第4話 ウチ、先輩のことが好きじゃけん

 結が部屋に入ってくると伊吹は抱きついて大泣きしていた。


「ゆいぢゃ~ん! ウチ、駄目じゃったぁぁぁぁぁぁぁぁ!! ぎゃるになり切れんかったぁぁぁぁ!!」


「おー、よしよし。大変だったねー、よく頑張ったねー、偉いよー、伊吹」


 まるで子供をあやすみたいに伊吹の頭を撫でて落ち着かせていくマイシスター。さすがゆくゆくは二児の母親になるだけのことはある。

 少しずつ落ち着きを取り戻していった伊吹を見て安堵すると結は俺をキッと睨み付けた。


「ちょっとお兄ちゃん、何考えてんの!? 今日高校生になったばかりの幼気いたいけな少女に、いきなりAV観せるとか頭おかしいんじゃないの!?」


「それは確かに俺も少しやり過ぎたかなって反省してるよ。でもな、そもそもどうして彼女が俺のパソコンのパスワードを知っていたのかって話になるんだが、確実にお前の仕業だろ。なに自分のこと棚に上げて怒ってんだよ。悪戯するにしてもやって良い事と悪い事があるんだよ。まずはお前が謝れ!」


「はぁ~!? 何で私が謝んなきゃならないのよ。大体お兄ちゃんはね――」


『あん、あん、あん、あん、あ、あ、ああああああああっ! あたしもうダメーーーー!!』


 エロ動画の女性が髪を振り乱しながら絶叫している。仰向けになった彼女に覆い被さるようにして男は腰の動きを速めていく。

 口論していた俺たちは、クライマックスに突入したエロ動画の前に一旦動きを止めて見入ってしまった。

 そしてしばらくして口喧嘩が再開。


「――お兄ちゃんはね! ……あれ? 何に対して怒ってたんだっけ?」


「俺がお前に謝罪要求した事に対して。続きをどうぞ」


「ああ、そうだった、そうだった。――お兄ちゃんはね、そもそも朴念仁すぎるのよ。伊吹の気も知らないで……!」


 一体何のことだ? 伊吹の気持ちがどうしたっていうんだろう?

 当の本人を見ると顔を真っ赤にして結に抱きついている。


「ゆいぢゃ~ん、後生じゃからその先は言わんといて~!!」


「はっ! そうだった。ごめんね、伊吹。でもね、もうこうなったらプランAは中断してプランBで行くしかないよ。――今ここで!」


「へぇっ!? ……今? ここで? いや、ムリムリムリムリ! ウチ、まだ心の準備ができとらんよぉ」


 目の前で女子高生二人がああでもない、こうでもないと騒いでいる。若者のこんな甘酸っぱい姿はアラサーの俺には眩しく映る。

 これが……若さか……!


 でも、ここ俺の部屋だし。緊急避難させたとはいえ、見られて困る物は他にも色々とある。

 高校時代の俺ってこんなに性欲旺盛だったのかと思うほどエロ雑誌やらエロ漫画が置いてあったので我ながら引いてしまった。

 まあ、大人になってもやっている事はあまり変わらないんだが……。


 感慨に耽っていると勢い余って伊吹が本棚にぶつかり、漫画が数冊床に落ちた。たまたま開いたページでは、これまた十八禁なシーンが描かれていた。

 その内容がこの部屋で絶賛放映中の動画と丸かぶりで、漫画を見下ろした伊吹の顔がますます赤くなる。

 もしかしたら、そろそろ熱で爆発するんじゃないかっていうぐらい赤い。


「うわぁ……こっちでも男女が絡みおうとる。……ごくっ」


「ちょ、お兄ちゃん、今度はエロ漫画!? これはもう立派なセクハラじゃない! このエロ兄貴!!」


「思春期の男の部屋なんてエログッズの巣窟なんだよ。俺の妹ならそれぐらい理解しておきなさいよ! ってか、そろそろ部屋から出てけ。これ以上俺の趣味嗜好を白日の下に晒すなっ!!」


 兄妹喧嘩が続いていると伊吹があたふたしながら俺と結の間に割って入ってきた。 

 目から涙を流し俺を見つめるその姿を見て、正直メチャクチャ可愛いと思ってしまった。

 まさか、あれだけ苦手意識を持っていた相良伊吹に対して萌える日が来るとは……。


「二人とも喧嘩は止めてぇー! 先輩、結ちゃんがこんな事するんは全部ウチの為なんじゃ。じゃけぇ、怒らんで……」


「それって……どういう意味――」


『あああああああああっ! イクイクイクイクイクーーーーーーー!!』


 佳境に入っていたエロ動画ではついにフィニッシュを迎えた。その過激さに三人とも黙って見入ってしまう。

 

「男の人の動きが止まって……あ、離れたよ……何か白いのが出て……まさか、あれが精――」


「はい、動画はこれでおしまい! 伊吹、AVのことは忘れて本題に入るわよ!!」


 途中でぐだぐだになってしまったが、取りあえず少し休憩してから話題を戻すことにした。


 ――現在、俺の部屋にて俺は椅子に座り、結と伊吹はベッドに座っている。伊吹がそわそわしているのでどうしたのか訊いてみた。

 こういう場合、トイレに行きたくてもそれを言えなくて困っているというパターンがある。こうして話を振れば本人も言いやすいだろう。


「その……このベッドで先輩が毎日寝とるんじゃ思うたら興奮してしもうて……」


「……」


 何かもう俺でもこの子が何を考えているのか分かってきた。結を見ると首を振って「本人の口から言わせるから」と唇を動かした。

 読唇術など俺は使えないが、何となくそう言っているようだった。

 なので、俺は黙って伊吹本人が話し始めるのを待つ。そして、遂にその時がやってきた。


「結ちゃんが先輩のパソコンのパスワードを教えてくれたんは、ウチが先輩の弱みを握るためで……そうすれば、先輩がウチの言うことを何でもきいてくれるじゃろうって……」


 俺は黙って結を見た。人の弱みを握るところから始まる人間関係って……なに!? しかし、発案者がうちの妹ならば合点がいく。結とはそういう人間だ。


「なるほど、よく分かった。――それじゃ質問を変えよう。そもそも俺にどうしてそんなに関わろうと思ったの?」


 俺だって一応三十年生きている訳で、ここまで来れば妹の言うような朴念仁の俺でも彼女の気持ちに対して察しが付く。

 これで答え合わせが間違っていたら恥ずかしくて死ねるところだろうが、とにかくここは伊吹が言いやすいように話を誘導する。


 俺が質問すると伊吹は自分のスカートをギュッと握りしめ、その手が震え始めた。そして上目遣いで俺を見る。

 俺も彼女から視線を外さずお互い見つめ合ったまま、伊吹が震える声で答えを口にした。


「それは――ウチが先輩のこと……す……好きじゃったから……」


 耳まで赤くしながら伊吹は自分の気持ちを言い切った。本来引っ込み思案な彼女が頑張った姿を見て目頭が熱くなる。

 二十代も半ばを過ぎた頃から涙もろくなったような気がする。小さな子供が初めてのお使いに行く番組とか観るといつの間にか泣いている時があった。


「よく……頑張ったねぇ。俺……感動したよ……ぐす……!」


 静かに泣いている俺を見て伊吹と結は面食らった顔をしていた。


「ちょ……お兄ちゃん、泣いてるの? それって嬉しくて泣いてるってこと?」


「いや……伊吹ちゃんが頑張った姿を見てたら自然と涙が出てきて。ごめん、ちょっと鼻をかむわ」


 ティッシュで鼻をかみ、涙を拭うと何だかすっきりした。これが、涙活というものなのだろう。

 俺は今、感情を揺さぶられている。それはつまり今を生きているって事ではないだろうか。

 そんな感じで一人悦に入っていると結が訊ねてきた。


「それで、返答は? お兄ちゃんはどう考えてるの?」


「……え?」


 一瞬停止した思考が再び動き出す。そうだ、俺は今この子に告白されたんだった。

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