を得ずにね。そんなことすれば、神のご意思に背いたことになって、ぐちゃぐちゃの黒いお化けになるのにねえ。あ、でも姫の軌石は無事みたいだね?」

叔父上は私の右目を指さした。通常、軌石はブレスレットやネックレスにして肌身離さず持っているものだが、私の場合は右目にすり替えてある。仮に襲われても、奪われることがないようにするためだ。叔父上曰く、「さすがに眼球が軌石だとは思わないでしょ」だそうだ。

「はい。幻の中に連れ込まれただけです」

私は首を縦に振った。その時だ。

 「り、理事長様~!!」

外から叔父上を呼ぶ声がした。

「げ、もう追いついて来たのか。なるべく複雑な道を通ったのに」

叔父上はあからさまに顔をしかめた。

「風紀委員ですか?」

「そ。あいつら僕も行くって言ったら、必死で止めてきたんだもん。護衛がなんだってうるさくって。一刻も早く愛息子の無事を確かめたいのに、止めるなんてひどいよねえ?」

叔父上は手を腰に当て、子供のように顔を膨らませる。思わず、それは普段あなたが理事長室を脱走して、生徒に交じって学院生活を満喫しているのが原因ではないでしょうか。なんて言葉が出そうになった。しかし、そんなことは口が裂けても言えない。叔父上が駄々をこねるのは目に見えている。

「行ってやったら良いんじゃないでしょうか」

それまで聞き手に徹していたシガレットが、テントの入り口に目をやった。

「そうですよ。ついでに、教会に仇なすこの者を連行するのがいいかと」

「え、なになに? ふたりとも僕をのけ者にしようとしてる?」

「別に」「そういうわけでは」

私とシガレットは揃って首を振った。

「ちぇっ、僕ももうちょっと遊びに行きたかったのに。まあいいや。うるさいおじさんは社畜にもどりますよーっと」

叔父上は不貞腐れたように立ち上がると、部屋の隅にいた老婆に手を伸ばした。そのまま軽々と持ち上げ、入口へと向かう。実年齢は40を超えている叔父上だが、体力も腕力も衰える様子はちっとも伺えない。

「それじゃあ姫、また今度ね。騎士君も姫を頼んだよ」

叔父上はテントの垂れ幕に手を伸ばした。私とシガレットは揃って「はい」と頷く。良い返事だ、と叔父上はにこやかに笑った。

「ふたりがこれからも神の教えを忠実に守れることを祈っているよ」

そう言って叔父上は消えていった。

 外から騒がしい声がする。軽快な音楽に乗ってやってくるのは、叔父上と風紀委員の応酬か。それとも学生たちの呼び込みか。あるいはその両方か。私には正解がわからない。しかし、持ち主がいなくなったテントは、数時間前と比べてひどく静かなように思えた。

「なんか、あっという間の出来事だったな」

シガレットはぐるりと室内を見渡した。橙色のランタンの光に照らされたその顔はどことなく寂しそうだった。

「そうだね。ガンドはよく喋る子だったから」

ふと、瞼に綿あめを頬張る少年の姿が浮かびあがる。彼の存在は最後まで謎だらけだったが、根は悪い子ではなかった。手のかかる後輩という言葉がしっくりくる。うるささに慣れかけた分、少しだけ寂しい。私もシガレットと同じような表情をしているのかもしれない。

「あーそうだ。そういえば、ガンドが弾けたときに、こんなん拾ったんだよ」

私たちの間に流れるしみじみとした空気を変えるためだろう。シガレットは妙に明るい声を出した。ズボンのポケットを探り、何かを取り出す。

「青い花か」

「そ。綺麗だよな。拾い物だけど、あんたにやるよ」

差し出されたものに私は困惑した。贈り物は嬉しいが、せっかくの記念品だ。私よりガンドに懐かれてた彼が持っていればいいのに。

「心配しなくともこれで願いを叶えろなんて言わねえよ。てか、理事長の話からしてそんな力があるとも思えんし。これは、そのーあれだ」

そこで、シガレットはなぜかそっぽを向いた。頬と耳が赤く染まっている。

「あんたは俺が知っている人の中で一番綺麗だから。それに、その青はあんたによく映える」

「シガレット……」

「うるせえ。いらねえならその辺に捨てとけ。学園祭が終わったら回収されんだろ」

そう言ってシガレットは背を向けた。上ずった声は、彼が照れていることをわかるには十分すぎる理由だった。自然と、私は笑みを広げていた。柔らかい吐息を吐き、彼の背中に向けてはにかんだ。

「ありがとう。一生大切にしよう」



【ガンドの花】

どんな願いも叶える花。定められた運命すら捻じ曲げることができるという。

しかしいつ、どこに生えているかは不明で、唯一わかっていることは色が青いということだけ。

その正体は青い培養液で育てられた野花。その花自体に不思議な力はなく、解魂会が会の存在を広めるために作った作り話だと思われる。神創暦1467年、10月。ガンドの名を持つ神術仕掛けの人形が国中で多数目撃されたが、彼らが作られる際にこの野花を触媒としていたことが後の調査でわかった。花の名前はこの人形から取られたのだと推測できる。なお、ガンドという言葉は古代神聖語で「束の間の安息」を意味する。



キャラクターイラスト↓

https://kakuyomu.jp/users/Mei_tadanogi/news/16817330656572373625

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青蘭のアルカディア 唯野木めい@休止中 @Mei_tadanogi

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