氷塊の舞踏痕


彼女と別れたあと、私はダンジョンの更なる奥深くを目指して歩いていた。 壁や天井には緑色の光を放つ苔のようなものが生えており、つま先を何かにぶつける心配をする必要がない快適な場所だった。


道端に転がっている石ころを、こーんと蹴っ飛ばす。


それはカラカラと音を立てながら、地面に空いた穴の中へと吸い込まれえ姿を消した。


「……つまらない」


追従するように呟く。


今の私は実に退屈していた。 せっかく得た話し相手を失ったショックは思いのほか大きく、手放したあとで何度も何度も後悔をしたものだ。


一時は地上に出ようかなどと考えていた、しかしどうせそこは、モンスターを憎む人間で溢れかえっていることだろうし、私なんかはすぐに狩り殺されてしまうに違いない。


退屈は嫌いだが死ぬのはもっとゴメンだ、せっかく授かった命なんだ、みすみす散らすような真似はしたくはない。


「かといって、胸に抱いた憧れを消せる訳でもなし」


私の中にある思いは、時間経過と共に存在感を増している。 徐々に徐々に、内側から私の心を蝕んで冒していく、きっとそのうち抗えなくなるだろう。


そうなったらおしまいだ


私はノコノコ敵地へと躍り出て、まだ見た事のない人間の世界に打ちのめされ、焼き落とされ、無惨な最後を遂げるのだろう。


待ち受けるのは残酷な未来、私は誰かとお話をしたいだけなのに、そう丁度あの女剣士としたような、お互いの立場を承知で行う意思疎通のようなモノ。


それが叶わない願いであることは分かっている、これまで出会ってきた人間は皆憎悪を湛えていた、とても話し合いが通用するような相手ではなかった。


つまりアレは奇跡だ、またと起こらない偶然だ、この眩い期待は早めに消しておかなければ、きっと命取りになる。


地上への興味とは裏腹に、私の足は下へ下へと向かっている。 まるで強すぎる光から目をそらすかのように、閃光によって焼き付いた強烈なイメージ、それを振り払うのは至難の業だ。


消えることはないのだろう、私が私である限りは。


ダンジョンの奥へ奥へ、ひよっとしたらそこに、地上を凌ぐ面白きものが潜んでいるやもしれない、ひょっとしたら何か、そう何かと出会えるかもしれない。


盲信にも似たそれは、必死に自分を誤魔化そうともがいている事の表れであり、傍からすれば見苦しく見えることこの上なかろう。


下へ下へ


坂道をかけ下りるような足取りで、私の進行は決して止まることは無い。 気温が下がり始め、吐く息がキラキラと輝く白い宝石の様になったとしても。


「つめたい」


ぺたぺたと足の裏が床を叩くたび、神経と神経の隙間を鋭い冷気が貫いて駆け巡る。 天井からは氷の柱が降りており、気が付けば足元は白く染まっていた。


柔らかく固く、どこまでも冷たいホワイトベール、なにか興味深い秘密でも内包してはいないものか?


細い通路を抜けた先は広々とした空間だった、目を凝らしても端っこが見えないほどの広大さ。 高低差が激しく、また障害物の多いこの場では、見たことの無い生物や鉱物、それから植物や建造物までもが見ることが出来た。


しかし


相変わらずダンジョン内の他の生き物は、私のことを避けて近寄ろうとはしない。 現状、他者との触れ合いに飢えている私にとっては少なからず追い討ちとなっていた。


「私が何をしたというんだ」


ボヤキが凍結して落下し、地面に当たって砕け散った。 欠片を拾い集めるのも億劫で、またそれを助けてくれる者も居なくて、私は何処までも孤独だった。


当たり前だったはずなんだ、それが、あの女と話したことで変わってしまった、私は自分以外の者が持つ言い表し難い温かさを知ってしまった。


つかの間の休息、うたかたの幻想、この心の傷をどう表していいものか悩みに悩み、今の私は成り立っている。


滝があった、てっぺんから先の方まで余すところなく凍てつき、巨大な氷塊と成り果てている崖下に続く滝が。 ここはもしかすると、以前からこの姿だった訳ではないのかもしれない。


きっと何者かの手によって変えられたのだ、そう例えば人間だったりに。


人間という存在が操る不思議な力のことを知っている私からすれば、「そうなのかもしれないな」と、納得出来てしまうくらいには説得力があった。


風が吹いた、振り積もった雪が舞い上がり、視界を覆い尽くす白霧と姿を変える。 前が見えない、風の悲鳴の声が大きくて音がよく聞こえない。


風はどういう訳か止むことがなかった、こんな地下の洞窟で風が吹くのか?という疑問が晴れぬまま、吹雪はどんどん勢いを増していった。


ビシビシと雪の粒が頬にあたる、まつ毛に白い絨毯が出来ている、寒さで体が震え出している、しかし不思議と苦痛ではなかった、案外不快ではない。


私は何度か躓きそうになりながら前へ進んだ。


前と言っても、何処へ向かっているか分かっているわけではないのだが。 ただ足の向く方角が私の進路だ、今は出来るだけ地上から遠ざかれればそれでいい。


サク、サク、サク


大地を踏みしめて先を急ぐ


サク、サク、サク、ガリッ


「いたっ……?」


突然、何かを踏みつけた感触があった


立ち止まって足の裏を調べてみると、なにか鋭い刃物で切りつけられたような傷がついていた。 純白の大地に赤点が染み渡り、それが少しづつ広がっていく。


その場にしゃがみこみ、辺りを手で探ってみた。


しばらくして、指先が何か金属のようなモノに触れたので、思い切ってそれを拾い上げてみた。


それは湾曲した刃を持つ、装飾などの施されていない背丈ほどの無骨な片刃の剣であった。


幾つもの傷が目立つ刀身には、これまで屠ってきたであろう生き物の血や脂が染み付いており、切っ先はまるで超高温で焼き切られたかのような欠け方をしていた。


元は美しい銀色だったのだろうが、今ではすっかり煤けて黒ずんでいる。きっと長い間ここに放置されていたのだろうが、それを差し引いてもよく使い込まれていると言えよう。


手のひらの中に伝わるズッシリとした重厚感、片手で振り回すには少し重たいだろうか。 武器としての機能はどうやら損なわれていないらしい、不思議と錆は何処にも見られなかった。


剣の持ち手にはヒモのようなモノが巻かれており、試しに握ってみると異様な安定感があった、例えどれだけ乱暴に振り回したとしても、手の中からすっぽ抜けてしまうことは無いだろう。


「ちょうど武器、欲しかった」


人間と戦うのに、素手というのがどれだけ無謀で危険な試みなのかは十分思い知らされている、例えばさっき戦った女の剣士、彼女の斬撃を武具なしで凌ぐのは間違いなく不可能であった。


途中で壊されてしまったとはいえ、何も持たぬ状態では私は殺されていたことだろう、だから何か使える武器を探していたところだったのだ。


「大きすぎる?」


ダンジョンの中は比較的狭い、そんな場所で振るうには少々不向きなような気もするが、贅沢は言っていられまい、あるのなら有難く使わせてもらおう。


肩に担いで立ち上がる、そして歩き出そうとしたところで、ふと視界の端に違和感を覚え、そちらを振り返ってみた。


するとそこには、天井に片腕を突き出した状態で、苦悶と恐怖の表情を浮かべながら絶命している男が倒れていた。


全身が凍りついており、肩には何かに噛みつかれたような痕があり、顔の半分が焼け落ち、左の脇腹は何かに抉られたような大穴が空いている。 喉笛が見事に掻き切られていて、両膝から骨が飛び出している。


壮絶な最後を思わせる彼は、多分この剣の元の所有者であるのだろう。 ダンジョンとは斯様に恐ろしいところであったのか。


これまで私が対峙してきたのは人間ばかりで、本来ここに住むという多数のモンスターとは一度も戦闘したことが無い。


それ故に彼らの脅威が分からずにいたのだが、なるほど、コレを見て少しは、人間がモンスターを憎む理由の一端が理解出来たような気がする。


吹雪の中に何が潜んでいるにしても、私が思っている以上にこの場所は危険なところらしい。


それからしばらく強風に煽られながら歩いたが、ある時私は地面に、何者かの足跡が残されているということに気が付き、それまでの順調な歩みが終わりを迎えた。


「辺りはこの吹雪だ、以前の物であれば当然消えてしまうはず、ということはまだ近くに誰かが……?」


その可能性に思い至った瞬間、私の中に実体のない嫌な気配が満ちて通り過ぎていった。 周りの音がヤケに鮮明に聞こえ始める、ありとあらゆる感覚器官が研ぎ澄まされ、ピンと張り詰めていく。


自分の呼吸音がうるさく感じる、心臓の高鳴りや手足に残る若干の痺れ、肌に突き刺さる冷気や暗澹とした不気味で背骨を握られたかのような


足跡は先へと続いている、一歩一歩大地を感じながらそれを追っていく、いったい何処に続いているのかが気になって仕方ない。


真っ白いカーテンに囲われたこの場が、まるで獲物を追い詰める籠のように見えてきた。 思えばこの吹雪、脈絡もなく突然吹き荒れたような気がする。


そうだ、少しタイミングが変だった、自然に発生したと言うよりはむしろ、かのような……。


足跡が途切れた。


あたかも初めから何も居なかったかのように、私が追い続けてきた導は綺麗さっぱり消え失せていたのだ。 これまで見てきた足跡も全て、何もかもッ!


「……っ!」


私は嫌なものを感じ取って、構えた剣を振り回そうとして、自分の喉から血に濡れた刃が飛び出してきたのを見ることとなった。


「ご……が……っ」


紅々とした血肉が溢れ落ちる、吹雪はすっかり嘘のように治まり、辺りは晴れ晴れと透き通っていた。


そして確かに聞いたのだ。


「今日は収穫の多い日だ」


残虐なる殺戮者の、浮き足立つような、その声を。


「お前の首は幾らになるだろうか?」

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