第20話

「ベルカ、大丈夫?」


 聞き覚えのある声が、粉塵の向こうから聞こえた。


「……るぅ?」


 舌っ足らずな声で、ベルカが呟く。


「ああやっぱりベルカだ。ちょっと待ってねいま動けるようにするから」


 視界を塞ぐ埃の中から、にゅっと腕が伸びてベルカの頭、俺の二対の耳の間にぺたりと触れる。

 次の瞬間、俺の視界を埋め尽くしていたエラーメッセージと警告が消えた。


 ベルカが起き上がる。ポカンとした顔で、手をぐっぱぐっぱと握る。


「これ、ルゥが治したの?」

「ごめんねー助けに来るのが遅くなっちゃって」


 壁の穴と、ガラスの割れた窓から吹き込む風で室内の埃が吹き飛ばされる。

 俺たちの前に座り込んでいたのは間違いなく、ビル管理人の女、ルゥだった。


「ベルカにかけられてた拘束信号バインドパルスは解除したから。どう、立てる?」


 ゆっくりとベルカが立ち上がると、ルゥがぎゅっと抱きついてくる。


「あぁ良かった!」

「あの、えっと、ルゥ……どうして? それにその腕……」

「あ、ごめん。怖がらせちゃった?」


 パッと抱擁を解き、ルゥが右腕を捻る。

 華開いていた腕が、バシャッ! と元通りの人間の腕に戻る。


「実は……ベルカたちのやり取りをずっと聞いてたんだ」


 聞いてた? どうやって? コイツ、一体……


「どういうこと、ルゥ……?」


 訳が分からず目を瞬かせるベルカに、ルゥは突然頭を下げた。


「ごめんなさいベルカ! あたし、ずっとベルカのこと盗聴してた」

「えっ?」

 ▽なにっ?

「昨日、ベルカをウチのビルに匿ったときに、こっそり「虫」を付けたの」


 明かりの消えた室内で、ベルカを抱き寄せたルゥの手が俺に触れたときのことがフラッシュバックする。

 あのとき感じた静電気のようなもの、まさかあれが……


「ど、どうして?」


 ベルカの問い掛けに、ルゥは視線を下げる。


「職務上、仕方がなくて……。それに、ベルカはその、ちょっと特殊だったから……」


 手で耳の形を作って、ルゥは申し訳なさそうに続けた。

 俺は力が抜ける気分がした。

 ルゥは、ベルカの耳がただの飾りなんかじゃないことをとっくに見抜いていた。本物の人造妖精だと、気づいていたんだ。


「話しているうちに、ベルカは脅威にならない、この子は安全だってことは分かった。ほんとうなら、そこで「虫」は消すべきだったんだけど……」


 ルゥが視線を落として、気まずそうに言う。


「その、興味が出たというか、二人の関係が、気になっちゃって……」


 「二人の関係」と、確かにルゥは言った。


 ▽気づいてたのか?


 指をもじもじと絡ませながら、ルゥは再び頭を下げた。


「ええ。ごめんなさい、ユーリ。あなたの声も、ずっと拾ってたわ」


 当たり前のことのように、ルゥは俺の「声」に答えた。


「だから、ここでのやり取りも全部把握できた。おかげで、突入するタイミングを間違えずに済んだ」

 ▽でも、どうやって……あんた、一体何者なんだよ。


 俺の問い掛けに、ルゥは難しい顔になった。「どこから説明するべきかなぁ……」と腕組みしている。


 そのとき、壁際でくたばっていた大兄ダーシンが呻き声をあげた。


「ごめん、詳しい話は後で」


 ルゥはテキパキとチンピラどもを拘束して、壁に向かせて座らせた。


「人身売買および暴行の現行犯で、あなたたちを逮捕します」


 土埃まみれの大兄ダーシンが、唾を吐き捨てる。


「デカい穴空けやがって。弁償してくれるんだろうな」

「それは裁判で決めましょ。法廷で会うのを楽しみにしてるわ」


 ビルの足元から、自警団のサイレンが聞こえる。ほどなく、階下から自警団の隊員が近づいてくる足音が聞こえた。


 ▽ベルカ、今のウチに逃げよう。

「そうね。彼らには上手いこと言っといてあげるから」


 ルゥも頷くが、ベルカは壁の大穴ではなく大兄ダーシンに向かって歩み寄った。


「荷物を返して」

「あぁ?」


 ベルカが大兄ダーシンの首を掴んで、そのまま強引に振り向かせる。

 ベルカの姿からは想像できない力に、大兄がギョッと目を剥く。


「お願い、荷物の場所を教えて」


 ゆっくりとベルカが問いかける。ギチギチと妙な音が響いて、チンピラたちが恐る恐る視線を上げる。その顔が一気に恐怖に染まった。


 大兄ダーシンの首を締め上げるベルカの手が、変形している。

 白くてほっそりとした少女の腕の、肘から先が歪に巨大化して、黒い獣の毛皮が覆っている。

 華奢な指は形を失い、禍々しさを放つ、一本がサバイバルナイフくらいはある爪が生えそろう。


「ひっ……」


 ベルカが腕一本で、自分より体格の大きな大兄ダーシンを持ち上げる。

 ジタバタと手足を振り回すが、ベルカの腕から逃れることはできない。

 チンピラどもが悲鳴を上げて、手足を縛られたまま芋虫のように這いつくばって逃げようとする。


「はやく教えて。それともぼくに喰い殺されたいの?」

「や、やめっ……わかった、わかった話す、教えるから」


 ベルカが大兄ダーシンを手放す。ベシャッと床に転がった大兄が、咳き込む。そして、ようやく聞き取れるくらいの声で言った。


「す、すてた」

「……え?」

「倉庫の荷物なんざ全部捨てた! あんなもん、取っておくワケないだろうが! 化け物の荷物だって分かってりゃ、俺だって大切に取っておいただろうよクソッタレ!」 

「そんな……だって、買い戻したって、さっき」

「嘘に決まってんだろうが! どこまでおめでたいんだチクショウ……!」


 スッと、ベルカの体温が下がる。

 マズい、こんな所でベルカが「食事」をしたら、いくら喰い殺した相手が腐れ外道だったとして、緩衝地帯は俺たちを脅威認定するに決まってる。


 ▽よせベルカ!

「どこに捨てたんですか!?」


 最悪の事態を止めようとした俺の声を遮って、ベルカが大兄ダーシンに詰め寄った。

 異形と化していた右腕は、すでに少女のものに戻っていた。


 ベルカから顔を引きながら、大兄ダーシンが言う。


「街の最終処理場だ。もう粉砕されて埋め立てられてるに決まってる」


「ユーリ、道案内して!」


 立ち上がったベルカは鋭く叫ぶと、大兄ダーシンを放り出して壁の大穴から外へ飛び出した。

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