#1「冬にしか学校に来ない女子生徒」


 じめじめとした熱気の中、セミの大合唱が響き渡る七月の上旬。


 夏の日差しがベージュ色のカーテンの隙間を抜けて教室に差し込んでくる。


 頭上からは古いエアコンのけたたましい駆動音が鳴り続けていた。


 飛之珠ひのたま高校、二年一組。


 俺――和泉いずみ 暁斗あきとが所属する教室内は朝から賑やかな喧騒に包まれていた。


 その主な要因は、みんな大好き席替えである。


 そこかしこから机を引きずる音や仲の良い人と近くの席になって談笑する声、それを注意する先生の怒号が聞こえていた。


 みんなのテンションが上がるのも仕方のないことだろう。


 席替えとは、一見ただ教室での所定の位置を決めるだけかと思いきや、どの席になるか、誰の近くになるかで今後の学校生活が左右される一大イベントなのである。


 噂によれば、いわゆる当たりの席が好条件で取引されているのだとか、いないのだとか。


 まぁ、俺にはどうでもいいことだけど。


 普段よりも賑々しい教室の中、俺は梅雨の湿気が肌にまとわりつくのを感じながら黙々と、窓際から二列目の最後尾に自分の机を移動させた。


「……全然、冷房当たんないし」


 思わずため息を吐きながら、どかっと椅子に腰を下ろす。


 この席だと、エアコンがほぼ頭上にあるせいで直接風が当たらないのだ。


 これから真夏に差し掛かるというのに勘弁してほしい。


 まぁ、隣の席よりはマシかもしれないけれど。


 そう思いながら窓際の方に視線を移すと、ちょうど担任の女教師である森野もりの先生が一台の机を俺の隣――窓際の列の最後尾に運んできた。


 先生が机を運んできたということは、この机の持ち主は遅刻あるいは欠席しているのだろう。


 あーあ、可哀想に。つぎ学校に来たとき、冷房が当たりにくい上にカーテンの隙間から無遠慮に降り注ぐ直射日光に絶望することだろう。


 くじ引きで決まったとはいえ、自分で自分の運命を決められなかったことを哀れに思う。


 お隣さんを気の毒に思うあまり視線を落とした拍子、ふと机の脚に張られた氏名シールが目に留まった。


 ――雪城ゆきしろ 雪那せつな


 ん、そんな名前の人、このクラスにいたか?


 二年に進級し、このクラスになってから三か月あまりが経つが、いまだに聞きなじみのない名前だ。クラスメイトの名前くらいは大体把握しているつもりだったけど。


「雪城、か……いや、そういや――」


 そういえば、このクラスには四月の始業式から一度も学校に来ていない生徒が一人いたはずだ。おそらくはその人の席なのだろう。


 周囲の席替えが終わるまで暇を持て余し、ひとり思考に耽っていると、不意に前の席から声をかけられた。


「よっすー、いずみん。おんなじ班になったなぁー」


 声の方に振り向くと、恰幅のいい男子生徒がサムズアップしている。


 俺ははぁ……とため息を吐きながら眉間にしわを寄せた。


「おい、原田……。いい加減、変なあだ名で呼ぶのはやめてくれ」


 俺の名前――和泉 暁斗の『和泉』から『いずみん』になったらしいが、男同士で呼び合うには少々気色の悪い愛称である。


 俺はじとっとした湿り気のある目で前の男を睨み付けた。


 ふくよかな体格に赤ぶちの眼鏡がトレードマークのクラスのお調子者――原田はらだ 友幸ともゆき


 コイツとは高一の頃からの付き合いで、今でも頻繁につるむ友人の一人だ。


 ふと、原田が怪訝な面持ちでこっちを覗き込んでくる。


「どした、寝不足か?」

「ん、いや全然。むしろ寝すぎたくらいだな」


 少しばかり考え事をしていたせいかそう見えたらしい。


 俺が愛想よく答えると、唐突に原田がおどけたような顔をする。


「ははーん、さては……」

「なんだよ」


 眼鏡のレンズが怪しげに光る。


 原田のこめかみに眼鏡のテンプルが食い込んでいた。


「また、例のクリスマスに出会ったっつー女のことでも考えてたんじゃねぇの?」

「いや、まったく考えてなかったけど」

「まぁまぁ、今さら隠しなさんなって。四六時中その子の妄想ばっかしてるくせによぉ」

「おい、人を変態みたいに言うのはやめてくれ。まったく、失礼な奴だな……。他にもいろいろ考えてるっての」

「じゃあ例えばなんだよ?」

「……そりゃあ、あれだよ。世界平和とか?」

「やっぱり何も考えてなかった……」


 原田が呆れたように笑う。


 まぁ男子高校生なんて大体こんなもんだろ。


 小難しい思想とか哲学なんてものは持ち合わせていないはずだ。


 俺が軽く息を吐くと、原田が声をひそめて訊いてくる。


「それで、その彼女とは会えたのかよ?」

「……いや」


 頬杖をついて、首を横に振る。




 ――一年半ほど前。


 中学三年の時のクリスマスだった。


 俺は塾の冬期講習の帰り道に交通事故に遭った。


 そのとき、身を挺して助けてくれた女の人がいたのだ。


 月の光を浴びて白く透き通った髪、処女雪のように白い肌。


 顔ははっきりと覚えていないが、とにかくとんでもなく美人だった記憶が微かに残っている。


 俺はその人に直接会ってあの時の礼を言いたくて、高校に入ってから何度も探し回ったのだが結局いまだに会えていないままだ。


 あのとき、彼女の名前を聞く前に気を失ってしまった自分が恨めしい。


 そのせいで彼女を探す手がかりがひとつもないのだ。




 不意に、原田がぽんっと肩を叩いてくる。


「ま、早く会えるといいな。じゃないとずっと上の空だしな、さっきみたいに」

「だから、別にあの人のことを考えてたわけじゃないって」

「ふーん、じゃあ一体なにを見てたのさ?」


 訊かれて、俺は再び窓際の空席に視線を移した。


「隣の人、ずっと来てないみたいだからちょっと気になっただけだよ」


「あーね、っつー女子のことか」


「冬にしか来ない……なんで?」

「そんなの知らねぇよ。ただ、中等部の頃からずっと冬にしか学校に来ないんだとよ。病弱だって聞いたけど、毎年毎年冬にしか来ないって言うんだから妙だよなぁ」

「へぇ、冬にしか……」


 たしかに少し気になってきた。


 なにか、冬にしか学校に来れない理由があるということなのだろうか。


 しばし思考を巡らせていると、前の席に座る原田が俺の机に両肘をついて厳かな雰囲気をまとっていることに気付いた。いわゆるゲンドウポーズというやつだ。


「で、俺はなにか秘密があると踏んでるってわけ」

「秘密?」

「うむ、病弱な女の子には秘密が付きものだろ?」

「それはオタクの勝手な偏見だろ」


 アニメや漫画とかでは定番だけど……。


 原田は俺の声など聞こえていないように目を閉じて、たっぷりと間を取った後、重々しく口を開いた。


「……彼女、実はサンタクロースの娘なんだよ」

「は?」


 意味不明な回答に思わず頬が引きつってしまう。


 まったく、なにを言い出すのかと思えば……。


「だってよ、ほら。サンタさんって四月から十二月までクリスマスの準備で大忙しなんだぜ。そんでクリスマスが終われば冬の間はバケーションってわけだ。ふっ、完璧な推理……」


 どこがだよ……。的外れを通り越してもはや支離滅裂だ。


 お前はあれか、眠りの小五郎の起床時なのか? いや、元太でももっとマシな推理するぞ。


 俺はドン引きしながら元太――間違えた原田に冷たい視線を送った。


 まぁサンタクロースの一年間を綴った絵本だか童話だかがあった気もするが、子供じゃないんだから……。大体、娘はどこいったんだよ。


 自信満々だった原田だが、俺との間に齟齬が発生していることに気付いたのか、眼鏡をくいっと上げて付け加えた。


「つまりだ、サンタさんもかなりお歳を召しているし、ニュージェネレーションにバトンタッチってわけ」

「いや、どういうことだよ。横文字で誤魔化すな」

「え、えーっと、お年寄りのサンタさんの代わりに娘さんがクリスマスの準備で大忙しっていう……感じ、です。はい」


 あまりにも冷たい反応をしすぎたせいか、原田はすっかり自信を失ってまごまごしていた。


 メンタルが強いのか、弱いのかよくわからない。


 俺ははぁ……とため息を吐き出す。


 もうわざわざツッコむのも面倒だし、原田のツッコみ待ちみたいな顔もすげぇ腹立つ。


 トリッキーなボケやめてもらえるかな……?


 じとり、と原田を睨め付けて、俺は大きく肩を落とした。


「……真剣に聞いて損したわ」


 そのままぐったりと机に項垂れると、正面で原田が腹を抱えてケタケタと笑っている。


 コイツの情緒が分からない……。


「ま、そんなに気になるなら直接本人にでも聞いてみるんだな。冬しか来ねぇけど」


 すっかり調子を取り戻した原田がガハハッとご機嫌に笑う。


 答え合わせがされず、なんだかお預けをくらった気分だ。


 そうやって人の知的好奇心を煽るだけ煽って、一番大事なところで「知らんけど」と言ってくるのはコイツの悪い癖だと思う。


 まぁ、人をからかって面白がってるだけなんだろうけど。


 不満たらたらに前のデカい背中に視線を向けると、原田はパンパンの腹をさすりながらぐでーっとしていた。


「あぁー、笑ったら腹減ったぜー」

「いや、まだ一限目だぞ……」

「ちきしょー、こんなことならもう一膳おかわりしてくるんだった……」


 俺はギュルギュルと腹の虫を轟かせる友人を尻目に三度みたび隣の机を眺める。


 ――冬にしか学校に来ない、か。


 やはりその理由が気になって、一限目が終わるまでそのことばかり考えていた。

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