天使の密猟

青時雨

天使の密猟

 私は天使だ。

 比喩とかじゃなく、本物の。

 それは珍しいことじゃない。この世界には人間の他に私みたいな生き物も暮らしている。

 それは人間にも周知されているから、天使じゃない生き物にとっては生きやすい世界なのかもしれない。

人権だってあるし、戸籍もある。人間と一緒の学校に行ってもいじめられないし、自分の存在を明かしても個性として認めてくれる。

 だけど天使はそうはいかなかった。

 人が牛や豚を食べるように、天使じゃない生き物は天使を食べる。

 食べなくても死なないけど、誰だってたまには高給のお肉を食べたくなったりするもの。

 天使を食用にすることを反対する生き物もいた。だけどそれは、全部建前上のもの。実際に天使を目の前にしたら、捕まえて、そのまま自分たちの餌にしてる。

 だから私たち天使は正体を隠して生きている。

 幸いにも天使には耳も尻尾もない。牙もなければふわふわの毛皮もない。羽があること以外、見た目はほぼ人間なのだ。

 天使の輪っかはご先祖様の時代にはあったみたいだけど、今では自分たちの身を守るために羽を隠せるように天使は進化している。

 どんな工夫をしても天使の数は日々減少している。今日だって、朝のテレビで天使の死亡者数が増加傾向だって言っていた。



「お母さん、行ってきます」


「行ってらっしゃい。気をつけるのよ」



どんなに恐ろしくても、生活しないと生きて行けない。私は今高校生で、人間として生きている。

 一度天使だとバレてしまったらそこで終わり。学校を変えても家を引っ越しても、天使の肉を食らう者が私を探し当てるだろう。

 天使の肉はそれほどまでに美味で、中毒性があるらしい。

 今日までなんとか家族全員天使だとバレずに生きて来られた。私は天使じゃなくて人間なんだと自分にさえ思い込ませることで、天使だとは気づかれていないのかもしれない。



「おはようミナハ」


「ニシンテ、今日もかわいいね」


「えへへ、ありがとう」



彼女はニシンテ。正真正銘人間の女の子で、私の親友だ。幼稚園からずっと学校が一緒で、ずっと仲良し。

 彼女を人間だと言い切れるのには理由がある。

 小さい頃公園で遊んでいた時に、彼女が遊具から転落して大怪我をしたことがあった。その時に輸血が必要になって、お医者さんが彼女には人間の血が必要だって言っていたのを今でも覚えてる。

 だから安心してニシンテとは一緒にいられる。

 天使以外の生き物も人間に化けることができるから、人付き合いには細心の注意を払わないといけなかった。「天使だ」なんて言っていなくても、私と長く一緒にいれば天使かもしれないと勘づかれてしまう可能性は拭えない。誰にだって知らず知らずに染みついた癖というものがあるから。

 こうしてずっと友達でいられる子がいるだけで、私は天使の中でも恵まれてる方だと思う。

 最近天使は十歳まで生きられないと聞く。子どもの頃は他人を信用してしまいがちで、そのせいで騙され沢山の天使が命を落としてしまっている。家族の誰か一人でも天使だとバレたら、その時点で遅かれ早かれ家族みんなの死が確定してしまう。

 私の一個違いの弟が幼い頃は毎日不眠がちだったけど、弟が高校生になってからは少し不安が和らいだ。



「来年大学受験だね」



朝の通学路でニシンテは呟いた。



「さすがにおんなじとこって訳にはいかないもんね」


「ニシンテはもうやりたいこと決まってるの?」


「うん、大学じゃなくて私は専門。ほら、人間だけが採用される天使保護団体ってあるでしょ?。そのボランティアをしてる人間限定の専門学校があってね、そこに入りたいなって思って。今猛勉強中なんだ~」



彼女は私が天使だと言うことを知らない。それでも小さい頃から、天使に対する残虐行為に心を痛めていた。

 お父さんは天使の保護に力を入れている議員。お母さんは天使保護団体の会長を務めている。そんな両親を持つ彼女が天使を守る活動がしたいと思うことは、必然的なことなのかもしれない。

 将来お母さんと同じ天使保護団体に所属するために、それに有利な学校を目指しているらしい。

 天使を守れるのは、天使を食用として見ることがない人間だけだから。



「私はまだ決まってないし、勉強もしてない。まずいよね、これ」



冗談めかして笑って見せると、頬を膨らませた彼女が道行くクラスメイトに手を振りながら忠告してくる。



「まだ高二だからって油断しない方がいいよ?」



高校までは人間の多い学校を選んでこれた。だけど大学や専門学校となるとそうもいかなくなってくる。

 天使以外の生き物があまりいない大学なんてないし、天使が多いと巷で噂されている所に入ったら怪しまれるし危険だ。それに数少ない人間限定の学校には、天使は入学することが出来ない。

 天使にとってこの時期の受験は苦労すると両親から聞いていて、実際進路を決めかねていた。



「その専門学校ね、天使の保護経験があると入学が有利になるらしいんだよね。まあ当然だよね、実績ってマジ強なんだわ」



ニシンテの話を聞きながら、自分の将来のことを考える。

だけど天使である限り常に死がチラついて、先のことを考えると上手く想像できないし、決まって胸が苦しくなった。

 高三に控えてる受験だけじゃない。この先就職や、誰かとのお付き合い、結婚も、子どもを産むのも、生きて行くのだってリスクが伴う。

 それもこれも全部、私が天使として生まれてきてしまったから。




○○○




 その夜、夕食時に父親から聞かされた内容に家族全員大歓喜した。

 天使を守るため完全に隔離された地域が完成したというのは、夕方テレビを見ていて知っていた。

 そこに用いるセキュリティーについて何年も議論されていたけれど、去年法が通って、やっと完成したらしかった。

 天使と、血液検査で人間と承認された者のみが入れるその地域のセキュリティーは、対象生物以外の生物がその地域へ侵入しようとすると血液に反応して、その場で動けなくなるというものらしい。

 まだ実験的に作られた地域だから、とても小規模だった。天使全員が住むのは不可能で、まだこの地域に住めない者もいる。

 住める確率を何か別のことで例えるなら、それは好きな有名人を生涯街中で見かけることが出来るか否かくらいのもの。

 だからそのニュースを見ていた私も弟も期待していおらず、どこか他人事のように思っていた。

 だけど…



「抽選当たっちゃったんだ父さん」



 さっそく私たちは明日の夜、その地域へと引っ越すことになった。法で承認された天使保護団体の協力の元それは内密に行われる。

 その地域に到着するまでの間に襲撃されたら元も子もないからだ。



「ミナハ、キラビミウ。…わかってると思うけど、友達には遠くに引っ越すと言ってお別れするのよ。辛いかもしれないけど、仕方ないことなの」



母親の言葉に、ふとニシンテのことが頭を過る。

 これから移り住むことになった地域とここは、新幹線を使わないと行き来出来ない距離になる。もう今みたいに、毎日は会えなくなる。

 寂しい気持ちになりながらも、家族と自分の安全のために別れの言葉を考えた。

 それに、ニシンテは人間だからその地域には入れる。長い休みの時にはこれまでと同じように会えるんだから、そんなに落ち込む必要はないよね。

 それに将来彼女が天使保護団体に所属することが出来たら、主な勤務地となるその地域の近くに引っ越して来るかもしれない。

 寂しい気持ちと希望に溢れ逸る気持ちが混ざった不思議な心持ちで、ミナハは眠りについた。




○○○




 翌日の放課後、私はニシンテに例のことを話そうと同じ教室である彼女の席へと向かった。

 いつもなら制服の彼女は、珍しく学校指定の青いジャージ姿だった。



「ねえ聞いてよミナハ。近くに森林公園あるじゃん?、あそこで天使の目情があったんだって」


「え…それって」



(残念だけど、もしその目撃情報が本当ならその子はもう死んでるかもしれないな)

一高校生のニシンテの耳にまでもう入っている情報だ。きっと天使の肉を欲しがっている者にはとっくに伝わってしまっているはず。



「私今から助けに行こうと思って」



胸の前で両手ガッツポーズをするニシンテに、その様子を見ていたクラスメイトが苦笑しながら声をかけた。



「あはは、なあイナガメさん。それって助けたいって気持ちが八割、受験有利になるかもーって気持ちが二割じゃねえの?」


「そうそう、ニシンテちゃんってそういうとこあるから」


「助けたいって気持ちが十割に決まってんでしょっ…ごめん嘘、その通りでございます」



 帰り道、二人きりで帰路を辿る。

 話を切り出そうにも、彼女は天使をレスキューすることで頭がいっぱいといった感じでどうも話しずらい。

 だけど今日の夜には私はこの土地を去る。

 今言わなきゃ。

 そう思ってもなかなか本題を話す勇気が湧かない。

(引っ越すって言ったらきっとニシンテは理由を知りたがるよね…でも天使だって明かすわけにもいかないし)

彼女は人間だから言ってもいいのだけれど、二人しかいないように見えるこの通学路で誰がどこから私たちの会話を聞いているかわからない。



「ニシンテ、それ一人で行くの?」



本題を切り出せなかった私は、ひとまず別の話題を振った。



「うん。なんで?」


「危ないよ。ニシンテが天使だと思われたら…実際天使と間違われた人間が被害に遭う事件あったし」


「じゃあミナハも来てよ」



話したいこともあったし、彼女一人で行かせるのは危ないと思ったけれど、天使の私が行くのはあまりに危険すぎる。だけど彼女をこのまま行かせるのも気が引けた。

 大人を呼ぼうかとあれこれ悩んでいるうちに、もう森の入り口に来ていた。



「じゃあしゅっぱーつ」


「まってニシンテ。私は一緒に行けない」


「どうして?」



足を止め、こちらを振り返る彼女。

 人目を気にして「こっち」と彼女の手を取る。少し森を進み、木々に囲まれた場所で彼女と向き合う。



「あのね、ニシンテ。私…」



勇気を出して引っ越すことを打ち明けよう。

 例え天使だと言うことを話せなくても、彼女ならきっと無理に事情を聞いたりしないはず。

 俯いていた顔を上げ、口を開きかけて息を呑んだ。

 ニシンテが目睫もくしょうかんに迫っていた。



「どうしてって、意地悪な質問だったよね。ミナハ、天使だもんね。そりゃあ怖いよね」



なぜ彼女は私が天使であることを知っているのだろう。

 混乱して言葉が出ない間も、彼女は饒舌に話し続けた。



「もしかして、例の地域に引っ越すの?」


「…うん」



小声で頷くと、ニシンテは私をそっと抱きしめた。



「そっか…」



その手には徐々に力がこもる。



「ふふ、痛いよニシンテ。会えなくなるわけじゃないからさ。毎日連絡だってするよ」


「行かせないよ?」



その声は恐ろしいほどに冴え切っていた。その低くニシンテのものとは思えない声に危機感を覚え、咄嗟に彼女を突き飛ばす。

 にんまりと笑う彼女の目は細く、弧を描いていた。口元は三日月型に歪んでいる。



「私がずうううううううっとミナハと一緒にいた理由、わかる?」


「…え?」



声も体も震えて、本能が逃げろと言っているのに恐怖心から身動きが取れない。



「ミナハを食べるためだよ」


「だ、だってニシンテは人間…」


「知らないって可哀想。例の法が賛成多数で通ったのは知ってる?。その賛成派ってほとんどが私と同じ種族なんだよ」


「でも昔公園で…」


「あーあれはね、血液変化っていう私の種族の持つ身体の機能を使って騙したの。どんな生き物の血にも変えられるんだ~。騙してごめんね」



…ということは。

私はあることに辻褄が合ってしまい、胃からせり上がってきたものを吐き出した。



「あれ、気づいちゃったみたいだね。天使の保護地域のセキュリティー、私たちには意味がないの。だって、私たちの種族は血液を人間とおんなじものに変化させることだってできるから」



法を通したのも、天使だけの保護地域が作られることを見過ごしたのも全部…



「最高のレストラン街が出来るって聞いて、昨日から楽しみで眠れなかったんだよね」



早く、早く家族に伝えなければ。

 伝えて、その施設の危険性を知ってもらえれば、私や私の家族は死んでしまっても、他の天使のことは守ることが出来る。



「どこに行くの?。もうどこにも行けないのに」



半笑いの声から逃れるように森を駆け抜けた。



「私ね、初めて会った時からミナハが天使だって気がついてたよ。私の一族はね、天使を見分ける方法を知ってたから。ミナハ、無意識に肩甲骨を触る癖があるでしょ?。あれ、天使が羽を隠してる証拠なんだよ。天使の誰も気がついてないのか、天使はみんな不用心にもその癖を直してない」



信じてたのに。

 涙が流れるのもお構いなしに、私は両手を振って必死に彼女から遠ざかろうと足を動かし走った。



「どうして今まで食べなかったか知りたい?。それはね、天使って全体数が少ないでしょ?。だからミナハや弟君が結婚して、子どもが生まれて家族が増えたらその分肉も増えるじゃん?。数人の差だけどやっぱり多い方がいいから、それを待ってたの」



怒りと恐怖に奥歯が震えて嚙み合わない。

 粉砕した歯の欠片が口の中でじゃりじゃりと嫌な音を立てる。



「でもこれ以上は待てない。だっておあずけしてた肉他のやつに取られたくないもん。例の天使保護地域に天使が入居したら、私たちの種族は一斉に食事にするつもりだったからね~。まさかミナハが抽選通ると思わなくってさ、ママからそのこと聞いて慌てちゃったよ」



走るのがもどかしくなり、両親に緊急時には出すことを許可されている翼を広げて飛ぶ。

 こっちの方が断然早くニシンテから距離を取れる。



「どーこいーくのっ」



脇目もふらず、ただ涙で滲む森の出口だけを見つめて走った。

 だけど、どんなに走っても走っても彼女の声はすぐ近くで聞こえる。

(地面を思い切り蹴って、上空に逃げよう。天使以外の生き物は空を飛べない)

そう思い立って、地面を思い切り蹴ったその時。足に信じられないほどの激痛が走った。

 地面に視線を落とすと、思わず悲鳴を上げた。

 


         …口。








口。口。口。口。口。口。口。口。口。口。


口。口。口。口。口。口。口。口。口。口。 


口。口。口。口。口。口。口。口。口。口。


口。口。口。口。口。口。口。口。口。口。


口。口。口。口。口。口。口。口。口。口。





 土と草、枝の転がっている地面には、直径が彼女の背丈ほどもある大きな口が大口を開けていた。

 その悍ましさと、喰い殺される恐怖に、咀嚼される足を必死に引き抜こうと試みる。

 自分の口から泣き声とも悲鳴ともつかない声が漏れているのが、耳にこびりついた。

 その間にもニシンテはどんどんこちらへ近づいてくる。



「ばいばい、ミナハ。家族もすぐ同じところに行くから、安心して。ほーら、そんな顔しないで」



頬に触れるニシンテの手に戦慄する。

彼女の口から覗く物を見て、叫び声をあげるかあげないかのところで私は意識を失った。




○○○




 赤いジャージを着たニシンテは、片手に対の翼を掴んでいた。その翼にも赤い雫が滴っている。



「羽はおいしくないもんね~」



汚れないよう離れた場所に置いておいたスクールバックからタオルと水の入った水筒を取り出し、口元や手を拭っていく。

 いつもの制服に着替えると、電話を掛けた。



「もしもし、ママ?。天使 保護みつりょう団体に事後処理お願いしてもいいかな?」



 一通り電話を終えたニシンテは、天使 保護みつりょう団体の職員が来るのを待った。

 近くに来ていたようで、職員が来るのは思ったよりも速かった。



「あなたがお電話をくれた方でしょうか」


「うん。はいこれ学生証」


「えーっとはい、さんで間違いありませんね。では後はこちらで片付けますので、お帰りになって結構ですよ」


「料金はその羽の持ち主の家族でいい?」


「ふふ、もう前払いしてもらいましたよ」

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