第45話 未来永劫
「でな、夜和井先生にな、思わず言ってしまったよ。あなたは最高だ、って!」
遥は上機嫌だった。
なにしろ、推しであるサカキの生みの親に会って話が出来たのだ。直接感想を……カレントチャプター愛をそのままぶつけることが出来たのだ。まさにファン冥利に尽きるというものだろう。
「凪人と奈々のおかげだな」
そう。
現場に来てくださいとは言ったものの、全くの部外者である遥を現場に呼ぶのは、凪人の力だけでは難しかった。奈々の会社が映画の協賛だったことで、何とかねじ込めた、というのが本当のところだ。
「でも、すごかったわねぇ。役者も勢揃いしててさ。あれはレアな体験よ~」
奈々は仕事柄芸能人と顔を合わせることもある。がそのほとんどはモデルで、俳優との繋がりはない。
「デビューとは思えないほどの出来だったしね、凪人!」
バン、と背中を叩かれる。
「そうだな、あれは……間違いなく話題になるぞ。涙なしには見られなかった!」
満足そうに遥が頷く。
「俺、ちゃんと出来てました?」
凪人が遥に訊ねる。遥は大きく一回、頷いて見せた。
「お前はちゃんと、サカキだったよ」
そう言われ、心から安堵する。
「……さて、と」
奈々がわざとらしく席を立った。
「私、そろそろ帰らなきゃ」
「え? もう帰るのか?」
凪人が来て、まだ一時間も経っていない。
「明日早いのよ。あとは二人でやってよ。私、カレントチャプターのことも知らないしさ」
さっと荷物を纏め、玄関へ。途中、凪人に目配せも忘れない。何も言われていないのに、とんでもない圧を感じる凪人である。
「今日はありがとう、奈々」
「私も楽しかったわ。じゃ、お休み」
パタン、とドアが閉まる。
残されたのは、二人。
振り返った遥が凪人をじっと見上げた。
「……で、どうする?」
「へっ?」
思わず後ずさる。
「終わったら話があると、そう言っていた」
後ずさる凪人をわざと追いかけるように距離を詰め、部屋の奥へと追いやる遥。
「あ、はい、あの」
おどおどしたまま視線を泳がせる、凪人。
「なぜそんなに怯えるんだ? ん?」
ソファの隅まで追いやられ、何故か小さくなる凪人を楽しそうに見つめる遥。
「怯えてなんかっ」
ストン、と凪人の隣に座ると、グッと顔を寄せ、耳元で、
「取って食われるとでも思っているのか?」
と囁いた。
「やっ、やめてくださいよっ」
真顔で慌てる凪人。
こんなの。ズルだ!
「あはは、可愛いな、凪人は」
ポンポンと肩を叩く遥。
「可愛いって……、」
完全に遊ばれている。
弟扱い……もしくは、ペット系?
このままの関係でいるなんて、もう無理だ!
凪人の中で何かが切れる。
もう、とっくに切れていたのかもしれないけれど。
「いつまでもそんな風にしていられると思ったら大間違いだっ」
急に凪人が声を張った。遥の手を取り、そのままソファに押し倒す。
「わっ」
「ほら、形勢逆転した。そんな風に男を煽っちゃダメですよ、遥さん」
「わかった、私の負けだ」
早々に降参した遥を、しかし、凪人は放さない。
そうだ。この手を離すもんか。
「いえ、俺の負けです」
凪人はふっと笑うと、顔を近付け、そのまま唇を重ねた。
「あなたが好きです。もう、ずっと」
そう、告白し、もう一度、唇を重ねる。今度はもっと、長く。
「私は……、勘違いでなければ、今、告白されたようだが?」
遥が冷静に、そう言って瞬きをする。
「勘違いじゃないですよ。それに、遥さん俺のこと好きでしょ?」
「それは……、大した自信だな」
「だって、怒ったり逃げたりしないし、それに……」
「それに?」
「すごく照れてるし」
「……照れている? まぁ、いきなり押し倒された上に、押さえつけられてキスをされるというのはなかなか恥ずかしいもんだが」
凪人を睨みつける。
「ああ、そんな顔してもダメですよ。もう我慢しないんで、俺」
三度目の、キス。
「好きです、遥さん」
「一方的だな」
「いいんです。俺、サカキにはなれませんから。俺はただ見てるだけなんて無理です。ほかの男に取られる前に、振り向いてもらわなきゃって。絶対にこの手を離さない、って。それしか考えてません」
「なるほど」
「遥さんは?」
「私?」
「好きでしょ? 俺のこと」
黙り込む遥。
だが、凪人は何も言わず、じっと待った。待ちながら、ふと、思う。
「……もしかして、心の中で返事してます? 前にも言ったけど、俺のアンテナ、テレパシーキャッチしたりできませんからね? 全然わかりませんよ」
「……そのようだな」
(やっぱり試してたっ)
「ぷっ、ふふ、まったくもう」
凪人は手を離し、抱きかかえるようにして遥の体を起こす。髪を撫でつけながら、遥を見つめる。
「ゆっくりでいいです。俺のこともっと好きになってください。一生掛けて夢中にさせますから」
真剣な顔でそう伝える凪人に、遥が大きな溜息をつく。
キッと睨み返すと、ドスを利かせた声で言い放った。
「気の長い話だな。そんなに長くは、私が待てない」
遥がグッと凪人の胸倉を掴み、唇を重ねた。長く、甘い時間が流れる。
「これ、夢じゃないですよね?」
心配になって、訊ねる。
「さぁて、どうかな?」
遥が凪人を押し倒した。
さっきとは逆の構図である。
「夢か現実か、確かめてみようか」
耳元に口を寄せ、遥が囁いた。
*****
「何度見てもすごいんだよなぁ」
ヘッドフォンを付け、映像を見ながら、監督が唸る。
こと切れそうなアルロアの手を握るサカキ。声に一切のブレがないのが不思議なほど、顔はぐちゃぐちゃだ。涙だけではない。鼻水も出ている。元の顔が分からないほどに、歪んだ表情。
アルロアの夫、友人でもあるカルロを演じ、アルロアを励まし続けるサカキ。
普通、若い役者というものは自分をよく見せるため、泣きの場面でも綺麗に見せようとしてしまうものだ。カメラに取られていることを頭のどこかで意識し、美しい泣き顔を作ろうとしてしまう。
それがどうだ。涙と鼻水で、見ていられないほどの深い悲しみ、苦しみがダイレクトに伝わってくる演技。
それだけじゃない。自分の娘であるクララを案じていたアルロアに、カルロに扮しているサカキが
『クララは大丈夫だ。俺が守るから』
と言う。
そしてアルロアが亡くなった直後……涙でぐちゃぐちゃだった顔が一瞬だけ変わる。明らかに、変わるのだ。
それは決意の表れに違いない。キッと唇を結び、アルロアを見つめる。
愛した女の残した、一人娘、クララ。
彼女を幸せにすること。それがサカキの生きる指針となった瞬間である。
そして……、
「やば、また泣いちゃう」
監督が目頭を押さえる。
一瞬の決意を見せたあと、彼はただのサカキマサルに戻るのだ。
大切な人を目の前で失った一人の人間として、子供のように、大声で泣くのだ。声を上げて、しゃくり上げながら、大人げなく泣きじゃくる。言葉にもならない、咆哮。
これほどまでにサカキを表現できる役者が他にいるだろうか?
たかが回想シーンだ。
漫画からのアニメ化、そして実写映画化など日本映画には五万とある。その実写映画化の、更に回想シーン。一瞬だ。
明日から始まる本編の撮影。
きっと出演者たちは、頭を抱えながらも闘志を燃やしているに違いなかった。
この映画は、間違いなくヒットするだろう。
そして大和凪人という役者は、この世界に一石を投じる役者になると、確信していた。
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