雪女は雪解けの夢を見る。

更科 転

#0「クリスマスの出会い」


 クリスマスに雪が降ると妙な特別感があるのはどうしてだろうか。


 しとしと降りしきる白雪、鼻先に広がる白い息。


 駅前には軽やかな音楽が鳴り響いていた。


 改札を出てすぐに見える噴水広場はイルミネーションに彩られ、大きなもみの木の周りにはカップルや家族連れがそこかしこに散見される。


 街はすっかりクリスマス一色だ。


 だがそんな特別な日だというのに俺はおしゃれな服で着飾るでもなく、中学指定の学生服にスクールバックを背負って足早に駅前を抜けて行く。


 高校受験に向けた塾の冬期講習の帰り道。


 普段から目障りなカップルどもが今日は一段と鬱陶しく思えて、俺は遠回りしてでもひと気のない道を選んで家路をたどった。


 しかしそれが運の尽きだったのである――。


 山沿いの道を歩いていると道路を挟んだ反対側の歩道に女性が歩いているのが見えた。


 他に人通りがないため、無意識に目を引かれたのだ。


 ここからだと少し距離があるため、はっきりと姿が見えるわけではないがシルエットだけでもすごく綺麗な人だとわかる。


 ついついその女性に見惚れていたときだった。


 ――ブウウウウウゥ。


 車のクラクションの音。


「えっ……?」


 突如猛スピードの大型トラックがガードレールを突き抜け、こっちの歩道に侵入してくる。


 ヘッドライトで目が眩み、気付いたときにはトラックが目前まで迫っていた。


 すでに身動きが取れなかった。


 やばい、ぶつかるッ……!


 ドンッ――と強い衝撃が全身を襲う。


 しかしそれは車に撥ねられた衝撃ではなく、誰かに突き飛ばされたような衝撃。


「いでッ……! え、ちょ――!?」


 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。


 気付けばさっきまで反対側の歩道にいた女性に馬乗りにされていたのだ。


 吐息が届く距離に女性の顔がある。


 雪のような白い肌に、深い青色の瞳。


 真っ白な髪の毛先が俺の頬をなぞり、フローラルのいい匂いが鼻腔をくすぐる。


 一瞬息が止まって俺は思わずぷいっと顔を逸らした。


 そのおかげで俺がさっきまで立っていた場所のありさまに気付く。


 トラックのフロントがぐちゃぐちゃに潰れ、完全に停止している。


 なにかにぶつかったような形跡があるが周囲のガードレールや建物などには一切ぶつかった跡はなかった。


 もしやと思って俺の上に跨っている女性に視線を戻すが目立った外傷はない。


 俺はほっと安堵して、女性に声をかけた。


「た、助けてくれたのか……?」


 女性は無表情のままなにも答えず、体を起こす。


 俺も慌てて起き上がった。


「そ、そういえばトラックの運転手は……って、あれ、誰もいない……?」


 潰れたトラックの運転席を覗き込むが、人の姿が見当たらない。


 フロントガラスが割れていたため、外に投げ出されたことも考慮して探したが結局運転手は見つからなかった。


 まるでトラックが無人で動いていたみたいだ……。


「まったく、どうなってんだ……?」


 目の前の状況に戸惑っていると、ふと白髪の女性が歩き出し、そのまま立ち去ろうとした。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 咄嗟に呼び止めると女性はぴたと足を止める。


 背中越しに俺の言葉を待っているようだった。


「あの、さっきは助けてくれてあり――」

「必要、ないわ」

「え?」

「……急いでいるから」


 そう言って歩き出してしまう。


 ゆっくりと離れていくその背中からはどこか哀愁が感じられて、俺は考えなしに彼女を追いかけた。


「ちょ――」


 だがその瞬間、ふっと全身の力が抜ける。


 視界がぐるぐると回って定まらず、俺は地面に転倒した。


 目を開ければ、世界が真っ赤に染まっている。


 ゾッとして顔に触れると、ぬるっとした生暖かい液体で手が赤くなった。


 それに気付いたと同時にピューと頭のてっぺんから血が噴き出した気がした。


 あれ、なんだこれ……?


 意識が波のように上下に揺れて途切れ途切れになる。


 どうやらさっきの衝撃で地面に頭をぶつけてしまったらしい。


 白い雪が真っ赤に染まっていく。冷たいはずの雪は熱を持っていた。


 これやばいかも……。もしかして俺、死ぬのか……?


 頭はやけに冷静だった。


 誰かが死ぬのを俯瞰で見ているような感覚だ。


「――大丈夫よ、安心して。あなたを絶対に死なせないから」


 凛とした声だった。


 だけど、そこには春の日差しを感じさせるような暖かさがある。


 ゆっくり目を開けると、ぼやける視界の中にさっき助けてくれた女性の姿があった。


 いつの間にか雪が止み、雲のから覗き込む満月が地上を照らす。


 すげぇ美人だな、この人……。


 しかも、可愛い上に優しいのかよ。


 まぁ、こんな綺麗な人の腕の中で死んでいくのも悪くないかもしれない。


 でもそうだな、思い残したことがあるとするならせめて名前だけでも聞いておけばよかった……。


 そんなことを思いながら、俺の意識はプツンと途絶えた――。

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