第29話
▽朝だぞ、ベルカ。
陽が昇るのと同時に、俺はベルカを起こす。限られた時間は有効に使いたい。俺の呼びかけに、ベルカはぱちりと目を覚ました。
そして開口一番、俺が予想していたとおりの提案を口にした。
「ユーリ。新聞に出てた殺人犯を食べるのはどう?」
▽……まあ、今のところ妥当だな。
「気が進まない?」
▽そういうワケじゃないが……
占い師を装い街の人間を観察して可害者を探す、なんていうまどろっこしい方法より、ずっと安上がりで確実なのは否定できない。
できないのだが……
▽ベルカは、例の殺人犯が憎いか?
「ううん」
俺の問い掛けに、ベルカは素直に首を横に振った。まあそうだよな……。新聞記事を読んだくらいで、殺意を抱けるほどの憎悪は手に入らない。
「でも、街の人たちは犯人を殺したがってたよ」
殺したがっていた。その言い方に、わずかな引っかかりを覚える。
▽街の人たちはそうかもしれないが、俺たちはただの部外者だ。
「じゃあ、街の人たちに聞いてみて、それでぼくが殺したいと思えたら、良い?」
▽……そうだな。お前がそう思えたのなら、それでいい。
街の人々が犯人に対して抱く憎悪を、ベルカが共有できればいい。
そうすれば、殺人犯を喰い殺す罪悪感を薄めることができるだろうと、そう考えていた。
まず俺たちは街の図書館を訪れた。事件に関する過去の新聞記事を漁り、俺の中に情報を蓄積する。こういうとき、ネットのない地域は面倒だ。
その後、確定死刑囚となった男が収監されている拘置所へと足を向けた。ひょっとしたら、事件の関係者に会えるかもしれないと考えたからだ。
緩やかな坂道を、市街地の外れへと歩いて行く。畑や田んぼに囲まれて、高い塀で囲まれた堅牢な建物がそびえ立っていた。
辺りに民家はなく、農閑期で田畑に人の姿はない。しかし、拘置所の門の前には人だかりができていた。一人が演台の上に立ち、何事か叫んでいる。
「我々は今、恐ろしい脅威にさらされています! 《大学》!! 母なる地球を荒廃させ、人造生命などという悪魔をこの世に生み出した、神を冒涜する邪悪な者たちです!
我々は常に、奴らからの攻撃にさらされているのです! 今回の事件も、その残虐さを見れば、奴らからの攻撃であることは火を見るより明らかであります!」
その言葉に集まった人たちが頷く。
「そうだ!」と声が上がる。演台の男はかたわらに置いた写真を指さす。十代半ばくらいの少女が写ったモノクロ写真だった。
「彼女は、単なる被害者ではありません! 《大学》による、明確なテロ行為の犠牲者なのです! この事実を我々は肝に銘じなければならない!」
写真は被害者の女学生らしい。男の演説と、白黒写真の中のあどけない少女の笑顔に、人々のボルテージが上がっていく。
「《大学》を許すな!」「穢れた思想を追放しろ!」と口々に叫ぶ。
犠牲者の写真は女学生のもの一つきりだった。同じ事件で亡くなった、犯人の家族の写真はどこにも見当たらない。
▽犯人の身内は「我々」には含まれないってか……。お、ベルカ。あの写真を見ろ。
「どうしたの?」
ベルカは写真を見つめて首を傾げる。そして、「あ、」と声を漏らした。
「昨日、占いに来た女の子と同じ服……」
写真の中で微笑む少女は、昨日公園で占いをした女学生と同じ制服を身につけていた。
俺の中に、今後の方針が浮かんだ。
保存していた新聞記事から、女学生の通っていた学校名を探し出す。
▽……あった。深松女学院。この辺じゃ名の知れた女学校だそうだ。
そのとき、集まっていた市民がにわかに色めきだった。誰かが「こっちへ来い」と叫び、人垣が割れる。
くたびれたツィードのコートに帽子を被った中年男性が、集まっていた人々の前に引き出された。
中年男性をその場に引っ張り出した男が、「今この場で謝罪しろ」と大声を上げる。そのセリフで、この中年男性が誰であるか、ほとんどの人間が理解したようだった。
目深に被った帽子で、中年男性の顔は口元しか見えなかった。
だが、俺の記憶にある殺人犯の写真と、中年男性の顔の作りがよく似ていることはすぐに判った。
犯人の父親は、目立つ特徴のある男ではなかった。
悪人じみた顔とか傲慢そうとか、そういう印象は一切なかった。どこにでもいそうな、それこそ今彼を取り囲んでいる人々の一人と取り替えても分からないような気さえする。
大勢に囲まれ、すくみ上がる父親に、再び「謝れ」と怒鳴り声が浴びせられる。
耳元で発せられた怒声に肩を跳ね上げた父親が、震えの混じる声で話し始めた。
「この度は私の息子が引き起こした恐ろしい事件で、皆様に多大なる不安とご迷惑をお掛けしましたこと、息子に代わりまして心から謝罪いたします。また、被害に遭われました方のご遺族におかれましては、心からお悔やみを申し上げます」
なんだこれ。冗談にしても笑えない。
父親が喋り終えると、堰を切ったように人々が怒声を上げる。
「そんな口先だけの謝罪で済むか! 女の子の家族にどう責任を取るつもりだ!?」
「そうだ! 遺族の気持ちを考えろ!」
「たったひとりの娘を殺されたんだぞ!」
「この人でなし!」
「それもこれも、お前があのクソ野郎に《大学》の本なんぞ渡したからだ!」
「お前のせいだ! お前が殺したのも同然だ!」
「謝れ、死んで詫びろ! お前もあのクソ野郎も死んだ方が世のためだ!」
「お前も同罪だ! さっさと刑場に行け!」
顔を隠すように目深に被っていた帽子を、歩み寄ってきた人が乱暴に引っ掴み地面に叩きつけた。
その瞬間、父親の顔が露わになった。
なんと言えば良いのだろう。
月並みな言い方をすれば、父親の顔は歪んでいた。
一言で説明できるようなものではなかった。
俺の感覚素子が読み取れてカテゴライズできる限りでは、困惑が一番大きい。次いで恐怖、後悔、憎悪、悲しみ、どういうわけかほんの少しばかり安堵も混じっている。
父親は帽子を拾おうともせず、うつむき、踏みにじられる帽子をジッと見つめている。
そうしているうちに、拘置所の職員が現れた。棒きれのようになった父親の両脇を固めて、まるで連行するかのように拘置所内へと引きずっていく。
遠ざかる父親の顔から人間味が消えていくのが見えた。
表情自体は変わっていない。消えたのは変化だ。
目尻や額、口元に刻まれた皺が固着し、初めからその表情に作られたお面のように、諦念に青ざめた顔へと凍り付いていった。
父親が去っても興奮冷めやらない人々に向かって、演台の一人が大声で呼びかけた。
「皆さん! 冷血な犯人が引き起こした、このおぞましい事件を我々は忘れてはなりません。二度とこのような事件を起こしてはならない。犯人を許してはならない。そして何より、この恐怖に屈してはなりません! 我々の絆を、邪悪な《大学》思想に断ち切らせてはならない! 今こそ手を取り合い、子供たちの未来を守るため断固とした意志を示すときです。そうすることが、我々大人としての責任ではないでしょうか」
その言葉に、その場の誰もが頷く。「その通り!」と声を上げる者もいた。
演説はなおも続く。だが、これ以上ここにいても意味はないだろう。
▽ベルカ、まずは深松女学院に行こう。
「わかった。でも、どうやって?」
▽制服を拝借する。
「……盗むの?」
▽借りるのさ。
「それで、制服を着てどうするの? 学校の中で聞き込み?」
▽いや、殺された女学生の家に乗り込んで、話を聞いてみよう。被害者の友人だと名乗って、線香を上げたいとでも言えばいい。そのためには制服姿が一番だ。ちょうどいいことに──
「ちょうどいいことに?」
▽制服に帽子がある。
深松女学院に向かう道すがら、俺は先ほど目にした出来事を思い返していた。
「みんな、怒ってたね」
▽そうだな……なあベルカ、
「なに?」
——あれを見て、お前はどう思った?
▽……いや、なんでもない。そこを右だ。
口にしかけた言葉を、俺はすり替える。
ベルカが疑いを持っていないのなら、その方がいいのだ。
彼らの憎悪に便乗することで、ベルカを苦しめる罪悪感が少しでも薄れるなら、それでいいじゃないか。
もやもやと滞留する思考を、俺は噛み砕かずに飲み込んだ。
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