第3話 猿山の前〜エピローグ

 ● 猿山の前

 

 二匹はアジアゾウの飼育舎から立ち去った。まだ園内で行っていない場所もあるが、隅々まで探すような気分ではなくなっていた。

 

「僕がやってること、間違ってるのかな」

 

 ハグがつぶやいた。アジアゾウの言ったことが頭から離れない。人間は動物を殺すという。

 

 突然過去がフラッシュバックする。アフリカのサバンナで暮らしていた子供の頃の記憶だ。母親と一緒に二匹で暮らしていた。母親は突然いなくなった。どうして? 銃を持った人間の姿が浮かび上がる。もしかして、お母さんを殺したのは、人間?

 

 気がつくと、ハグは瞳から涙を流していた。

 

「おい、どうしたっていうんだよ」

 

 ポルカがハグの涙に気がついて声をかける。

 

「ごめん。突然、子供の頃のことを思い出して。お母さんが死んで、そのそばに銃を持った人間が立っていて、もしかしたらお母さんを殺したのは人間じゃないかって考えたら涙が出てきて……。今まで思ってもみなかったのに……」


「そ、そうか」


「その後、その人間に連れられて、動物園に来たんだ。だから人間が、親の代わりみたいに思ってたんだ」

 

「まあでも、お前は殺されなくてラッキーだったじゃん」

 

「……」

 

「そいつがお前の親を殺したところを見たわけじゃないんだろ。死んだ原因は別の可能性もあるじゃねえか。悪いやつならどうしてお前を助けて育ててくれるんだ? きっと勘違いだろ」 

 

 ハグは動物園に来てからのことを思い返していた。母親がいなくなって寂しかった自分を、優しく世話をしてくれたこと。美味しい食べ物を沢山くれたこと。体を洗ったり、歯を磨いたりしてくれたこと。動物園に来た人間の子どもたちのことも思い出した。プールから出て顔を出すと喜んでくれた。

 

「混乱してきちゃった。みんなは人間はこんなに悪いって言ってるのに、自分が見て感じてきたのは、優しくて温かい人達なんだ……」

 

 ハグは黙って考えた。数分間の時間が流れた。

 

「決めた。僕、やっぱり人間を探すのを続けるよ。人間を見つけて、本当に動物たちのことを好きなのかを、もう一度確かめるよ」


「そうは言っても、これ以上どこを探したらいいかねえ」

 

「あそこだよ」

 

 ハグは顔を上げて観覧車を見た。

 

「観覧車? あそこに人がいるってのか?」

 

「あそこにはいないけど、観覧車に登れば遠くまで見れるでしょ。アジアゾウの話だと、この動物園の外の遠くのほうで何かが起こったんだ。そこに人間の姿が見つかるかもしれないし。何かのヒントはあるかもしれないよ」

 

「お前にしちゃあいいアイディアだな。闇雲に探すよりよっぽどよさそうだ」

 

 ハグとポルカは新たな目的地に向けて、足を踏み出した。


 ●観覧車


 二人は観覧車までやってきた。観覧車は動きを止めている。動きを止めた観覧車が静かにそびえ立っていた。

 

「近くでみると大きいね」

 

 ハグが観覧車を見上げて言った。

 

「さっそく乗ろうぜ。これどうやって乗るんだ」

 

「どうやって乗るんだろう」

 

「わからないのか?」

 

「わからないよ。ポルカはわかるの?」

 

「わからないが」

 

「……」


 二匹は沈黙する。

 

 ポルカは止まっているゴンドラに体をぶつけてみる。ゴンドラはわずかにゆらゆらと揺れる。

 

「そもそも、どうやったら動くんだろう」

 

「観覧車に登って高いところから探すってのはいいアイディアだったのにな」

 

「ポルカ、観覧車の頂上まで飛んでいって見てきてよ」

 

「バカ言うな。おれは飛ぶのが苦手なんだよ」


 二匹があーでもないこーでもないと話して手をこまねいていると、二匹の背後に、二本の足で立つ何者かの影が現れた。

 

 ポルカが振り返る。そこに立っていたのは人……ではなく、一匹のニホンザルだった。

 

「お前たち、コイツに乗ってみたいのか」

 

 ポルカはうなずく。

 

「ちょっと待ってな。今動かしてやるから」

 

「え? 君がこれを動かせるの?」


「ああ。前から動かしてみたくて人間の様子を見たり、色々してたんだ。今日はなんでか知らないけど人間がいないみたいだし、いい機会だから動かして遊ぶことにした」

 

「君は……何者?」

 

「ただのニホンザルさ」


 ニホンザルは日本列島に生息する世界最北端に生息する猿としても猿だ。体長六十センチメートル、体重十五キログラムほどで、知能が高い。

 

「僕、人間を探して、戻ってくるようにお願いしてみるつもりなんだ。君は、人間が戻って来て嫌じゃない?」

 

「俺は人間のことは好きだよ。色々面白いものを持ってるし」

 

 ポルカは心の中にぶら下がった重荷が少し降りたように感じた。

 

「よかった。じゃあ頑張って探すね!」

 

 ポルカは明るい声で答えた。

 

「おう。がんばってこいよ」

 

 ニホンザルは飄々と受け答えた。


 ● 観覧車からの光景


 ハグとポルカの二匹はゆっくりとまわる観覧車のゴンドラに乗り込んだ。ハグの体重で、ゴンドラが揺れる。ゴンドラが昇っていく。ハグの目の前に、今までに目にしたことのない光景が広がる。


「みんながあんなに小さく見えるよ。あんなに大きかったアジアゾウででさえ、砂粒みたいに小さく見えるよ」

 

 ハグが下を見て言った。


「空を飛ぶ奴らはいつもこんな風景を見てるんだな」

 

 ポルカが言う。

 

 観覧車が頂上付近まで近づいた。


 動物園の外は人家が立ち並んでいた。しかし人の姿はない。

 

「動物園の外にも、人間はいないね」

 

 ハグが残念そうにつぶやいた。

 

「大きな川だ」


 ハグが動物園の南西に流れる川を見つけた。生まれ故郷の景色が脳裏に浮かんだ。川に沿って景色を見ていると、川の横に、人家とは違う人間の建物が並んでいる敷地が目に入った。そしてその敷地の一角から、黒い煙がもくもくと上がっていた。

 

「あれがアジアゾウの言っていたものだね」

 

「煙が立ってるな。ってことは火事か」


 火事と思われる現場には、何台もの車が行き来していた。

 

「車が走ってるってことは、少なくともあそこには人間がいるんだね……」

 

 ハグはようやく、動いている人間の形跡を見る事ができて、半分は安心して、半分は不安な気持ちになった。

 

 ハグは目線をおろし、動物園の周囲を見た。その時だった。ハグの目に、一人の人間の姿見えた。


「人間だ!」


 ハグは叫んだ。


 その人物はは正面ゲートの外にいた。そしてゲートの横の、職員用の出入り口を開けて動物園のなかに入ってきた。


「戻ってきたんだ。やっぱり見捨てたわけじゃなかったんだ。早く会いに行こう!」


 ハグがドタバタと動いて、ゴンドラが大きく揺れる。

 

「バカ、暴れるな! 慌てても早く降りられねえよ」

 

 ポルカはびっくりして、ゴンドラの中で羽ばたいた。


 ● 正面ゲート


 ハグとポルカは観覧車を降りて正面ゲートまで走った。


 しかし人の姿はない。


「どこ……」


 ハグがつぶやく。左右をキョロキョロし、あたりを探すが人影はない。


「まだ対して時間も経ってねえ。そのへんにいるはずだろ」

 

 ポルカも一緒になって人間を探す。そしてポルカはハグに対して、気になっていたことを尋ねた。

 

「お前、もし人間が俺たちを殺そうとしてたらどうするんだ」

 

「……」

 

 沈黙。すぐには答えられない。しかし悩む時間もない。決めなければいけない。人間に対する愛情と恐怖という2つの相容れない感情がハグのなかで同時に膨らむ。そしてついにハグは決意を固めた。

 

「そのときは、人間と戦うよ」

 

 二匹は正面ゲートの周辺を走り、ついに人間の姿を見つけた。


 ● 管理事務局前


 二匹が人間を見つけたのは管理事務局の前だった。


 そこにいたのは、この動物園の飼育員として働いてる若い男性だった。彼はポルカとハグの姿を見て驚いた。


「お前たち、こんなところで何してるんだ!?」


「動物園から人間がいなくなったから……人間を探してたんだよ!」

 

 ハグは今にも震えそうな声で言った。それを察した飼育員は、ハグに近づいて、ハグの頭を撫でた。


「そうか。不安にさせて悪かったな」


 ハグは人間に撫でられて、安心して微笑んだ。


「もう、人間が帰って来ないと思ったから……見捨てられたと思ったから……ねえ、他の人達はどこに行ったの?どうしていなくなったの?」


「実はな、この町のすぐ近くにある発電所で事故が起こったんだ」


「発電所?」


 ポルカが首を傾げた。


「なんて説明したらいいかな。それは人間が生きていくために必要な力を作っている大事な場所なんだ。その場所で爆発があって、危険だからみんな避難してたんだ」


「危ないなの?」


 ポルカは尋ねた。


「ああ。おれもまだよくわかっていないが、危険らしい。それで国から避難命令が出て、皆この町から出ていっているんだ」


 飼育員は諭すように、ハグに言った。


「それはわかるぜ」ポルカが言う。「危険を察知すると群れで一斉に逃げるのは、人間も同じなんだな」


「いつ戻って来るの?」


 ハグが聞く。


「わからない。なるべく早く帰ってきたいが、それは国が決めることだから」


「あんたは逃げなくていいのかい?」

 

 ポルカが聞く。


「動物たちをおいて、逃げるわけにはいかないさ」

 

「動物たちはどうなるの?」


「心配しなくても大丈夫だ」

 

「何があっても、見捨てたり、殺したりしない?」


「……やっぱり動物ってのは、人間が思っている以上に賢いよな」

 

 男は独り言のようにいった。男の手には銃が握られていた。

 

「多くの人は、人間だけが賢い生き物だと思ってる。でもそれは違う。動物たちは人間のように考えないだけで、大切なことには気がつくし、頭がいいんだ。俺はな、お前たちを他の人間から守るために、今ここに戻ってきたんだ」

 

「どういうこと?」

 

「あと少ししたら、他の人たちがやってくる。どうするのかはわからない。もしかしたら大型の肉食獣やゾウは、殺されてしまうかもしれない。おれは……それには耐えられない。たった一人でも、お前たちを守るために戦うつもりだ。昨日、動物たちのかごや檻の鍵を開けていったのは俺だ。逃げられる動物は、逃した。肉食動物や、大型の動物は除いてな。おまえたちは、逃げなかったんだな。それどころか人間を探したりなんかして……」

 

 男はハグに近づき、ギュッと抱きしめた。

 

「ありがとう」

 

 男がハグに言った。

 

「たった一人で、何ができるってんだ。ずっと一人で戦えるつもりか?」

 

 ポルカが言った。


「最後まで戦うよ。どうなっても。動物たちを殺してまで、生き残るつもりはない」

 

「動物園の中には、怖い動物もたくさんいたが、俺は今のお前が一番恐ろしいよ」 


 ● エピローグ


 飼育員は、一人で動物園に立てこもり、動物の世話を続けた。しかし数日後、大勢の見知らぬ人間たちがやってきた。そのなかには武器を持っている人間もいた。そして飼育員はあっけなく連れ去られてしまった。そして動物園は閉鎖された。


 飼育員の男の予測に反して、動物たちが殺処分されることはなかった。ほとんどの動物は他の動物園に移送された。幸せな生涯を送った動物もいれば、そうでない動物もいた。閉鎖された動物園は何年経っても再開することはなかった。動物園の飼育舎や檻は、今でもそっくり残っている。回らない観覧車が再び動く日を待ちわびながら、ゆっくりと錆びついていっている。

 

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人の消えた動物園 九夏三伏 @NwxRFU

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