第20話 聖王女ステラと領主カリラス男爵

 俺たちは宿場町での宿泊や野営を重ねて、ついに目的地の領内に入った。

 馬車が静かな森を抜けて、大きな湖のそばを通る。


 おお! ここが例の湖かっ! 魚料理の湖かっ!


 太陽の光を反射してまばゆい湖面を放つ、綺麗な湖……


 とは程遠い、どす黒く濁っている湖面が延々と広がっている。

 そしてこの何とも言えない匂いが、馬車の中にまで漂ってきて思わず鼻をつまんでしまう。


「う……」


「ふわぁああ……しょ、ショウゴ~臭いよう~」


 隣に座るミーナは、すでに半泣き状態になっている。向かいの侍女さんも手で鼻を覆っていた。

 おれは、持っていたハンカチをマスク代わりにして、ミーナにまいてやる。まあ無いよりはマシだろう。


「うぅう……ありがとう、ショウゴ。あたし、人一番鼻が利くから~グスン」


 しかし、よく泣く女神だな。ステラを見てみろ、涙の一粒も出ていないじゃないか。

 いや……まてよ。よくよく考えてみるとステラが泣いているのを見たことがないな。やはり「聖王女の涙」という魔王討伐の必須アイテムが関係しているのだろうか。まあ王女がそうそう人前では泣かないのかもしれんが。


 やがて馬車は湖畔にある街に入る。メインストリートは、魚料理の店やその他の店が軒を並べているが、もうすぐ昼時だと言うのにそのほとんどが開店していない。

 やはり、湖の汚染が商売や流通にも影響を及ばしているようだ。


「むぅう、これは酷いな……」

「ええ……アコデル湖の汚染は、想像以上の事態のようです」

「しかし、さっき見たバカでかい湖すべてを浄化できるのか? ステラ?」

「どうでしょう…私の浄化魔法が有効だといいのですが。ここまで大きな対象物に使用したことはありませんから。とにかく領民の方々のためにも全力を尽くします」


 う~む、是非とも成功を祈りたいところだ。綺麗になれば、魚も戻ってくるだろうし。そうなれば例の魚料理にありつけるかもしれない。ゴクリ……俺は不謹慎ながらも生唾を飲み込んだ。


「ふふ、ショウゴさまったら。こんな時でも食欲なんですね」


 俺の考えていることはお見通しですよ、とばかりに小さく微笑みを見せたステラ。

 だが、その微笑みはすぐに真剣な顔に変わる。


「とにかく、領主カリラス男爵の館に行って状況を確認しましょう」




 ◇◇◇




「ステラ王女殿下、お久しゅうございます。我が屋敷までお越しいただき、ありがとうございます。」


 領主の館に到着すると領主と思われる男が現れ、ステラに頭を下げる。彼がカリラス男爵のようだ。

 男爵は少し白髪混じりの頭髪に髭を生やしており、さも武人と言うようなゴツイ体格だ。しかしステラに掛ける声質からは、どことなく温かみと優しさを感じる。ステラが馬車にて話していた「温厚で物静かな方」と言っていたが、そんな雰囲気がにじみ出ている。


 ステラも男爵に言葉を返して少し微笑んだが、すぐに男爵の異変に気づいて声を漏らした。


「だ、男爵……その腕」


 そう、男爵の左腕は肩から下が無かった。


「ああ……これは先般の魔王軍との戦いでヘマをしましてな。な~に片腕が残っておれば剣も振れますし、魔法も問題なく使えますでな」


 魔王はその勢力を少しずつ広げており、数カ月前に複数国連合と魔王軍との大規模な戦闘が行われたらしい。なんとか進行を防ぐことはできたものの甚大な被害が出た。

 男爵も出陣した際に、手傷を負ったということだった。


「さあ、わしのことは気になされるな。それよりも長旅でお疲れのことでしょう。まずはお部屋にて休まれるがよろしい」

「カリラス男爵お気遣い感謝致します。ですが、道中只ならぬ異変を目にしております。早速ですが、お話を聞かせてください」


 ステラの提案に男爵は静かに頷き、俺たちは館の一室に案内されるのであった。


「汚染の直接的な原因はわからないが、湖から瘴気が出るようになったということですね」

「はい、ステラ様。瘴気により湖に船を出すことができません。漁業や各地からの物資運搬がままならないのです。さらに最近では土地にまで影響が出始めており、農作物や住民の住居にも被害が出始めております」


 瘴気とはこの異世界特有の有害物質だ。長期的に瘴気にさらされると、人体や精神に異常をきたすリスクが高まるものなんだそうだ。

 たしかにそんなものが湧きだしているなら、漁業や河川を利用した流通はストップしてしまうだろう。


「現状、陸路輸送と館の備蓄によりなんとか民の食料は確保できていますが、長くは持ちません。どうかステラ様のお力をお貸しください。あの美しい湖を取り戻したい」


 男爵の顔が悲し気に曇る。現状の湖に対する危機感と悲しみがにじみ出ていた。


「はい、カリラス男爵。私はできる限りのことをするつもりです。私たちは早速現地に向かいます」

「おお、なんと心強いお言葉。王女殿下の深い慈愛の心に領民を代表して感謝致します。では私も参りましょう」

「それには及びません。あなたには仕事があるでしょう? 湖なら私も幼少の頃に何度も行きましたから」

「し、しかし……瘴気ですぞ。何か不測の事態が起こった時に……」

「ふふ、私には優秀な護衛騎士たちがいますから。ご安心ください」


 ステラが後ろに控える俺たちの方を向いて、ニッコリと微笑んだ。


「なるほど、君たちが王女殿下の盾である護衛騎士か。うむ……」


 男爵が護衛騎士団の面々を見渡していき、俺のところで目が止まった。

 まあ、女性騎士の中に1人だけ男だからな。男爵の視線が俺に一点集中する。


「彼は私の危機を救ってくれたショウゴです。とても優秀な護衛騎士ですよ」

「ほう……君が王女殿下を救った英雄殿か……」


 男爵にも、俺がステラを助けた話は届いているらしい。彼は俺に前に来て、頭のてっぺんから足元までゆっくりと見ると一言呟いた。


「不思議な力を感じる男だ……ショウゴ殿、王女殿下を救ってくれたこと礼を言う! 此度の件もよろしく頼むぞ!」


 男爵はそう言い放つと、再びステラの元へ戻る。


「ふふ、良き盾をお持ちのようですな」

「はい! みなさんが私を守ってくれます。なので男爵は、物資の分配など領地の指揮に集中してくださいね」


 ステラが小さな手をキュッと握りしめて、胸をはった。その綺麗な目には強い意思がともっているようにみえた。


「おお……なんとご立派になられたことか。見違えりましたな」

「まあ、男爵。いつまでも小さいステラではありませんよ。アコデル湖は私にとっても思い出深い湖です。かつての輝きを取り戻せるよう最善を尽くしますね」


 ステラは幼少の頃は、この湖に良く来ていたらしい。男爵との会話からも親しみ具合が良く伝わってくる。男爵にとってステラは可愛い孫のようなものなのかもしれないな。


「あい分かり申した。ではステラ様のご厚意に甘えるとしよう。アコデル湖の件はお任せする」


 そう言うと、男爵は一礼して踵を返し部屋を出ていった。


 男爵を見送ったステラが、こちらを振り向いて両手をパンっと叩く。


「さあ、みなさん! お仕事の時間ですよ! 頑張りましょう!」

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