第21話 お友達になって頂けませんか?

 ユウ兄の家を飛び出して走った。何も考えたくなかった。



 走って。



 走って。



 走って。



 誰もいないオフィス街まで走った。一際大きなビルまで来ると、急に動けなくなる。ビルの前にあった広場にしゃがみ込んだ。



 息が苦しい。頭がクラクラする。



 広場の噴水を見ていると目の前が滲む。拭っても拭っても涙が止まらない。



 なんで?



 なんで私、傷付いてるの?


 ……宇宙から来た? 顔が無い? 1人にしておけない? そんなの反則だよ……。


 普通の恋人なら何もこんな気持ちにならなかったはずなのに。あの人がユウ兄に助けられて、見守られてることに……腹が立った。


 なんであの人は会ったばかりなのに優しくされるの? ユウ兄に見て貰えるの? 大事にして貰えるの?


 私は……もっと私を見て欲しかったのに。ユウ兄は私を見てくれてると思ったのに。


 私からユウ兄を取り上げないで。


 お母さんが忙しくて家を空ける時もずっと良い子にしてたんだよ。真っ暗な家に帰っても、朝起きて誰もいなくても、ずっと。


 だから……。


 ユウ兄は私を見てよ。昔みたいに。迎えに来てくれた時みたいに。


 もう、子供の時みたいに困らせたりしないから。



「み、美月……」


 振り返ると息を切らせたユウ兄がいた。


「なんで、来たの?」


「謝ろうと思って、さっき様子が、お……かしかったから」


 ユウ兄は息を整えるように胸を押さえた。


「あんな人、前にしたら誰だっておかしくなるよ……」


 違う。あのマキネという人に嫉妬してしまったからだ。ユウ兄を取られてしまうんじゃ無いかって。


「ごめんな」


 ユウ兄は何も分かって無いよ。あの人のことで頭いっぱいなんでしょ。


 何かを言おうとするたびに、その言葉を飲み込んだ。こんなことをユウ兄に思うなんて間違ってる。迷惑をかけてしまう。でも……止められない。



「美月が大変な思いしてるのに、、ごめん」


「……え?」


 ユウ兄は、私を……。


「本当は言いたいことがあったんだよな? だから俺の所までわざわざ来てくれたんだろ?」


「もういいよ」


「言ってくれ。聞きたいんだ。美月の話」


 ユウ兄が膝をついて私の顔を見つめてくれる。優しい笑みを浮かべて。その顔を見ていると、胸の奥でずっと支えてた気持ちが溢れ出した。


「言っても、いいの?」


「ああ。聞かせて欲しい」


 自分の奥底からずっと言いたかったことを絞り出そうとする。上手く声に出せなくて、代わりに涙が溢れ落ちてしまう。だけどユウ兄は、私の目を見つめて静かに話すのを待ってくれた。


「わ、私……」


「うん」


「私、大阪に行きたくない…… おじいちゃんやおばあちゃんやユウ兄に、会えなくなるの、嫌なの」


 言葉にした途端に、胸の奥からどんどん感情が溢れ出して来る。それが止められなくて、ユウ兄にしがみついてしまう。


 お母さんに会えなくなるのはもちろん嫌。でも、お母さんは家にいないから、毎日、真っ暗な家に帰るのは……耐えられない。


「ユウ兄達と離れたく、無いよ」


 ユウ兄達も私の大切な家族なの。お母さんが側にいない時、いつも私を支えてくれた、大切な……。


「そっか。それを思ってたんだな」


 ユウ兄は、優しく私の背中を摩ってくれる。それが子どもの頃を思い出させて、余計に涙が止まらなくなる。


「お母さんが私の為に頑張ってるのも分かってる! だから、私が我慢しないといけないって……」


「美月がお母さんを大好きなのは分かってるよ。いいんだよ美月は思ったことを言っても。お母さんは、そんなことで美月を嫌いになったりしないよ」


「おばあちゃん家にずっといたらみんなに迷惑かけちゃう!」


「迷惑かけても大丈夫だよ。俺も、美月のおじいちゃんも、おばあちゃんもそんなことで美月を嫌いにならない」


「私は! もう大人なんだって! だからわがまま言っちゃダメだって……」


「子供でもいいじゃないか。焦って大人にならなくてもいいんだ」


「う、ううぅぅぅ……」


「ごめんな。ごめん。俺も、おばあちゃん達も、美月がお母さんについて行きたいんだと思ってた。美月が良い子であろうとしてたから、それに甘えてた。本当に、ごめん」


 涙が止まらない。私、こんなことを考えてたんだね。自分でも、全然分かってなかった。



◇◇◇


 ユウ兄と2人で近くのベンチに座って、色々と思い出話をした。私が小さかった頃から最近のことまで。


「あのな。俺も聞いて欲しいことがあるんだ」


「何?」


「実は……美月のことを追いかけるように言ったのはマキネなんだ」


 マキネ……友達になろうって言われて断ってしまった人、顔が無くて、色を灯す……宇宙から来た人。


 ユウ兄が言ってた。顔が無いあの人は、色で内面を表現するって。私に手を差し出して来た時、あの人は……。




[あ、あの、良かったら……お友達になって頂けませんか?]




 あの時は、オレンジ色をしていた。チカチカ光って、恥ずかしそうに俯いて。




「どうして? あの人と私は関係無いはずなのに」


「マキネに言った『友達になっても意味は無い』って言葉……あれはマキネを拒絶したんじゃなくて、美月が『大阪に行ってしまうから』って意味だったんだろ?」


「……うん」


「きっと美月が向こうに行くことを嫌がってると察していたのかも。美月の話を聞いてから、マキネはずっと気にかけていたんだ。あの子もさ、一人で夜の公園にいたから。真っ暗な中、全く知らないこの土地まで来てさ」


 そうか。あの人は……あの人も、私と同じで、寂しかったんだ。私にはお母さんがいる。でもあの人には? 友達は? 家族は?


 あの人がユウ兄の所から出て行ったらどうなってしまうんだろう?


 ……。


「美月。俺は今、あの子が大事なんだ。でも、だからって美月のことどうでもいいなんてことは絶対思わないよ。美月は俺の大切な家族だから」


「うん」


「お母さんとちゃんと話そう。俺も一緒にいるから」


「うん……」


 ユウ兄が頭を撫でてくれる。子供の頃とは違って恐る恐るという手つきで。でも私は、この手がずっと欲しかったんだと思えた。


「ごめんね。私、あの人に酷いこと言っちゃって」


「そう思ってくれるだけで充分だよ。マキネには俺から言っておくよ」


「ありがとう」


 私はあの人を見て、ユウ兄が必死にあの人を庇う姿を見て……もう私を見てくれなくなると思ってしまった。


 ユウ兄は、ずっと私を気にかけてくれていたのに。


 ユウ兄は家族だから。



 私は、そのことを分かってなかった。近くにいたいと思っていたのに、遠慮して、我慢して、結局迷惑をかけてしまった。



「ねぇ、また来てもいい?」


「もちろん。マキネもきっと喜ぶよ」


 ユウ兄が笑う。その顔は私が小さい頃のまま。


 お母さんを傷つけてしまうかもしれないけど、ちゃんと伝えよう。私の気持ちを。



 今日、来て良かった。

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