第14話 初キスは黄昏時の教室で

 この後、俺たちは解散しそれぞれの教室に戻って行った。放課後の教室には誰も残っておらず夕方のオレンジ色の光が窓から差し込んで幻想的な雰囲気があった。

 窓を開けると四月下旬のまだ肌寒いながらも温かみのある風が教室に入ってきて心地よい。

 窓に肘を置いて校庭を眺めると部活に勤しむ生徒たちの眩しい姿が目に入る。


「さすがに子供相手にムキになりすぎたな。もっと穏便に済ます手段もあったはずなのに……」


 夕暮れの光は優しくて落ち着く一方で、俺の心は自己嫌悪で真っ暗だ。あんなやり方をして伊吹たちを怖がらせてしまったかもしれないし……帰ったら一人反省会しよ。


「……帰るか」


 窓を閉めようとすると教室の扉が開いた。誰が入って来たのだろうと見てみると、そこには伊吹が立っていた。


「あれ? 結たちと帰ったんじゃなかったの?」


「……忘れ物してたのを思い出したけぇ戻ってきたの。――そっちに行ってもええ?」


「ああ、うん。どうぞ」


 伊吹が隣まで来て二人で外を眺める。彼女の金髪が夕日を浴びて輝き風になびく。その美しさに思わず見蕩れてしまった。

 伊吹を横目で見ていると彼女は外を眺めながら話し始めた。


「……ウチ、先輩に謝りとうてここに来たんじゃ」


「謝るって何を?」


「先輩はウチの為に色々考えて助けてくれたのにありがとうの一言も言わんかった。――ごめんなさい」


「いや、別に謝る事なんてないだろ。あんな目に遭った上に俺が取った手段も、今思えばあまり良いやり方じゃなかった。無駄に怖がらせただけだった。むしろ俺の方が君に謝らないと」


「そんな事ないよ! 先輩、堂々としとってぶちかっこよかった。それに結ちゃんと啓斗君も暴力沙汰にならんで丸く収めたの凄い言うてたよ。もちろんウチもそう思うたし」


 伊吹が身振り手振りしながら必死に弁明してくれた。その一生懸命な姿が愛らしくて仕方が無い。

 伊吹は落ち着くと今度は俺を真っ直ぐに見ながら会話を続けた。


「それに先輩は重要な部分をぼかしてくれたじゃろ?」


 その言葉にドキッとする。そもそもあの三人組がこぞって伊吹を落とそうとした理由。あの時は敢えてそこには触れないようにした。

 きっとその理由は伊吹を傷つけるもののはずだから。それを考えていた俺の顔を見て伊吹が困ったような笑顔をする。


「先輩はやっぱり優しいね。あの人たちはウチの外見を見て簡単に……その……エッチな事をさせてくれる思うとったんじゃと思う。実際に今まで告白してくれた人の中にも、そういう事を言いよった人もおったけぇ。――その事実が発覚しないようにしてくれたんじゃろ?」


「あ……」


 そうだった。伊吹が告白を受けたのは今回が初めてじゃなかった。

 入学してからの短期間で彼女がこれだけ頻繁に告白されたのは、そういうオオカミ共のギャルに対する偏見があったからだ。

 『きっとギャルなんて男と遊びまくっているんだから、頼めば簡単にヤらせてくれるだろう』と。

 しかも伊吹はスタイル抜群かつ可愛いので男共は妄想を暴走させてしまったのだろう。


 そんな偏見は俺も持っていた。ギャルの外見だけで勝手な判断をして中身を見ようともせずに拒絶した。それがタイムリープする前の高校時代の俺だった。

 だから、俺には伊吹に告白してきた奴等をどうこう言う資格はない。


「……先輩は本当はこういうギャルに苦手意識あったのに拒絶しないで向き合ってくれた。ウチはそれが嬉しかった。今だから言うけど、もし先輩に嫌われたり困らせるような事になったら、もう会わんようにしよう思ってたの」


 その告白に心が揺さぶられた。それはまさに以前の俺と伊吹が辿った道だったから。自分の動揺を表に出さないようにしながら理由を訊いた。


「どうしてそんな風に考えたんだ?」


「だって……だってそれは辛すぎるけん。ぶち好きな人を困らせてまで近くにいるのは、まますぎるけぇ。そんな事するぐらいなら離れて相手の幸せを祈る方がええ思うじゃけぇ」


 ――多分この時だったと思う。俺が相良伊吹という女性に完全に落ちたのは。


 彼女が話した事は嘘偽りのない真実だ。かつて彼女は俺を困らせまいと自分から身を退いて俺の前から姿を消したから。


 そう言えば何かの番組だったか本だったのかは忘れたが、『恋』というものは自分本位の考えであり、『愛』というものは相手本位の考え方であると聞いた覚えがある。

 伊吹は最初から俺の気持ちを優先してくれていた。自分の想いよりも俺の想いを大切に考えてくれていた。それもずっと前から。愛情を持って俺に向かい合ってくれていた。


 きっと――いや絶対に、この先何年経とうが彼女以上に俺の事をここまで考えてくれる女性は現れないだろう。

 

「……」


 伊吹の両肩に手を添えて優しく俺の方に正面を向かせると特に抵抗なく彼女は俺の方に身体を向けた。

 俺もまた彼女に正面を向ける。そしてお互い真正面から相手の顔を見た。

 俺がこれから何をするのか察したのだろう。伊吹は頬を赤らめて視線を逸らすと恥ずかしそうに訊いてきた。


「その……一つだけお願いしたい事があるんじゃけど……」


「……うん」


「先輩のこと、『かー君』って呼んでもええ?」


 その呼び方に以前体験した改変された未来の件を思い出す。やっぱりあれって夢じゃなかったのか。

 でも、今はそんな事は重要じゃない。大切なのは今の俺と彼女の気持ちだ。俺は今、この先もずっと伊吹と一緒にいたいと本気で思っている。


「うん、いいよ。それじゃ俺は君のことを『伊吹』って読んでいいかな? ってか、既に何回かそう呼んでるけど」


「もちろん! へへっ、伊吹かぁ。せんぱ……じゃなかった、かー君にそう呼んでもらえるの夢じゃったんじゃよ」


 伊吹は凄く嬉しそうにニコニコしている。そんな笑顔を見せられたら正気じゃいられない。――結婚しよ。

 

 伊吹は笑った後俺をジッと見つめた。彼女の瞳は潤んでいて今にも泣き出しそうだった。

 その理由が怖いとか悲しいとかネガティブな感情からくるものではないことは俺にも分かる。

 伊吹は俺の顔を見上げると唇を軽く突き出すようにして目を閉じた。彼女の長いまつげが時々ピクッと動く。多分緊張しているのだろう。

 あまりにも可愛いので永遠に見ていられる。

 

 それは俺も同じで心臓がドクンドクンと音を立てているのが分かるほどだった。その鼓動が彼女に聞こえてやしないかと心配になる。

 このままずっと伊吹のキス顔を見ていたい気持ちに駆られるが、そういう訳にもいかない。

 顔を少し横に傾けて互いの鼻がぶつからないように気をつけながら唇を近づけていき、触れる寸前で俺も目を閉じた。

 

「……んぅ……」


 伊吹の唇はしっとりと濡れていて柔らかく温かかった。初キスはレモンの味だという話は有名だけど、特に酸味はない。

 ただただ柔らかくて心地よい感触が唇を通して俺の身体全体に広がっていく。

 マジかー。これがキスかー。何だろうこれ。気持ち良いし幸せな感覚が溢れそう。

 ずっとこのままでいたいと思ったがそんな事したら唇がいかれてしまうので我慢する。


 唇をそっと離し目を開けると伊吹も目を開けた。彼女の顔は真っ赤になっていたが、それが夕日に照らされただけではないという事は明らかだった。

 指先で唇に軽く触れると恥ずかしそうに俺を見る。この状況でそんな目で見るのは反則だ。またやりたくなっちゃうじゃん。


「えへへ……キス、してしもうたね」


「うん、しちゃったな……」


 お互い見つめ合ったまま沈黙してしまう。窓からそよ風が入ってきてちょっと寒い。伊吹は寒そうに両腕で自分を抱きしめるようにしている。

 そんな様子を目の当たりにした俺は理性のスイッチが少しぶっ壊れてしまった。


「……寒い?」


「ちょっと寒いかも」


「抱きしめて良い?」


「……うん。ええよ」


 伊吹を抱きしめると彼女の甘い香りが俺の鼻孔をくすぐる。

 同時に伊吹の豊かな胸が俺に押しつけられ、布越しに感じる柔らかい感触に心地よさを感じつつ欲情もしてしまう。

 さっき彼女の肩に手を置いた時にも思ったが、こうして抱きしめてみると伊吹は華奢で小柄な女性なのだと実感した。

 抱きしめ合って互いの体温で温め合う。しばらくして身体を少しだけ離すと自然な流れで再びキスをした。


「んん……ん……んぅ……」


 二回目のキスは一回目よりも長く少しだけ強く押しつけた。伊吹から微かに漏れた甘い声が可愛くてエロくて仕方がない。

 

「んん……ぷはっ……」


 キスに集中するあまりに呼吸をするのを忘れていた俺たちは苦しくなって名残惜しそうに唇を離した。

 

「ははは……どんだけ夢中になってんだろ俺たち」


「そうやね。ウチ、息をするのを忘れとったわ。……ふふふ」


 それで呼吸を整えたらまたキスをしていた。唇を重ねる行為に夢中になった俺と伊吹が校舎を後にしたのは日が完全に落ちて空が暗くなり始めた頃だった。

 周りに生徒が何人もいたはずなのに、彼等の目を気にすることなく俺と伊吹は手を繋いで家へと帰って行った。

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