第11話



「ごめんくださーい、きつねうどんとたぬきうどんお待ち〜」

 弥勒の元気な声で目覚めた俺は、勝手口へと向かった。鉄の箱を持った弥勒がしたり顔でこちらを見ている。

「頼んでねぇけど……」

「親父からこの前のヤマメのお礼っすよ。ほら、尾崎さん。きつね好きでしょ?」

「お、ありがとう」

「そうそう、彼岸堂の方はどうなんす?」

「あぁ、まぁいい感じかな」

 ついさっきも夫の死に向き合いにきた婦人を返したばかりだ。今回の相談は非常に体力を使ったから弥勒の訪問は嬉しいものだ。油揚げの甘い香りが食欲をそそる。


「あら、弥勒。ありがとう、気がきくのね」

「彼岸さんはたぬきっすよ」

 彼岸は弥勒に「上がっていく?」と言ったが、弥勒は仕込みが大変だからとトンボ返りしてしまった。

「おいおい、彼岸。俺の正体を弥勒にばらしてねぇよな?」

「あら、バラしてないわよ」

 彼岸は飄々というと、たぬきうどんの丼をもってテーブルの方へと向かった。俺の死の相談はなんとかギリギリ彼岸の余命に間に合った。それどころか、椿の不思議な力が彼岸に宿り、余命が4日から44日に伸びたらしい。

 原理はよくわからないが、彼女の呪いが弱まったとか弱まってないとか。

「でも、死神だなんて嘘をつかなくてもよかったのに」

 小っ恥ずかしいことに俺は自分の出自を彼岸に語ってしまったのだ。俺が死神でなくオサキキツネだということもバレたし、俺が彼岸堂の初代と親交があったことも、俺が椿を愛していたことも全部筒抜けだ。

「あぁあぁ、忘れてくれよ」

「いやよ、面白いもの」

「椿は可愛かったけど、お前は可愛くない!」

「あら、そんなこと言っていいのかしら?」

 彼岸は俺の箸を持って逃げ出した。俺は追いかける。余命が伸びた分、元気になった彼岸はこうやって俺に意地悪をする。でもいいのだ。


 弥勒亭の特盛きつねうどんを啜りながら、街で買ってきた美味い漬物を食う。最近じゃ、街まで出るバスという大きな車が走り始めたおかげで俺たちも度々買い物に行くようになった。

 小遣いに限りがあるからたまにしか行けないが、雑貨屋やすーぱーとかいう店はすごくいい。美味いもんや珍しいもんがたくさんあって、一生遊べそうだ。

 ふかふか分厚い油揚げ、最高の出汁を吸い込んで噛めば噛むほど味が出てくる。あぁ、なんて美味いんだろう。

「あら、尾崎。見てちょうだい」

 彼岸は眼鏡をかけて、灰色の紙を眺めている。弥勒亭でもらってきた「新聞」だ。

「なんだ?」

「ほら」

 彼岸は新聞を折りたたんで俺の方に寄越す。そこには笑顔ででかい器を掲げる少女の写真が写っていた。


<陽村葵 全米テニス初制覇 高校生として初の快挙達成>


 葵が夢の一つを叶えたという知らせだった。葵は笑顔で大きな器を掲げている。彼女がこうして前に進めたのも俺たちのお陰様、なんだよな。

 そう考えると誇らしくなる。俺は、椿が始めたこの彼岸堂を守ることができているんだろう。死の相談の最も正しい形で、人の心を救う仕事だ。


「今度、うまいもん奢らせようぜ」

「もう、尾崎は現金ねぇ」

「悪いかよ」

「悪くない」


 さ、これを食い終わったら薪を拾いに行こう。そんでもって風呂と竈門の灰をかきだして……。

 そうだ、ヤマメでも取りに行くか。椿にも供えてやろう。あいつはきっと喜んでくれるはずだ。

「隠し事がなくなると気持ちよく働けるでしょう?」

「うるせ、俺は手伝ってやってるだけ!」

「はいはい」

 彼岸はいつもの薄ら笑いを浮かべた。俺の好きな笑顔だ。どこか、俺の大好きな女の面影があって、でも少し幼くて。守ってやりたいと思った。ま、俺様の気分次第だけどな。



「明日はお客様が来るわ。準備をしてね」

「あいよ」

「尾崎、おいで」

 ぶっきらぼうに答える。でも、嬉しかった。また44日、彼岸と一緒にここにいらえるのだ。美味い飯も楽しい話も暖かい布団もある。

 しかし……

「よーしよし、よーしよし」

 彼岸は「もふもふタイム」と名付けて狐姿の俺をぎゅうぎゅうと抱きしめやがるのだ。俺の額の匂いを嗅いでみたり、腹や尻尾をふわふわと触ってみたり掴んでみたり。「もふもふ」なんて意味のわからん言葉を発しながら、長いと小一時間やる。我慢してやっているが、これだけはどうしても慣れん。

 俺は人間にへーこらするイヌッコロや猫野郎とは違うんだぞ。

 彼岸は俺の顎の下を撫でながら幸せそうな顔をする。あぁ、だめだ。だめだ、顎の下は気持ちがいいんだ。あぁ……そこそこ、もっと右側。できれば耳の後ろもコリコリしてほしい。

「きゅう、きゅう」

 思わず声が漏れてしまう。人間になでられるのはなんて心地がいいんだ。こっそり彼岸の顔を眺める。彼岸も目を閉じて恍惚な表情をしている。あぁ、幸せとはまさにこのことか。腹一杯に油揚げを食べて、それからこうして……。

「そうそう、尾崎」

「なんだよ」

 彼岸は撫でていた手を止めて何かを思い出したように話し出した。

「あのね、尾崎。実はあなた狐だってこと、私あの夜から知っていたのよ」

「は?」

「だって、あなた。私と初めて会った時、お耳と尻尾が出ていたんですもの」

 彼岸はコロコロと笑うと再び俺を撫で始めた。俺は小っ恥ずかしくて何も言い返せなかった。俺の気持ちを見透かしたように優しく笑った。


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